Thursday, June 30, 2022

ナチス賛美との闘い――テンダイ・アチウメ報告書01

国連人権理事会50会期に、テンダイ・アチウメ人種差別問題特別報告者の報告書(A/HRC/50/61. 23 May 2022)が提出された。

アチウメ特別報告者は、昨年の国連人権理事会48会期に報告書(A/HRC/48/77. 13 September 2021)を提出した。その概要は紹介済である。

ナチス賛美との闘い――ホロコースト否定犯罪を考える

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/10/blog-post_25.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/11/blog-post.html

そこでは、アルバニア、アルゼンチン、アルメニア、ブラジル、ブルンジ、クロアチア、キューバ、キプロス、ドミニカ共和国、エクアドル、ドイツ、ギリシア、ハンガリー、イラク、イスラエル、イタリア、キルギスタン、マルタ、メキシコ、ナミビア、オランダ、ニジェール、ノルウェー、カタール、モルドヴァ、ロシア、セネガル、セルビア、スペイン、スウェーデンの情報が紹介された。今回はその続きとなる。一部重複があるが、以下簡潔に紹介する。

アチウメ報告者は、冒頭で、ロシアのウクライナ攻撃について、ネオナチからの住民保護を名目としているが、ネオナチからの保護を理由とした軍事攻撃は正当化されないとことを確認している。

1 アルバニア

2010年の差別からの保護に関する法律(法律10221号)が平等と非差別の原則の履行を規制する。2020年、法改正によって、交差する差別、複合差別、構造的差別、ヘイト・スピーチ、隔離、セクシュアルハラスメント、差別の煽動といった新しい差別形態が盛り込まれた。差別の重大な形態には刑罰が二倍とされた。

同胞を管轄するコミッショナーは、個別の申立てを受理する。2021年に人種差別の申立てについて15件の決定と1件の勧告を出した。最も多いのは公共サービスの提供における差別である。例えばロマとエジプト人の子どもの就学前教育。エジプト出身者へのメディアを利用した差別的表現。ロマやエジプト人の家屋住居の公認の遅延。

2021年、ヘイト・スピーチの申立ては7件あり、2件をヘイト・スピーチと認定した。1件は、ある宗教指導者が、LGBTIに対するヘイト・スピーチを行った。もう1件は政治家発言である。2件が人種主義暴力につながった事実は確認されていない。

裁判所に移送された件がある。ティラナ市役所と警察が、ある市民に対して、人種、民族、経済状態に基づいて間接差別を行った。ティラナ行政第一審裁判所は、被告らに2,504,467レクを被害者に支払うよう命じた(1レク=0.788円(20123月))。

2 アゼルバイジャン

人種、民族、宗教その他の理由に基づく差別について、憲法第25条はすべての者の平等の権利を保護する。刑法第1541項は、その権利や利益に害悪を惹起する方法で市民の平等を損なった場合の刑事責任を定める。マスメディア法第10条は、禁じられた情報や、暴力や残虐行為のプロパガンダ、違法行為を行う目的でのマスメディアの利用を禁止する。

ファシズムの台頭は許されないので、第二次大戦の歴史の歪曲は阻止されなければならないと、アゼルバイジャンは強調する。

3 ベラルーシ

ベラルーシ国民はナチスによる最も危険な歴史を体験した。ナチス矢差別行為をしっかりと非難し、人種差別撤廃条約第4条に定められた行為の予防と処罰に必要な措置を採用した。政治、社会、文化的寛容を促進し、国際人権基準に基づいた政策を採用している。

法の下の平等の枠組みを定め、すべての者の文化の自由な発展を期している。「国民の尊厳の侮辱」、宗教に基づく差別、マイノリティ集団に対する直接差別と間接差別、憎悪と暴力の煽動を禁止する。

