Sunday, March 31, 2019

桐山襲を読む(1)100年のパルチザン伝説


桐山襲『パルチザン伝説』(作品社、1984年)

*

「言葉が扼殺された世界――それがこの国の1980年代の風景であることを、兄さんは誰よりも理解しているはずだ。」

 1945年8月14日のパルチザン伝説の主人公・穂積一作の後継者である息子兄弟の、兄は強固な決意とともに言葉を失った。

1974年8月14日のパルチザン伝説の主人公の一人である弟は、失敗後、南の島へと「失踪」し、いまや視力を失いつつあり、兄に最後の手紙を書く。2人に後継者はいない。

 1945年と1974年の2つの8月14日のパルチザン伝説とは何か。その謎が、弟の手紙と、父親の手記、その友人の記録を通じて、徐々に明らかにされていく。

*

 「なるほど民は自らの水準に応じてその支配者を持つのだとするならば、知は力であるという段階を通過せぬまま権威と屈従の感覚だけは鋭敏にさせてきたこの国の民の水準に、郡部のごろつきたちはまことに適合しているのかもしれなかった。しかし――」

 「今日からは、俺ひとりがパルチザンだ」と宣言してブリキ缶爆弾を手に御文庫めざして木立のなかへと駆け込んでいった穂積一作。

*

 「1960年代末期の街路という街路を乾いた風のように駆け抜けていった学生の社会的叛乱の中から、叛逆者の極北たることを志して生まれた僕たちのグループが、あのことの計画に辿り着いたのは1973年の秋――つまり、あの壮大な祭りの終わりの年ともいうべき1969年から数えて、ちょうど4年目の秋だった。」

 荒川鉄橋に向けて1000メートルの電線を這わせる作戦に賭けた7人のグループは、しかし、その夜、無念の撤退を余儀なくされた。

*

1910年の宮下太吉の精神を呼び起こす物語が、カンディンスキー、セザール・フランク、ブレヒトの名とともに、濃密な文体で描き出されている。史上まれに見る愚劣と下劣と卑劣の人格的体現者を標的とした2つのパルチザンはかくして未発に終わり、人々の記憶には微かな伝説としてのみ残される。知的頽廃と凡庸と抑圧の戯画しか描き出せない澱んだこの国から、「虹」が燦めくことのないこの国から、お隣の国の「光」の都市に暮らすはずの妹の長い髪への想いをひらめかせて。

*

『パルチザン伝説』を初めて読んだのはいつのことだったか覚えていない。『文藝』1983年10月号を手にしていないし、本書・作品社版も見た記憶がない。私が手にしたのは、著者・桐山の意志に反して海賊出版された第三書館版だった。

深沢七郎の『風流夢譚』や大江健三郎の『政治少年死す』は学生時代に、学生の時の英文学ゼミの教授からコピーをもらって読んでいたから、本書がそれらに次ぐ問題の書ということはよく理解していた。第三書館版が当時どのくらい世に出たのかは知らないが、大学生協の書店で普通に購入したように思う。院生時代、たぶん1980年代後半だったのだろう。

*

 2019年4月、この国はふたたび知性を嬲り殺しにし、幼稚で愚劣な継承の馬鹿騒ぎを演じている。

「言葉が扼殺された世界――それがこの国の21世紀の風景であることを」、私たちは幾度も幾度も見せつけられてきた。その再現に過ぎないと言ってしまえばそれだけのことだが、あまりにも空虚な茶番が、時代を規定し、この国と社会の有り様を規定していくのだからたまったものではない。
 こんな時に読むべきはパルチザン伝説くらいしかないだろう。というわけで、しばらく桐山の小説を読むことにした。

Wednesday, March 27, 2019

「テロを許すな」の真贋


2月22日、マドリッド(スペイン)で発生した朝鮮大使館襲撃事件の真相が少し見えてきた。実行犯は「自由朝鮮」という団体で、背後でFBIが協力していたという。





米国政府の関与の下、大使館という外交官条約で保護される外交施設を襲撃するという前代未聞の犯罪である。



世界各地でテロ事件が発生するたびに、安倍晋三をはじめとする日本の政治家、及び朝日新聞をはじめとするメディアは、拳を握りしめて「テロを許すな」と叫んできた。



その多くが、昨年の朝鮮総連襲撃事件に際して沈黙を決め込んだ。



(参考)「在日本朝鮮人総連合会中央本部への銃撃テロに対する声明」





それでは、今回の朝鮮大使館襲撃事件ではどうだろうか。



あまりに容易に予測できるのがつまらないところだが、彼らは今回も沈黙するだろう。あるいは、「テロではない」とごまかすだろう。



それならば、世界各地の日本大使館をいくら襲撃しても良いことになる。



パリのシャルリ・エブド事件の際、私は「『テロを許すな』と叫ぶテロリストを許すな」と書いた。「テロを許すな」「表現の自由を守れ」と行進した政治家達こそまぎれもないテロリストだからだ。



