Thursday, July 13, 2023

ジェンダー暴力の犯罪化03

第1章の「女性に対するジェンダーに基づく暴力の定義」

2 平等/差別問題としてのGBVAW

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女性差別撤廃委員会CEDAWは女性に対する暴力を差別の一形態と見る。イスタンブール条約の解説書は、女性差別が女性に対する暴力への寛容を生み出すという。女性に対する暴力の予防のために取るべき措置は、男女平等を促進する必要がある。暴力から自由な権利の享受は、各国が男女平等を確保する義務と結びついている。欧州人権裁判所も、女性に対する暴力と性差別の結びつきを認知している。

女性に対する暴力を性差別と結び付けている国は12カ国、フランス、ドイツ、ギリシア、リヒテンシュタイン、マルタ、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スペイン、スウェーデン、イギリス。結びつきを示していないのが11か国、ベルギー、クロアチア、キプロス、チェコ、デンマーク、フィンランド、アイルランド、ラトヴィア、リトアニア、スロヴァキア、スロヴェニアである。

いずれにせよ平等法を制定しているのが23か国。

フランスは2014年、女男平等法を制定し、女性に対する暴力は平等原則違反として制裁を明記した。法律前文で、性暴力は圧倒的に女性に悪影響を与えるとした。判例はハラスメントからの保護と差別の禁止の両方の規範を結び付けている。ノルウェーの平等・反差別法は、社会の全領域をカバーし、家族生活や純粋に個人的関係にも適用され、差別の禁止の中にジェンダー暴力を含め、ハラスメントを禁止している。

イスタンブール条約を批准して、差別と女性に対する暴力の結びつきを認めたのはドイツ、ギリシア、マルタ、ポーランドである。しかし、ドイツの司法権はVAWやGBVAWの概念を適用していない。

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交差する差別

CEDAW、北京世界女性会議宣言、女性に対する暴力国連特別報告者は、女性に対する暴力の交差性アプローチを強調してきた。CEDAWの一般的勧告第28号と第33号は女性に対する差別の交差性を扱っている。イスタンブール条約は交差性に直接言及していないが、第4条3項は、性別、ジェンダー、人種、皮膚の色、言語、宗教、政治的意見、国民的社会的出身等に基づく差別に言及している。女性に対する差別の複合的形態が予防されなければならない。

15か国の国内法は差別の交差性を認知していない。ベルギー、クロアチア、キプロス、チェコ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、イタリア、ラトヴィア、リヒテンシュタイン、マルタ、ポルトガル、ルーマニア、スロヴェニア、イギリスである。

ギリシアのジェンダー平等法は複合的差別に言及している。ポーランドの法律は交差性を定義していないが、ポーランドのオンブズパーソンは女性に対する暴力を扱う際に、高齢女性、障害女性、移住女性に着目している。ブルガリアでは、法律では交差性に言及がないが、女男平等国内計画が民族的出身、移住等に言及している。

交差性への言及の有無にかかわらず、ノルウェー、フランス、オランダ、ドイツはそれぞれ実質的に交差性を考慮している。

Wednesday, July 12, 2023

ジェンダー暴力の犯罪化02

「ジェンダー平等と非差別の法律専門家欧州ネット―ワーク」の『欧州各国における女性に対するジェンダーに基づく暴力(ICTにおける暴力を含む)の犯罪化』(2021年)

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第1章の「女性に対するジェンダーに基づく暴力の定義」では、調査した諸国の多くで、国内司法管轄権に女性への暴力の特別の定義が導入されていない。法や政策にジェンダーに基づく暴力GBVの定義を取り入れた国もある。多いのはジェンダー中立の用語であり、GBVの特別の類型を明示するのはごくわずかである。イスタンブール条約の締約国にはその定義を導入した例もある。

EU指令やイスタンブール条約にもかかわらず、ジェンダー不平等の定義や、その帰結であることを法認しているのは少ない。暴力と差別の結びつきを明示しているのもわずかである。VAWに関連する差別の交差性を明記した国も少ない。一定の状況での要素の交差性を示したのが5カ国である。

女性に対するジェンダーICT暴力の法概念を、この暴力の多元的性格を把握して理解する。だが、女性に対するオンライン暴力を明確に定義している国は1つしかない。他の諸国はオフライン暴力に関する法を改正して、オンライン局面に対処している。

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第1章の「女性に対するジェンダーに基づく暴力の定義」

1 各国法におけるGBVAW定義

2 平等/差別問題としてのGBVAW

3 ジェンダーに基づく女性に対するICT暴力

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「1 各国法におけるGBVAW定義」では、現在の国際法レベルとEU法レベルにおける定義を確認したうえで、各国の調査結果を示す(図表1)。図表1の内容をさらに説明している。