2010119日の大統領命令は、過激主義に反対する法律、ナチスの復権の予防法律、ベラルーシ人民のジェノサイド法を含む。

ベラルーシは寛容の促進と、ナチス、過激主義、差別の再発予防のため、2022年を「歴史記憶の年」とした。

4 ホンデュラス

人種的優越性に基づく憎悪と暴力の煽動と闘う法的枠組として、憲法の平等の権利と差別の禁止があり、2020年の刑法は、差別と、差別の煽動を犯罪化した。2016年、先住民族とアフリカ系ホンデュラス人の統合のため、反レイシズムと反差別の政策を採択した。

平和教育文化庁は、公務員に対して、差別に対処する職業上の責任について研修を行っている。ヘイト・スピーチ予防のための行動をとる研修も行っている。

77件の差別事案が起きて、その多くがアフリカ系住民へのものである。申立てられたのは公務員である。10件が裁判にかけられ、6件は却下された。1件は行政記録に残すため分析中であり、その他は捜査中か、証拠不十分である。

ヘイト・スピーチ対策のため、市民社会団体と協力して、権利の担い手の能力形成、差別予防の教育課程、差別に関する学問研究を進めている。差別防止のための人権教育が11,075に殿公務員、42,236人の法執行官に行われた。

5 ハンガリー

ナチスや人種主義暴力と闘う法的措置を有している。人種主義暴力の煽動や、国家社会主義時代の犯罪の公然否定を犯罪化している。ヘイト・スピーチに関連して、2011年の基本法は、ハンガリー・ユダヤ人コミュニティを社会の一部と認定した。政府命令10392019は、国際ホロコースト記憶連合の反ユダヤ主義の定義を採用した。

反ユダヤ主義のヘイト・スピーチとヘイト・クライムに対処するため、欧州行動・保護連盟を設置し、2011年、義務教育にホロコースト教育を導入した。

欧州行動・保護連盟は2020年に30件の反ユダヤ主義の事件を記録した。1件は脅迫、6件は暴力行為、22件はヘイト・スピーチである。2013年から2020年にかけて事件数は減少している。

6 ラトヴィア

ラトヴィアでは右翼過激主義による脅迫行為が続き、インターネットも利用されている。平等と非差別のために、憲法、及び労働、健康、子ども保護、経済活動、教育、刑事手続きの法が制定されている。ヘイト・スピーチや暴力の煽動に対して、憲法は言語、民族、文化的アイデンティティの保護を明示し、刑法は、差別、ジェノサイド、人道に対する罪、憎悪の煽動の禁止に反する行為を犯罪としている。2021年、刑法改正により、人種、民族その他に基づく憎悪をすべての犯罪の刑罰加重事由とした。

内務省令は、ヘイト・クライムに対処する際の手続き上の諸問題を検討する作業部会を設置し、作業部会が報告書を作成した。

国家警察学校は、ヘイト・クライムの認定と捜査のためのガイドラインを作成した。警察官のためのヘイト・クライム研修を行い、オンライン・ヘイト犯罪への対処をしている。

201620年、差別や憎悪扇動が警察によって121件認知された。その多くは民族的又は国民的出身に基づく差別である。同時期、国家安全サービスは、ジェノサイド、、

ジェノサイドの勧誘、ジェノサイドと人道に対する罪の免罪、憎悪扇動に関する111件の申し立てを認知し、その多くはインターネットへの書き込みであった。

ラトヴィアは「国民のアイデンティティ、市民社会及び統合政策の実施計画2019-2020」を定めた。欧州評議会の国民的マイノリティ保護枠組み条約の当事国である。

Wednesday, June 29, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(202)欧州人権条約の解釈マニュアル

窪誠「ヘイトスピーチとは何か――『ヘイトスピーチに関するマニュアル』から学ぶもの」大阪産業大学経済論集1523号(2014年)

国際人権法研究者で、大阪産業大学教授。『マイノリティの国際法―レスプブリカの身体からマイノリティへ』(信山社)がある。「人種差別撤廃委員会一般的勧告35 (2013)人種主義的ヘイトスピーチと闘う」の監訳者である。

https://www.hurights.or.jp/archives/opinion/2013/11/post-9.html

本論文の存在は知っていたが、人種差別撤廃委員会一般的勧告35の紹介と勘違いして、きちんと読んでいなかった。一般的勧告35ではなく、アン・ウェーバー『ヘイトスピーチに関するマニュアル』(欧州審議会出版局)の紹介である。さらに、ラバト行動計画や一般的勧告35も参照している。

