桐山襲『パルチザン伝説』(作品社、1984年)
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「言葉が扼殺された世界――それがこの国の1980年代の風景であることを、兄さんは誰よりも理解しているはずだ。」
1945年8月14日のパルチザン伝説の主人公・穂積一作の後継者である息子兄弟の、兄は強固な決意とともに言葉を失った。
1974年8月14日のパルチザン伝説の主人公の一人である弟は、失敗後、南の島へと「失踪」し、いまや視力を失いつつあり、兄に最後の手紙を書く。2人に後継者はいない。
1945年と1974年の2つの8月14日のパルチザン伝説とは何か。その謎が、弟の手紙と、父親の手記、その友人の記録を通じて、徐々に明らかにされていく。
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「なるほど民は自らの水準に応じてその支配者を持つのだとするならば、知は力であるという段階を通過せぬまま権威と屈従の感覚だけは鋭敏にさせてきたこの国の民の水準に、郡部のごろつきたちはまことに適合しているのかもしれなかった。しかし――」
「今日からは、俺ひとりがパルチザンだ」と宣言してブリキ缶爆弾を手に御文庫めざして木立のなかへと駆け込んでいった穂積一作。
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「1960年代末期の街路という街路を乾いた風のように駆け抜けていった学生の社会的叛乱の中から、叛逆者の極北たることを志して生まれた僕たちのグループが、あのことの計画に辿り着いたのは1973年の秋――つまり、あの壮大な祭りの終わりの年ともいうべき1969年から数えて、ちょうど4年目の秋だった。」
荒川鉄橋に向けて1000メートルの電線を這わせる作戦に賭けた7人のグループは、しかし、その夜、無念の撤退を余儀なくされた。
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1910年の宮下太吉の精神を呼び起こす物語が、カンディンスキー、セザール・フランク、ブレヒトの名とともに、濃密な文体で描き出されている。史上まれに見る愚劣と下劣と卑劣の人格的体現者を標的とした2つのパルチザンはかくして未発に終わり、人々の記憶には微かな伝説としてのみ残される。知的頽廃と凡庸と抑圧の戯画しか描き出せない澱んだこの国から、「虹」が燦めくことのないこの国から、お隣の国の「光」の都市に暮らすはずの妹の長い髪への想いをひらめかせて。
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『パルチザン伝説』を初めて読んだのはいつのことだったか覚えていない。『文藝』1983年10月号を手にしていないし、本書・作品社版も見た記憶がない。私が手にしたのは、著者・桐山の意志に反して海賊出版された第三書館版だった。
深沢七郎の『風流夢譚』や大江健三郎の『政治少年死す』は学生時代に、学生の時の英文学ゼミの教授からコピーをもらって読んでいたから、本書がそれらに次ぐ問題の書ということはよく理解していた。第三書館版が当時どのくらい世に出たのかは知らないが、大学生協の書店で普通に購入したように思う。院生時代、たぶん1980年代後半だったのだろう。
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2019年4月、この国はふたたび知性を嬲り殺しにし、幼稚で愚劣な継承の馬鹿騒ぎを演じている。
「言葉が扼殺された世界――それがこの国の21世紀の風景であることを」、私たちは幾度も幾度も見せつけられてきた。その再現に過ぎないと言ってしまえばそれだけのことだが、あまりにも空虚な茶番が、時代を規定し、この国と社会の有り様を規定していくのだからたまったものではない。
こんな時に読むべきはパルチザン伝説くらいしかないだろう。というわけで、しばらく桐山の小説を読むことにした。