例えば、国内法において女性に対する暴力の定義をしていないのが、ブルガリア、クリアチア、デンマーク、エストニア、フィンランド、ハンガリー、アイルランド、イタリア、ラトヴィア、リヒテンシュタイン、リトアニア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、スロヴァキア、スロヴェニアと多数である。

法律でジェンダー中立の暴力概念を用いているのが、デンマーク、フィンランド、リヒテンシュタイン、リトアニア、オランダ、スロヴェニアである。デンマークには法的定義がないが、親密なパートナーによる暴力はジェンダー中立の暴力概念に含まれる。リトアニアにはドメスティック・バイオレンスDVの法的定義があるが、ジェンダー中立である。

ジェンダー暴力が女性と少女に不均衡に悪影響を与えていることを、認知している国がいくつかある。例えば、ノルウェーは、ジェンダー平等政策を戦略として定め、法、政策、行政運営で実施しているが、用語はジェンダー中立である。クロアチアの法には定義がないが、性暴力やDVに対処する諸規定でGBVに言及している。

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ジェンダー暴力GBVの法・政策の定義を導入したのは8カ国、ベルギー、キプロス、チェコ、エストニア、アイスランド、マルタ、スペイン、イギリスである。うち6カ国の定義がジェンダー中立なのはEU被害者権利指令の定義のためであろう。キプロスは、2016年の権利の最低基準の法律第51号2条がEU被害者権利指令の定義を採用した。2000年のDVに関する法律119号の定義もジェンダー中立である。

逆にスペインはジェンダーに特有の定義を採用した。ジェンダーに基づく暴力が特別の法枠組み――2004年のジェンダー暴力からの包括的保護法によって、性的自由に対する攻撃、脅迫、強要、自由の恣意的剥奪など身体的及び精神的暴力のすべての行為を含む。しかし、法律の目的は女性に対して行われる暴力に制限されている。

他方、チェコはGBVの定義を採用したが、法律ではなく政策である。「DV及びジェンダー暴力予防行動計画2019-2022」である。

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女性に対するジェンダー暴力GBVAWを法システムに導入したのは4か国、フランス、ドイツ、ギリシア、ルーマニアだけであり、いずれもイスタンブール条約を批准した後である。ルーマニアではジェンダー平等法にGBVAWが定められる。フランスでは2014年の法律3条がイスタンブール条約の定義を採用した。ギリシアはイスタンブール条約の定義をそのまま国内法にした。

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以上のように、Sara De VidoとLorena Sosaの論文は、調査回答を基に、各国の刑事立法や政策において、暴力、女性に対する暴力、DV、ジェンダー暴力GBV、GBVAWなどの概念がどのように扱われているかを詳細に分析している。欧州30数か国のレベルでこれほどの調査は従来存在しないだろ。欧州諸国における性暴力、女性に対する暴力の法政策を研究するには最高の情報源である。

Monday, July 10, 2023

ジェンダー暴力の犯罪化01

「ジェンダー平等と非差別の法律専門家欧州ネットワーク」の『欧州各国における女性に対するジェンダーに基づく暴力(ICTにおける暴力を含む)の犯罪化』(2021年)を紹介する。

European network of legal experts in gender equality and non-discrimination, Criminalisation of gender-based violence against women in European States, including ICT-facilitated violence. European Commission, EU, 2021.

著者はSara De VidoとLorena Sosaである。欧州フェミニズムに無知の私には、知らない名前の上、著者紹介がない。

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「ジェンダー平等と非差別の法律専門家欧州ネットワーク」のメンバーの一覧が掲載されている。コーディネーターはJos Koster(人道的欧州顧問)、Linda Senden(ユトレヒト大学)、Alexandra Timmer(ユトレヒト大学)、Isabelle Chopin(移住政策グループ)、Ivette GroenendijkとYvonne van Leeuwen-Lohde(人道的欧州顧問)、Franka van HoofとBirte Book(ユトレヒト大学)、Catharina Germaine(移住政策グループ)。

さらに9人の専門家。

及びアルバニア、オーストリア、ベルギー、ブルガリアからイギリスまで36か国の非差別の専門家とジェンダーの専門家の名前が出ている。アイルランドのJudy Walsh、イタリアのChiara Favilli、イギリスのRachel Hortonの名前は見かけるが、ほとんどは知らない名前だ。

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全11章(215頁)と長いため、飛ばし読みしかしていないが、冒頭に要約があるので便利だ。

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<目次>

要約

序文

1 女性に対するジェンダーに基づく暴力の定義

2 ドメスティック・バイオレンス

3 強姦を含む性暴力

4 セクシュアル・ハラスメントと性に関連するハラスメント

5 女性器切除、及び同意のない性器手術

6 強制結婚

7 ストーキング

8 同意のない性的画像配布

9 ジェンダー/性に基づくヘイト・スピーチ(性差別主義ヘイト・スピーチ)