これから数日の政治家とメディアの様子にご注目。

Friday, March 22, 2019

「盗人猛々しい」と言われて仕方のない国もある


2月中旬の、韓国の文喜相国会議長の「盗人猛々しい」発言に対して、日本側では激しい非難、悪罵が飛び交った。

すぐに書こうと思ったのだが、その頃は多忙だったため、何も書けなかった。

日韓間の感情的な対立は残念なことだし、国会議長が「盗人猛々しい」と外国政府を非難するのが適切とは言いがたいことも事実だが、日本側の反応はもっと不適切だ。

この間、きちんと全てを見ているわけではないが、どの論評にも肝心な事実が出てこない。



ほんの数年前に中国外相が、国連で、尖閣諸島問題に関連して「日本が盗んだ」と何度も発言したことを、もう忘れているのだろうか。

その場で日本政府がろくに抗議もしなかったのではないか。

「日本が盗んだ」発言も、国連での公式発言としては穏当ではない。



しかし、もし日本政府が反論すれば、カイロ宣言に注目が集まることになる。そこには、奪取や略取と並んで、「日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還」と書かれていることはよく知られている。

カイロ宣言の国際的な位置づけについては議論の余地がある。

しかし、ポツダム宣言にはカイロ宣言の履行が明記されている。日本はポツダム宣言を受諾した。日本側の勝手な主張でカイロ宣言を無効化することはできない。

このことをメディアはきちんと指摘するべきだろう。



韓国国会議長の発言は、その言及する対象がまったく異なるので、カイロ宣言を根拠にはしていないが、問題は、国際外交の公式の場で「盗人」と言われても反論できない日本政府にある。



そこで思い出すのは、1999年8月だったと思うが、国連人権委員会・差別防止少数者保護小委員会(人権小委員会)において、朝鮮政府が日本政府を「ギャングスター」と罵倒したのに、日本政府が沈黙したことだ。

この時のことはよく覚えている。

当時、キューバとニカラグアが非難合戦をしていた。ニカラグアが、キューバの人権状況が悪化していると批判。これにキューバが、かつてニカラグアの医療を支援したのに、こんな非難をするのは「ギャングスター」だと罵った(キューバ政府はスペイン語で発言し、通訳は「ギャングスター」と訳した)。

その途端、ニカラグア政府が机をバンと叩き、「政府に対する侮辱は許されない」。議長の権限でキューバ発言は議事録から削除された。

その20~30分後、朝鮮政府が「慰安婦」問題など日本政府の対応を批判した際に「ギャングスター」と言った(朝鮮政府は英語で発言した)。

これにはびっくりしたが、もっと驚いたのは、日本政府が沈黙し、一言も反論しなかったことだ。



国際外交の場で、「盗んだ」「盗人」「ギャングスター」というのは不適切な発言だ。

だが、何度も言われても適時に反論せず、事態を改善することもしてこなかった日本政府らしいと言えば、らしい。



*



上記に「適時に反論」と書いた。思い出した具体例を2つ。



国連人権理事会では、アメリカ対中国の非難合戦も激しい。年中行事化しているので、みんなまじめに聞いていないが。

数年前、アメリカ発言が中国側担当者の逆鱗に触れたようで、中国が猛烈な反論をした。アメリカの監獄の状況や、医療の貧困、福祉の貧困を並べて、「アメリカこそ人権侵害のチャンピオンだ。人権侵害のスーパーマンだ」と言いたい放題だった。

この時、アメリカが反論しなかったので不思議に思ったが、後で聞くと、事務局を通じて「国連にふさわしい言葉を使うようにしよう」と伝えたと言う。その場でやりとりしてもヒートアップするだけと考えたのだろう。