ラバト行動計画の私たちの訳は

http://imadr.net/wordpress/wp-content/uploads/2018/04/9c7e71e676c12fe282a592ba7dd72f34.pdf

マニュアルは欧州人権条約第10条の表現の自由の解釈である。

はじめに

第1章     序論

第2章     適用文書

第3章     欧州人権裁判所判例原則

A 表現の自由への権利に関する一般原則

B 欧州人権条約第17条が適用されるスピーチ

C 表現の自由の制約(欧州人権条約第102項)

(a)      一般的説明

(b)      裁判所が考慮する要素

(c)      宗教的信条への攻撃という特別の場合

第4章     他の国際機関の経験

おわりに

101項が表現の自由、2項がその制約原理、第17条が自由や権利を制限する行為に関する規定である。第17条の例としては、条約に反する全体主義教義、歴史修正主義、人種的「ヘイトスピーチ」が挙げられる。

欧州人権裁判所が採用する一般的アプローチは、介入は法律によって定められているか、介入は正当な目的を追求しているか、介入は民主的社会において「必要」か、である。裁判所が顧慮する要素は、表現の目的、表現の内容、表現の状況(表現者が政治家の場合、ジャーナリストの場合、公人の場合、表現が向けられた人の地位、表現の流布と潜在的影響、介入の性質と強度等)である。

窪は、マニュアル、ラバト行動計画、一般的勧告35を踏まえて、次のようにまとめる。

「よって、裁判プロセスの論理からもう一度整理すると、まず、ある『表現』がヘイトスピーチ『定義』にあてはまるかを審査する。あてはまれば、次に、『表現の目的』を審査する。扇動目的が明白な場合、表現者は表現の自由の権利を主張できなくなり、逆に、別の正当な目的がある場合、国家は処罰できなくなる。次に、『表現の内容』を含めた『表現の状況=文脈』審査によって、表現による『他人の権利』侵害がどの程度であったかを測定する。最後に、国家『介入の性質と強度』が他人の権利侵害程度に相応していたかを判断する。」(64頁)

窪は、ヘイト・スピーチの「基本定義」として「特定集団への所属を理由とした憎悪扇動」と「特定集団優越性の公的表明」を示し、最後に次のように述べる。

「憲法によって、『国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ』日本も、自由権規約、人種差別撤廃条約の個人通報制度に加入することにより、国際社会との対話を開始する時が来ている。」(68頁)

国際人権法におけるヘイト・スピーチの理解について、私は、国連人権理事会、人権高等弁務官事務所、及び人種差別撤廃委員会の情報を紹介してきた。欧州人権条約・人権裁判所についてはあまり参照してこなかった。昨年、ようやく下記の紹介を試みた。

ファクトシート:ヘイト・スピーチ(欧州人権裁判所)

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/09/blog-post.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/09/blog-post_92.html

また、EUOSCEが、ヘイト・クライム被害者の救済のための研究をいくつも出版しているので、最近、『明日を拓く』『生活と人権』『部落解放』誌上で紹介している。今後更に研究したい。

ヘイト・スピーチ研究文献(201)国際人権の視点

近藤敦「ヘイトスピーチ規制の課題と展望」『移民政策研究』9号(2017年)

http://www.iminseisaku.org/top/pdf/journal/009/009_006.pdf

外国人の人権、国際人権、移民政策、多文化共生政策の研究者で、名城大学教授である。著書に『「外国人」の参政権:デニズンシップの比較研究』(明石書店)『外国人の人権と市民権』 (明石書店)『多文化共生と人権』 (明石書店)『人権法<第2版>』(日本評論社)『移民の人権』 (明石書店)がある。