10 フェミサイド/ジェンダー関連女性殺人

11 強制と制裁の一般アプローチ

結論

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冒頭に本論文の出発点がおおよそ次のように書かれている。

女性に対するジェンダーに基づく暴力(GBVAW)は国際レベルでも欧州レベルでも喫緊の課題である。新型コロナ禍は女性差別のパターンを悪化させ、暴力の諸形態を増加させている。国際レベルでは、VAWは人権侵害であり、女性に対する差別であると認識されている。VAWは女性と男性の力のバランスの不平等の帰結である。ジェンダー不平等の原因であり、結果である。女性差別撤廃条約に基づいて、VAWの予防、保護、対処措置をとる法的義務を有する諸国がある。

欧州レベルでは、欧州評議会の女性に対する暴力に関する条約(イスタンブール条約)が2011年に採択され、包括的全体的なVAW対策の法的拘束力のある手段となっている。イスタンブール条約第4条1項は、締約国は、公的領域でも私的領域でも、女性が暴力から自由に生きる権利を促進・保護するのに必要な法的措置その他の措置をとることとしている。2017年にはEUがイスタンブール条約に署名し、EU全加盟国が署名し、批准は21カ国となった。

EUは加盟国にVAW対策を呼びかけてきた。例えば、2019年11月28日、EU議会決議は、イスタンブール条約の適切な履行と強制、VAWと闘うための財政的人的資源の投入、被害者保護を呼びかけた。2012年10月25日の犯罪被害者の保護に関するEU指令は、犯罪被害者の権利、支援、保護の最低基準を定めた(被害者の権利指令)。

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本論文はEU27カ国、及びアイスランド、リヒテンシュタイン、ノルウェー、イギリスの31カ国の状況を調査し、分析する。そのために31カ国のジェンダー平等と非差別に関する法律専門家に12項目に及ぶ詳細な質問を送り、その回答を得た。12項目の質問は本論文の巻末に収録されているが、質問票だけで18頁もある。現行法、犯罪の定義、訴追と制裁、判例法、制約、議論状況に及ぶ。前例のない本格的調査に基づく分析と言えよう。

Thursday, July 06, 2023

ヘイト・スピーチ研究文献(221+)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』の書評(続編)

秦博美「前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱─反差別の刑法学』(三一書房、2021年)を読んで(下・完)」『北海学園大学法学研究』58巻4号(2023年)

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本年1月にこのブログで、秦論文前半についてコメントした。

https://maeda-akira.blogspot.com/2023/01/blog-post_79.html

以下はその続きである。

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目次

一 はじめに

二 本書のはしがきと全体構成

三 憲法学者の見解(総論)

四 憲法学者の見解(各論)

五 検討

1 (近代)個人主義

2 思想の自由市場論(以上57巻4号)

3 見解規制、観点規制、内容規制

4 事前規制、予防規制

六 その他の論点

七 終わりに

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今回は「五 検討」の「3 見解規制、観点規制、内容規制」以下である。

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秦は、「3 見解規制、観点規制、内容規制」で、私の見解を検討する。

私は、憲法学における「見解規制、観点規制、内容規制」の主張には合理性があるとは思っていないが、『ヘイト・スピーチ法研究要綱』ではそこまでは主張していない。『要綱』では、憲法学による「見解規制」論は半世紀もの歴史があるが、最高裁に採用されず、学者による学者のための学説にとどまっている現実を前に、憲法学者があたかも「見解規制」論が当然の理論であるかの如く述べていることに疑問を抱いて、「その法理はそもそも最高裁によって採用されていない。半世紀以上採用されなかったし、今後も採用される見込みがあるわけではない。憲法学者にとっては重要な「理論」かもしれないが、およそ現実と切り結んでいない。」と批判した。

これはいささか乱暴な批判であることは承知の上である。最高裁によって採用されていないことを、その理論を批判する論拠として用いることは必ずしも正しいわけではない。ただ、憲法学者の論文を見ると、「公共の福祉」論の扱いもそうだが、憲法の明文も最高裁判例も無視して、あたかも自説が正当であることが論証済みであるかのごとく論じているものが目立つ。倒錯と言うしかない。そのことを指摘するために、やや乱暴な批判をした。

秦は、私の見解を見たうえで、憲法学者の見解を点検する。駒村圭吾、桧垣伸次、佐々木弘通、安西文雄、斉藤拓実、松井茂記、宍戸常寿といった論者の見解を丁寧に引用しながら、秦は論述を進める。