他方、毎回必ずキューバ批判をする有名なNGOがある。どの議題でも毎回のようにほとんど同じような発言をして、キューバ叩きが目的としか言い様がない。

ある会期で、このNGOは、市民的自由の議題や女性の権利の議題でキューバを非難し、その後、世界の紛争地域における人権状況の議題でもキューバ非難をした。キューバ政府が直ちに「このNGO発言は議題と関係ない」と指摘した。アメリカ政府が「われわれは市民社会の声を聞くべきだ」などと発言したので、このNGOとアメリカ政府の関係が露呈した。議長がNGO発言をやめさせた。似たようなことが何度もあった。

今年も同じことがあった。3月18日、同じNGOが「占領下パレスチナの人権」という議題で、キューバの人権状況を批判した。もちろん、キューバ政府が「議題と関係ない」と指摘。議長が発言をやめさせた。こんなことを繰り返すのは、よほど頭が悪いとしか言い様がない。

それはともかく、ここで書こうとしたのは「適時に反論」である。しかるべき場所で、しかるべきタイミングで、しかるべき手続きで反論しなければ、「そういう政府だ」と見られることになる。日本政府はこういうことが非常に多い。日本外交官が無能なことは今更言うことではないが、それにしても、酷い。


ジュネーヴのヴィーナス像


ジュネーヴ美術歴史館は常設展と企画展だった。

常設展は、近世の宗教画に始まり、近代絵画がずらり。地元スイスやその周辺の画家と、西欧各地の画家の作品が混在している。地元はまずはアルプスの山岳絵画、そしてレマン湖をはじめとする湖。印象派も小品だが有名画家は2~3点そろっている。ホドラーやバロットン、アリス・ベイリーやジャコメティ。シャガールとピカソ。

企画展は、ローヌ川のローマ遺跡がテーマだった。

フランス南部のアルル地方がローマの支配下に入ると、アルルで地中海に注ぐローヌ川をさかのぼってローマが進軍した。リヨンを経て、紀元前1世紀頃にはレマン湖にやってくる。ジュネーヴにも集落が出来たようだが、レマン湖東側のマルティニにはローマの競技場が残っている。現在のスイス南西部がローマ領となった。シーザーの時代にかかっている。ローマからは、イタリア半島を直接北上してフランス南部に来るコースもあるが、もう一つはスペインからピレネーを越えてきた。アルル地方の支配はそうして実現したようだ。

展示は、レマン湖底、ローヌ川、そして周辺沿岸地域で出土した物で、門柱、レリーフ、彫刻、コイン、メダル、食器、壺、棺等だ。

圧巻は大理石のヴィーナス像だ。高さ2メートル50センチくらいの大理石像、一部欠けているが、かなり良好だ。

*

夕方は、プレニーの展望台でレマン湖を見下ろした。3月中旬までは小雨や曇りの日が多かったが、ここ数日は見事な青空で雲一つない。目の前は緑の野原、その向こうに林があり、その下にレマン湖の青がたたずむ。視界の過半は青空だ。レマン湖の向こう岸はかすんでいたが。A&Gの明日に架ける橋など歌いながらさわやかな風に吹かれていた。

歴代総理の沖縄観をつぶさに検証


塩田潮『内閣総理大臣の沖縄問題』(平凡社新書)

吉田茂、芦田均、佐藤栄作、大平正芳、宮沢喜一、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、小泉純一郎、鳩山由紀夫、そして安倍晋三にいたる歴代総理が、沖縄にいかに向き合ってきたかを検証している。前半は沖縄返還問題であり、後半は現在の米軍基地問題である。大筋はみな知っていることだが、その都度、総理がいかなる情勢、いかなる情報の元、どのように行動したかを、エピソードを交えて叙述している。

総理の立場から問題を見て、解決策を求めるので、どの総理もそれぞれの善意で、最善を尽くしていたかのような錯覚に陥る面もないではない。

安倍政権は、アベノミクスや集団的自衛権に力を入れて、沖縄問題に優先的ではなかったのが、ここへ来て重大問題になっている。それならば、と塩田は最後に言う。

「結果重視の安倍が本気で『政治の責務』を意識するなら、『沖縄問題は内閣の最重要課題』と公言した橋本を手本に、沖縄問題の政策的優先順位を格上げして、沖縄とのハートフルなネットワーク作りも含め、総力結集態勢を構築しなければならない。」

「何よりも民主主義に対する深い理解と『沖縄の民意との結託』という道を選択する柔軟さが安倍政権に求められる。問われているのは、内閣総理大臣の沖縄問題に取り組む識見と力量である。」