1 はじめに:人権条約と日本の批准状況

2 日本国憲法の下でのヘイトスピーチ規制の可能性

3 諸外国のヘイトスピーチ規制

4 日本の法令の課題

5 おわりに:包括的な差別禁止法の必要性

冒頭で結論がまとめられており、そこに次のように書かれている。

「人権条約適合的解釈をするならば、憲法『21条と結びついた13条』がヘイトスピーチによって人間の尊厳を侵されない自由を保障し、集団に対する民族的憎悪唱道が、侮辱・名誉棄損により人間の尊厳を害する表現、差し迫った危険を伴う扇動、違法な暴力行為を加える真の脅迫にあたる場合は、刑事罰も許されるものと思われる。」(6頁)

近藤はまず日本が人種差別撤廃条約を批准したが、4条(a)(b)の適用に留保を付したこと、国際自由権規約20条には留保を付していないこと、条約に従ったヘイト・スピーチ規制には刑事罰以外にも多様な方策があることを確認する。次に憲法論として、これまでの規制積極論と消極論を紹介・検討する。刑事判例、民事判例、ヘイト・スピーチ解消法も踏まえて論じる。

「したがって、『ヘイトスピーチ』が、民族的・人種的・宗教的少数者の人間の尊厳を損なうか否かを比例原則に照らして審査する法制度は、憲法および人権条約上の要請といえる。日本国憲法の体系の中で、憲法13条の背後にある、人間の尊厳や、公共の福祉の比例原則的理解が、普遍的な人権をめざす人権諸条約の理念とともに浸透するにつれ、また、ヘイトスピーチ規制を必要とする、対抗言論が成り立ちにくい深刻な人権侵害の立法事実が確認されるのであれば、今後、規制積極論は増えていくことが予想される。」(910頁)

「立法事実が確認されるのであれば」という点について、近藤は、法務省人権擁護局のヘイトデモ件数の報告に基づいて、「このことは、ヘイトスピーチ規制のための十分な立法事実が現在の日本にあることを物語っている」(14頁)としている。

比較法についてはイギリス、スウェーデン、フランス、カナダ、アメリカを瞥見した上で、私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』をあげて、多数の諸国に規制法があることを確認する。

憲法学者の中には、アメリカ法を絶対参照するべしと言う意見が見られるが、近藤は、ヨーロッパとアメリカの憲法を比較して、「日本の憲法は、13条の人間の尊厳に留意すれば、むしろヨーロッパに近い」(13頁)と述べる。的確である。この点を私は何度も何度も指摘してきた。アメリカ憲法と日本国憲法の表現の自由は、歴史も構造も条文も決定的に異なるからだ。ところが、憲法学者はこの点を無視し、私の指摘に誰一人として応答しない。近藤は2017年時点で上記引用のように書いていた。

日本法について、近藤はヘイト・スピーチ解消法や大阪市条例を検討して、差別やヘイト・スピーチの規制として不十分であることを確認する。その上で、包括的な差別禁止法が必要であるという。

「第1に、定義の面では、民族・人種・宗教・国籍上の差別からの保護が十分ではなく、日本は、憲法や人権条約や民法の一般条項を通じた司法解釈によるほかないといった問題がある。」(16頁)

「第2に、適用範囲の面では、日本は入居差別等を禁止する法規定がない。」(16頁)

「第3に、実施メカニズムの面では、日本は、訴訟支援、挙証責任の転換などがない問題がある。」(16頁)

「第4に、平等政策の面では、代理訴訟、調査をする独立の平等機関の設置、公的機関への平等促進の義務づけ、積極的差別是正措置なども今後の日本の課題である。」(16頁)

最後に近藤は次のように述べる。

「人間の尊厳類似の憲法規定を有する日本では、憲法『21条と結びついた13条』が、ヘイトスピーチによって人間の尊厳を侵されない自由を保障していることに目を向けるべきである。」(1頁)

この点は、私が「ヘイト・スピーチを受けない権利」を論じてきたのと共通である。差別されない権利、ヘイト・スピーチを受けない権利は日本国憲法の権利論の当然の帰結である。