秦は次のように述べる。

「駒村教授は、「導入される集団誹謗規制や類型的排除が、例えば、国籍等に基づく集団誹謗にだけ限定されるとしたら、内容規制だけでなく、見解規制あるいは見解差別(……)の問題にもなり得ます。」と述べている。評者には、国籍、民族を限ったヘイトスピーチの規制が、立法事実に基づき対象を限定しており、また、国家施策への批判とも無関係であるにもかかわらず、何故「見解規制」としてのハードル(価値観に対する介入?)をも課せられるのかが理解できない。」(436頁)

秦は「見解規制」論そのものを否定するわけではないが、駒村の「見解規制」論の議論の仕方について疑問を提起している。

さらに秦は次のように述べる。

「憲法学者が「およそ現実と切り結んでいない」という批判を「甘受」するとするなら、それは、半世紀以上変わらない日本の最高裁判所の判例法理に対してであるとともに、ヘイトスピーチの被害の現状(六の2参照)に対してということになろう。」(439頁)

私は、憲法学者が「およそ現実と切り結んでいない」といささか乱暴な批判をしたが、秦は、私の批判の趣旨に全く見るべきものがないとは言わず、私の趣旨を理解している。「批判を「甘受」するとするなら」という表現は、この批判が正当であるか否かについて積極的に論及していないものの、この批判の意味を受け止める姿勢を示しているのだろう。

そして秦は次のように述べる。

「著者の立場は、「表現の自由を理由にヘイト・スピーチ規制」をするというものであり、斉藤拓実講師の「アメリカにおける表現の自由の『過剰』」という表現に対し、「現実には『マジョリティの差別表現の自由の過剰』にすぎず、マイノリティにとっては、表現の自由の『過少』ではないだろうか。法の主体はすべて自由で独立で平等であるという『空想』が無媒介に前提とされると現実無視の議論にならないだろうか」という含蓄のある指摘を行っている。」(441頁)

私が主張しようとしたことを、秦は、憲法学説を参照しながら、再検討している。私の主張を補強してくれているので、大いに励まされる。

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秦は、「4 事前規制、予防規制」において、私の見解を検討する。

憲法上、表現の自由に対する検閲は許されず、事前規制は禁止されている。どのような場合を事前規制とみるかという論点である。

ヘイトデモやヘイト集会のための公の施設の利用について、大阪市条例と川崎市の公の施設のガイドラインが事前規制か否かが問われる。私は、上田建介の議論を手掛かりに、必ずしも事前規制とみる必要はないと考えた。

秦は、川崎市ヘイトデモ禁止仮処分事件決定や京都朝鮮学校事件判決を検討し、毛利透、上村都、梶原健祐の見解を引用したうえで、次のように述べている。

「「事前抑制」とは、表現行為がなされるに先立ち公権力が何らかの方法で抑止する規制方法をいい、情報が「市場」に出る前にそれを抑止するものであることから、原則的に禁止されると解されている。これに対し、「反復継続される行為」の将来に向けての差止めの場合は、「同種の表現」(その特定には慎重さを要求されるが)は既に「市場」に提出済みであり、事前規制の概念に当てはまらず、厳格な審査を伴う「事前抑制禁止の法理」を適用させる必要はないという解釈も十分可能であろう。」(444頁)

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この点について、私は『ヘイト・スピーチ法研究原論』第5章第7節で論じた。

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もう1つ、私にとって大いに参考になったのが「政府言論」に関する議論である。

憲法学の中には、アメリカの議論を参考にした「政府言論」という議論がある。政府の発言も表現の一つであるから表現の自由の保障が適用されるという。

私にはこれがどうしても理解できない。憲法13条や14条があるから、政府が差別をしてはならないことは明確である。表現の自由に関する法解釈としてあれこれ議論するべきテーマではないはずだ。

「このことを抜きに政府言論を表現の自由の問題として位置づけることには疑問が残る。表現の自由は個人の自由であって国家の自由ではない。政府言論を表現の自由の問題とするのはなぜだろうか。」というのが私の疑問である。

秦は高橋和之の議論を引用する。高橋は『人権研究Ⅰ表現の自由』で次のように述べているという。

「政府は、表現(言論)の自由の規制と援助により「言論市場」(公共言論空間)に介入する。しかし、政府が自らの「言論」により言論市場に介入することは、憲法上許されていない。言論市場は表現の自由の主体により構成される「空間」である。政府は、表現の自由の主体ではないから、言論市場に「参加」する資格は、憲法上ない。」(以上は秦論文450頁より)