もっともだが、ないものねだりである。

Thursday, March 21, 2019

「こころ」の謎に迫る脳科学


櫻井武『「こころ」はいかにして生まれるのか』(講談社ブルーバックス)

*

覚醒を制御する神経ペプチド「オレキシン」の発見者で脳科学の第一人者による新書だ。

大脳皮質の認知機能、大脳辺縁系による記憶と常道の制御機構、そして報酬系の機能などをわかりやすく解説しながら、その「システム」から「こころ」が生まれることを示している。

「こころ」自体は、科学の対象とは言えないようだが、脳の機能が発達して、人間特有の「こころ」ができあがり、科学と文学の交差領域にあるのかもしれない。

脳の情報処理システム、「こころ」と常道の関係、脳内報酬系の謎、神経伝達物質の多様性など、知らないことばかりだ。とても理解したとは言えないが、現代脳科学がどんなことに関心を持って研究を進めているのかがわかっておもしろい。個別のエピソードは理解できるが、構造と機能の中身に立ち入ると素人には難しい。

*

本書カバーの表紙には、舟越桂の彫刻「山と水の間に」(1998年制作)が使われている。舟越の独特の彫像は、まさに物体に過ぎない彫刻作品に感情が宿るかのごとき錯覚を与える。どれも静謐なイメージで、およそ躍動感からは遠いのに、いまにも眉や眼が動くのではないか、唇が何かを言いたそうだ、と思わせる。表紙にこの作品を使ったのは、著者の意向だろうか、編集者の判断だろうか。いずれにせよ、本書の表紙にふさわしい。舟越とは同僚なので、ちょっと嬉しい。

赤十字の刑務所展


国際赤十字(ICRC)の博物館は、常設展と企画展だった。

常設展「人道主義の冒険」は、赤十字の由来、活動の主な内容に関する資料、証言などの構成。何度か組み替えたり、新たに加わっているが、基本的には赤十字の歴史なので基本はずっと変わらない。

ソルフェリーノの戦いにおけるアンリ・デュナンの活動、その後の赤十字結成、赤十字旗の由来、第一次大戦における名簿カードとメッセージカード、第二次大戦を経て、ルワンダ・ジェノサイドにおける写真カード、そしてコンピュータによる情報管理に至る救援活動の基本。世界的組織とは言え、やはり元は欧州中心なので、朝鮮戦争やヴェトナム戦争はほとんどでてこない。

証言は、戦争や地震や飢餓の中で、難民となった人物、救援活動に加わった人物、国際刑事裁判所に訴追する役割を果たした人物などの証言。3.11以後、東北地方で遺体の歯を調査し、身元情報を確認し、遺体を家族の元に送る作業をすすめた歯科医の証言もある。9カ国語の解説があり、日本語もあるので便利。

企画展「刑務所」は、文字通り「刑務所とは何か」の展示だ。
真っ先に、ベンサムのパノプティコンの図版と解説があり、イギリスやフランスの古い刑務所の写真や図面が展示されている。一望監視装置による被収容者管理の思想が分かりやすく示されている。日本の刑務所も、府中、横浜、千葉など、以前はみな同じスタイルだった。

次に刑務所における処遇と生活の様子だ。

とても興味深かったのは、「刑務所の音」だ。舎房のモデル室に入ると、無機質な壁と床のみで何もない空間だが、音響が流れる。物がぶつかる音、金属音、誰かの呟き、意味不明の叫びが入り交じった雑多な音だ。うるさい。これが、はじめて収容された受刑者が耳にする音。一般生活の中での生活音との違いがわかる。

もっとも、日本の刑務所は違うかもしれない。ここ30年ほど、国際人権法の世界に報告されてきたように、日本の刑務所のキーワードは静寂と沈黙だ。音を立てない静かさ、会話を禁じられた世界。懲役囚の工場での作業は別として、舎房では静寂が求められる。

展示は、刑務所暴動のコーナーもあった。他方、刑務所内暴力も、まずは拷問被害者の写真と拷問用具。政治犯に対する厳しい処遇。また、女性収容者に対するレイプ。

他方、被収容者の工作やアート作品も展示されていた。最後に修復的司法の解説があった。刑務所展は英語とフランス語のみ。

入り口に戻って売店を見ると、デュナンや赤十字の本と並んで、ミシェル・フーコーも売っていた。