Sunday, October 21, 2012

江澤誠『脱原子力ムラと脱地球温暖化ムラ――いのちのための思考へ』


江澤誠『脱「原子力ムラ」と脱「地球温暖化ムラ」――いのちのための思考へ』(新評論)


 

<「原発」と「地球温暖化政策」の雁行の歩みを辿り直し、いのちの問題を排除する両者の偽「クリーン国策事業」との訣別の意味を考える>

 

<フクシマ原発事故によって、核(原発)は人間の制御できるものではないこと、放射性廃棄物が未来世代に大きな負荷を与えること、原発に関する「安全神話」は「原子力ムラ」の情報操作によるものであることなどが明らかになった。ところが、「原発は地球温暖化の原因とされるCO2を排出しない」などとウソ偽りを平然と述べ原子力発電を推奨してきた多くの環境科学者は未だはっきりとした反省の言もなく沈黙の中にいる。「原子力ムラ」と「地球温暖化ムラ」に絡め取られたメディアは、原発の「安全神話」とCO2の「危険神話」という二重の誤りを意図的に垂れ流し、相乗的に私たちの日常生活を脅かしてきたのである。フクシマ原発事故後において、私たちが地球温暖化政策を検証し直さなければならないのは、地球温暖化問題と原子力発電が相携えて増殖し、フクシマの大惨事を引き起こしたからにほかならない。「温暖化ムラ」に集うIPCC(気候変動に関する政府間パネル)などの科学者・専門家集団は地球温暖化政策が環境保護に役立つものとしているが、その政策はCO2を材料にした「投資」であり、金融資本の「保護」を最大の理念とする新自由主義(ネオリベラリズム)政策そのものであって、私たちの日常生活に資するものでも途上国の人々に生きる活力をもたらすものでも、ましてや気候変化によるリスクを科学的に解明・解決するものでも何でもない。フクシマ原発事故によって原発の危険性には注意が向けられたが、地球温暖化に絡むCO2の「危険神話」はいまだに増殖し続けている。「原子力ムラ」と「温暖化ムラ」は今日においても跋扈し、「原子力帝国」と「温暖化帝国」として私たちの前に立ちはだかっている。本書はこうした問題意識にもとづきフクシマ原発事故の意味するところの本質を今一度捉え直し、私たちの進むべき現実的な道を読者とともに考えていこうとするものである。>

 

本書は4部構成である。「1 “地球にやさしい”戦略の始まり」では、マンハッタン計画から原発へ、日本への導入、被爆国にもかかわらず原発を受け入れていった理由などの歴史がたどられる。

 

「2 原発事故と「原子力ムラ」についてのもう一つの視点」では、原発ライさん御用記事、御用評論家・上坂冬子、IAEAなどを取り上げる。「3 原子力発電と地球温暖化問題の癒着」では、アルシュ・サミット、気候変動に関する政府間パネル、京都議定書、洞爺湖サミットなどが取り上げられる。

 

そして「4 脱原発と脱地球温暖化政策」では、「何もかも変わった」が「何も変わっていない」として、日本近代の歩みを問い直す必要を訴え、荒正人、野間宏、小田切秀雄、大江健三郎も誤謬を犯したことを指摘し、日本の「棄民思想」を問う。ここで著者は「人類館事件」にさかのぼって、日本近代の根本問題を問うとともに、「原子力帝国と地球温暖化帝国」を批判する。著者は「地球温暖化問題」は存在しないという立場である。「地球温暖化、だから原発、原発は地球にやさしい」という論理がセットになっているとして、地球温暖化帝国主義を批判しなければ脱原発にならないとする。

 

人類館事件を引き出して議論する意味はわかるが、途中経過の説明がないので、読者にはわかりにくく、話が飛躍している印象を与えてしまう。原発システムの差別的性格、原発立地への差別、さらにはモンゴルへの輸出問題における差別など、多彩な事実と論点が登記されている。