そして、秦は次のように述べる。

「著者のいうとおり、「政府言論を律するのは民主主義であり、権力分立であろう」。憲法99条は公務員の「憲法尊重擁護義務」を規定しており、「政策執行を授権する法律の合憲性」に問題があれば、公権力は、「規制」の場合のみならず、「政府言論」の場合も、違法性と損害が個別に認められれば国家賠償法1条の責任を問われることになろう。」(451頁)

基本的に私と同じ主張であり、秦説に賛成である。

私は、上記の文章を書いたときに、これは私のオリジナルだ、と思い込んでいた。高橋和之がすでにこのように述べていたことを知らなかった。不勉強だ。

秦のおかげで、私の主張は憲法学的にみて、さほどおかしなものではなく、むしろ、有力な立論でありうることがわかった。感謝したい。

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秦は最後に次のように述べる。

「ヘイトスピーチの規制は、確かにヘイトスピーチの自由を制限するものではあるが、表現の自由との関係では社会の安全弁としての「統制」と評価すべきもので、「制限」と考えるべきではないということになる。いま、表現の自由の規制の限界ではなく、(マジョリティの)表現の自由の限界が問われているように思われる。」(451頁)

重要な指摘だ。

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秦は冒頭で、2020年5月のグテレス国連事務総長による「国連ヘイト・スピーチ戦略と行動計画」を紹介し、「沈黙することは憎悪と不寛容に無関心のシグナルを送ることである」という部分を強調していた。

秦は末尾で、ふたたびこの点に言及している。

「ヘイトスピーチの「被害者」からすれば、積極的「観衆」も消極的「傍観者」も同断なのである。自分が「観衆」ではないことに安住することは許されまい。「観衆」とともに「傍観者」も、(健全な)社会の(健全な)構成員として免責されるわけではない。「民族」一般に解消されない「個人の尊厳」が厳としてあるのである。」(452頁)

自分の法理論の帰結がヘイト・スピーチの容認、放置、そして結果としてヘイト・スピーチへの加担とならないよう、社会の構成員として向き合う姿勢の表明である。まさに議論はここから始まる。

 

 

Saturday, July 01, 2023

ヘイト・スピーチ研究文献(223)権力の濫用?(e・完)

榎透「権力の濫用――ヘイト・スピーチ規制を考える前に」『専修法学論集』144号(2022年)

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4 ヘイト・スピーチにおける権力の濫用を正視する

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最後になるが、権力の濫用問題にはもう一つの議論すべき重要な領域がある。

その議論のためには、ヘイト・スピーチにおける権力関係――ヘイト・スピーチを生み出す基盤を考察する必要がある。榎の議論では見事に排除されている重要テーマである。

ヘイト・スピーチは、一般的な定義を基に考えれば明らかなとおり、(1)行為主体たる発話者が、(2)一定の属性を基に標的となる個人や集団に対する差別や暴力を、(3)公衆に、(4)煽動する行為である。

端的に言えば、(1)マジョリティのAが、(2)マイノリティに対する差別や暴力を、(3)マジョリティの公衆に、(4)煽動する行為である。

これがヘイト・スピーチと呼ばれ、被害が大きいと評価されるのは、マジョリティとマイノリティの間に非対称の権力関係があるからである。国家権力ではなく、それ以前に存在する社会的権力である。

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第1に、マジョリティとマイノリティの関係。

マジョリティは、マジョリティであるというそれだけで、マイノリティに対する優位性、特権性を有し、社会的権力関係を背景に行為し、発言することになる。

「**人は出ていけ」という発言が悪質なのは、マジョリティからマイノリティに向けられているからである。

99%の日本人がマジョリティである日本社会では、日本人が、1%のマイノリティに対して侮辱、迫害のヘイト・スピーチを行ってきた。

日本社会で、仮に1%未満のマイノリティが99%のマジョリティである日本人に対して、「日本人は出ていけ」と言ったとしても、通常、ヘイト・スピーチにならない。日本人は日本から排除される危険性がなく、痛痒を感じないからである。ヘイト・スピーチの前提はこのような権力関係の存在である。

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第2に、公権力とマジョリティの関係。

この点は、それぞれの国家・社会における人口比や歴史によって異なるが、日本のように99%の日本人がマジョリティであり、憲法が日本国民の「国民主権」を定め、「国民の権利」を定め、外国人の権利を顧みない国では、公権力はマジョリティだけのものであり、マジョリティの利益だけを保障し、追求しがちである。換言すると、社会的権力関係がそのまま国家権力に反映する。

公権力が、マイノリティの保護法益を尊重して、マジョリティをヘイト・スピーチで規制することをあまり期待できない。現に日本ではヘイト・スピーチ規制がなされず、マジョリティの日本人憲法学者は日本人の表現の自由を絶対化しようとし、マイノリティの表現の自由には見向きもしない。マジョリティがマイノリティにヘイト・スピーチを行っても、表現の自由を口実に、これを放任しようとする。

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第3に、公権力とマイノリティの関係。

公権力はマジョリティの利益を保障することを優先し、それと矛盾しない範囲において、マイノリティの利益も保障することがあるに過ぎない。公権力自体がしばしばマイノリティを排除し、抑圧し、差別する。マイノリティに課税するが、税の配分になったとたんに「国民の血税」などと虚偽の主張を基に、マジョリティだけに配分する。マイノリティが外国人・外国籍の場合には、在留資格や出入国管理の仕組みを通じて、文字通り排除することもある。マイノリティが差別やヘイト・スピーチの被害に苦しんでも、救済することなく、放置しがちである。

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以上の実態を前に、権力の濫用について考える必要がある。権力は濫用されるなどと言う一般論は意味を成さない。権力の濫用はどのようなベクトルで作動するのかがポイントである。以下の点は誰にでも理解できることだろう。アメリカにおける白人と黒人の関係を想起しながら考えてみよう。

第1に、公権力はマイノリティ保護のための立法を積極的にしようとしない。反差別法やヘイト・スピーチ規制法の制定には人権活動家やマイノリティの多年にわたる奮闘を要した。

第2に、公権力は既存の刑法の適用に際して、マイノリティを保護するためにマジョリティを規制することを回避しようとする。ヘイト・スピーチ規制法がない状態でも、名誉毀損罪、侮辱罪、脅迫罪などがあるのに、公権力はマイノリティ保護のために既存の刑法を適用しようとしない。

第3に、公権力は時に加害と被害を取り違えることがある。マジョリティがマイノリティに対してヘイト・スピーチをして、被害者のマイノリティが抵抗し、反撃しようとすれば、時にマイノリティが加害者にされてしまう危険性がある。

つまり、権力が濫用される場合も、その濫用はマジョリティに有利な方向で作動するのが普通であって、マイノリティには不利益に作動する。それゆえ、ヘイト・スピーチ規制法を制定した場合も、その運用においては、法の趣旨を逸脱して、ヘイト・スピーチ規制をサボタージュすることが生じる可能性がある。

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人種差別撤廃条約に基づいて設置された人種差別撤廃委員会は、こうした問題について、各国政府に勧告してきた。ヘイト・スピーチ法を制定することだけではなく、その運用について勧告してきた。

第1に、警察官など法執行官にマイノリティを採用することである。

第2に、法執行官にヘイト・スピーチとその法適用について教育・研修することである。

第3に、ヘイト・スピーチの捜査や訴追基準に関するガイドラインの作成が必要となる。

権力の濫用を防ぐための第一歩である。

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榎は権力の濫用を語る。そのこと自体に私は異論を唱えない。

私が疑問に思うのは、ヘイト・スピーチ問題において権力の濫用について考えるなら、真っ先に誰でも思いつく重要論点があるのに、榎がそれには決して言及しようとしないことだ。榎はこうした論点についてどのように考えるのだろうか。

Friday, June 30, 2023

ヘイト・スピーチ研究文献(223)権力の濫用?(d)

榎透「権力の濫用――ヘイト・スピーチ規制を考える前に」『専修法学論集』144号(2022年)

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3 日本におけるヘイト・スピーチ対策の検証

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榎は、「公権力の濫用は、現在の日本でも実際に起こっていると考えられる」とし、「公権力の行使者は、具体的案件を解決するうえで必要であると考えるならば、それが有権解釈者の恣意性を疑われるものであるとしても、憲法や法令の解釈変更の可能性を追求する」(49頁)と言う。そして、ヘイト・スピーチ規制に飛びつく前に、こうした権力の性格を十分に理解しておくことも必要ではないだろうか。」(50頁)と主張する。

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国際社会では、ヘイト・スピーチ刑事規制の濫用の恐れについての議論は長年にわたって繰り返し行われてきた。常識の部類に属する。

日本ではヘイト・スピーチ刑事規制がなかったので、十分な議論が行われた訳ではない。その意味では榎の主張にも意味があるかもしれない。

ただ、それならば、ヘイト・スピーチ解消法以来の法状況に目を配るのが普通ではないだろうか。

私が榎の立場なら、最低限、次の点を検証するだろう。

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第1にヘイト・スピーチ解消法.

ヘイト・スピーチ解消法制定から7年になる。解消法は刑事規制を持たないが、ヘイト・スピーチ対策の基本姿勢を表明した。法制定以来、法務省はその見解を表明し、協議会を重ね、地方自治体との連携を強化してきた。警察庁もヘイト・スピーチの現場での対応方針を修正してきた。

それでは、「公権力の行使者は、具体的案件を解決するうえで必要であると考えるならば、それが有権解釈者の恣意性を疑われるものであるとしても、憲法や法令の解釈変更の可能性を追求する」といった事態が生じたであろうか。真っ先に議論すべきだろう。

榎はなぜこの点を検証しないのだろうか。

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第2に地方自治体条例における実名公表。

大阪市条例はヘイトを行った者の実名公表を定め、大阪市は実際にこれを適用・実施した。これに対して、実名を公表されたヘイト・スピーカーが「実名公表は憲法違反だ」と違憲訴訟を提起した。裁判所は「実名公表は違憲ではない」と判断した。

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第3に地方自治体における公の施設利用のガイドライン。

川崎市の協議会が施設利用ガイドラインを提言し、川崎市はガイドラインを作成した。京都府、京都市など各地の地方自治体もガイドラインを作成した(詳しくは前田『ヘイト・スピーチと地方自治体』参照)。ガイドラインの運用もすでに4~5年の実績を有する。

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第4に川崎市条例における刑事罰。

川崎市条例は、ヘイトを行った者に、勧告及び命令を出し、命令に従わなかった場合、つまり3度目のヘイトをした場合に刑事罰を適用する仕組みを作った。それから3年になる。

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第5にヘイト関連の名誉毀損訴訟判決。

この10数年、ヘイト関連の名誉棄損訴訟が増加している。個人に対する名誉毀損もあれば法人等に対する名誉毀損もある(詳しくは前田「ヘイト・スピーチの要素と類型」『明日を拓く』134・135号、2022年参照)。ヘイト・スピーチへの関心が高まり、重要事案は以前よりもはるかに多く報道されるようになった。このことが裁判実務に影響を与えただろうか。行政権ではなく、司法権の運用である。

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第6にヘイト・クライム刑事判決。

ヘイト・クライム事件が増え、刑事事件が広く報道され、ウトロ放火事件、コリア国際学園事件、徳島脅迫事件など、判決も相次いでいる。徳島脅迫事件では、法廷で検察官が「これはヘイト・クライムだ」と明言した。徳島事件は脅迫状によるヘイト・スピーチであり、ヘイト・クライムでもある。捜査、訴追、立証、判決の検証が必要だろう。

 

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以上のように、ヘイト・スピーチ対策にはすでに多くの実績があり、情報があり、公的決定があり、判決があり、権力による運用実態がある。

「公権力の行使者は、具体的案件を解決するうえで必要であると考えるならば、それが有権解釈者の恣意性を疑われるものであるとしても、憲法や法令の解釈変更の可能性を追求する」という榎理論を検証するための素材が山のようにある。

なぜ、榎はこれらの事例を検証しないのだろうか。

なぜ、榎は、あえてヘイト・スピーチ関連事案から目を背けて、集団的自衛権をめぐる解釈変更や、臨時会の招集要求の無視問題や、検察官の定年延長をめぐる解釈変更を取り上げるのだろうか。

Thursday, June 29, 2023

ヘイト・スピーチ研究文献(223)権力の濫用?(c)

榎透「権力の濫用――ヘイト・スピーチ規制を考える前に」『専修法学論集』144号(2022年)

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2 権力の濫用問題はずっと議論されてきた

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榎は法の解釈や運用における恣意や濫用を論じて、「ヘイト・スピーチ規制に飛びつく前に、こうした権力の性格を十分に理解しておくことも必要ではないだろうか。」と結ぶ。

しかし、集団的自衛権をめぐる解釈変更や、臨時会の招集要求の無視問題や、検察官の定年延長をめぐる解釈変更の事例をいくら積み重ねようと、ヘイト・スピーチ規制法の濫用問題とは距離が大きすぎる。

榎論文を読んだ読者は、あたかも「ヘイト・スピーチ規制論者は、こうした権力の性格を十分に理解していない」と思い込まされることになる。

また、表現の自由への介入を定めた法令が表現の自由を委縮させたり、解釈が恣意的になって不当に表現の自由を侵害する危険性は、従来から繰り返し指摘されてきた。しかし、憲法学者の議論は一般論にとどまり、具体性がない。

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ヘイト・スピーチ刑事規制消極派の憲法学者は、なぜ、ヘイト・スピーチ刑事規制法の実際の解釈・運用を基にその恣意や濫用の事例を検討しないのだろうか。世界の150か国にヘイト・スピーチ規制法がある。素材には事欠かない。各国のヘイト・スピーチ規制における濫用事例、不当介入事例の調査・研究を、なぜしないのだろうか。

ヘイト・スピーチの刑事規制において濫用がありうること、濫用を最小限に抑止しなければならないことは、いまさら指摘するべき新しい論点ではない。ヘイト・スピーチ規制積極論者こそが何十年も繰り返し取り上げてきた問題である。しかも単なる一般論ではなく、具体的に論じてきた。

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その情報はあまりにも膨大である。列挙し始めるとえんえんといつまでも終わらない。ごく一部の代表例だけ紹介しておこう。

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第1に、ラバト行動計画作成過程の議論である。

2013年3月の国連人権理事会第22会期に提出された国連人権高等弁務官事務所報告書は『差別煽動禁止に関するラバト行動計画』は、ヘイト・スピーチ規制のための国際人権法の基準を示した文書である。その準備過程で、2008年10月にジュネーヴで開催された専門家セミナーでは、「表現の自由の制約の限界――基準と適用」という分科会がもたれた。分科会の発言を見てみよう。

アスマ・ジャハンギル(国連人権理事会・宗教の自由特別報告者、国際法律家委員会委員)は、宗教的ヘイト・スピーチの規制に関して、宗教に関する法律が曖昧な場合には、問題解決ではなく悪化につながる。世界を「敵と味方」に分けないように学ぶ必要がある。人種と宗教は異なるので、人種的事例の解決と宗教的事例の解決がどのようなものとなるかはさらに議論が必要であると述べた。

アブデルファタ・アモル(国際自由権規約委員会委員)は、自由権規約第19条3項は第20条によって補強されたと見るが、不確実さが残り、明確な解釈がないと言う。第19条3項には個人と集団の責任と義務が含まれていることを強調し、この責任と義務は表現の自由を促進する目的に従わなければならない。第19条3項は制約の必要性を正確に示しているが、制約の必要性の判断は国家によって、文化によってさまざまでありうると指摘した。

モーゲンス・シュミット(ユネスコ表現の自由部局事務局次長)は、プレスの自由の制約には、2つの条件がある。第1に制約が法律によること、第2に公共の領域や他人の権利を保護するために必要なことである。真実の言明を理由に処罰されてはならない。ヘイト・スピーチの処罰についても、差別、敵意、暴力の煽動の意図があったと証明される必要がある。表現の自由の抑止は最小限の手段でなければならないと述べた。

こうした具体例はラバト行動計画の準備過程の議論や、行動計画それ自体の中に、たくさん示すことが出来る。

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第2に、人種差別撤廃委員会の一般的勧告第35号である。

https://www.hurights.or.jp/archives/opinion/2013/11/post-9.html

パラグラフ10以下、特に12、14,15、19、20、26、45、47参照。

その後の、「ベイルート宣言」や「国連ヘイト・スピーチ戦略」をはじめとする国際文書においても、まずヘイト・スピーチを刑事規制するべきこと、その際に自由や人権を不当に侵害しないこと、そしてヘイト・スピーチの規制と表現の自由は対立するのではなく、相補的であることが前提とされている。

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第3に、各国における濫用事例の研究・分析、反省である。

ヘイト・スピーチの犯罪化は当たり前であり、150か国で処罰がなされる。必然的に濫用や誤判が起きるので、そうした事例を踏まえた議論がなされている。人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会は、各国の情報を基に、濫用や不当な解釈事例を抑止するように繰り返し指摘してきた。私の『ヘイト・スピーチ法研究原論』では、ベラルーシ、ロシア、カザフスタン、アゼルバイジャン、ジョージア、レバノン、トルクメニスタンに対する人種差別撤廃委員会の勧告を紹介した。

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第4に、欧州人権裁判所の判例である。

EU枠組み決定はすべての加盟国がヘイト・スピーチを処罰するよう求め、実際にすべての加盟国でヘイト・スピーチは犯罪化された。それゆえ膨大な適用事例が見られる。必然的に濫用や不当な解釈事例も生じる。各国における事案が欧州人権裁判所に持ち込まれる。中には、不適切な立法、不当な解釈、過剰な処罰と判断された事案がある。

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/09/blog-post.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/09/blog-post_92.html

ギュンデュズ対トルコ事件(2003年12月4日)、ファルーク・テメル対トルコ事件(2011年2月1日)、スタマキン対ロシア事件(2018年5月9日)、レイデューとイソルニ対フランス事件(1998年9月23日)、ディンク対トルコ事件(2010年9月14日)など、いくつもの事例で欧州人権裁判所は、ヘイト・スピーチ刑事規制の在り方について積極的に判断している。刑罰権の濫用を防ぐ重要な監視システムが機能している。

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もう十分だろう。150か国にヘイト・スピーチ規制法があるのだから、世界中で膨大な濫用事例がある。そうした濫用事例を研究し、濫用の抑止に努める必要がある。それこそが憲法学の任務である。

榎論文のように、濫用の恐れがあるという一般的理由を根拠にヘイト・スピーチの刑事規制を否定する見解を、国際社会に見出すことはできないだろう。