Tuesday, June 28, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(200)レイシズムはどこから来てどこへ行くか

 平野千果子『人種主義の歴史』(岩波新書)

https://www.iwanami.co.jp/book/b605150.html

<「人種」という根拠無き考えに基づいて、人を差別・排除する。人種主義(レイシズム)は、ナショナリズム、植民地主義、反ユダヤ主義等と結びつき、近代世界に計りしれぬ惨禍をもたらし、ヘイトスピーチや黒人差別など、現代にも深い影を落としている。大航海時代から今日まで、その思想と実態を世界史的視座から捉える入門書。>

序章 人種主義を問う

第一章 「他者」との遭遇――アメリカ世界からアフリカへ

 第1節 大航海時代

 第2節 ノアの呪い――黒人蔑視の淵源

第二章 啓蒙の時代――平等と不平等の揺らぎ

 第1節 人間を分類する

 第2節 思想家たちと奴隷/奴隷制

第三章 科学と大衆化の一九世紀――可視化される「優劣」

 第1節 人間の探究と言語学

 第2節 人種の理論書

 第3節 優劣を判定する科学

第四章 ナショナリズムの時代――顕在化する差異と差別

 第1節 諸科学の叢生

 第2節 国民国家の形成と人種

 第3節 新らたな視角――黄禍論、イスラーム、反ユダヤ主義

第五章 戦争の二〇世紀に

 第1節 植民地支配とその惨禍

 第2節 ナチズム下の人種政策

 第3節 逆転の位相

終章 再生産される人種主義

差別がレイシズムを生み、レイシズムが差別を生む。レイシズムがヘイト・スピーチを生み、ヘイト・スピーチがレイシズムを生む。この簡明な事実を、理論的に説明することは案外難しい。

研究者や弁護士の中に「差別はよくないが」と前置きしながら自分はレイシストでないふりをしつつ、マジョリティの表現の自由を絶対化し、懸命になってヘイト・スピーチを擁護する論者が後を絶たないのは、レイシズムの秘密が一因を成しているだろう。自分がレイシストであることを認めず、口先で差別反対と言えばレイシストでない証明になっていると思い込める粗雑な感性の持ち主が多い。こうした状況で、いかに物申しても言葉が通じない。

平野はレイシズムの秘密を暴き、レイシズムの正体に照明を当てる。レイシズムは単なる思想や感情ではなく、科学や制度の中に息づいている。近代西欧世界が歴史的に練り上げてきた世界観そのものである。

『フランス植民地主義の歴史』『フランス植民地主義と歴史認識』の著者である平野だが、本書ではフランス、イギリス、ドイツ、アメリカなど西欧近代の植民地主義が生み出した「他者との出会い」を通じての自己認識の変容に焦点を当てる。人間性と平等を唱えたはずの啓蒙の時代に「人間を分類する」思想が伸長する。「分類」は格付け、序列を生み出す。植民者の皮膚の色(白)、文化と宗教(キリスト教)が規範とされ、「普遍」とされ、序列の頂点に位置づけられる。「分類」は差異の発見につながり、差異が絶対化されていく。差異があるから分類するのだが、分類するために差異を発見し、差異をつくりだすことでもある。科学が差異を記録し、可視化し、内面化させていく。その過程を平野は丁寧に論じている。

レイシズムの批判的研究が増えてきた。ヘイト・スピーチとの関係では、梁英聖『レイシズムとは何か』(ちくま新書)と本書が必読書となる。梁と平野、方法も対象も全く異なるが、梁は本質にまっしぐら突撃し、平野は歴史をていねいに検証し、ともにレイシズム克服の途を探る。

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/03/blog-post_8.html

Friday, June 24, 2022

歴史否定は何を傷つけるか――歴史修正主義とレイシズムがつくりだす社会

ダーバン+20:反レイシズムはあたりまえキャンペーンシンポジウム

歴史否定は何を傷つけるか――歴史修正主義とレイシズムがつくりだす社会

 

◆日時: 2022821日(日)12:30-15:40

◆場所: オンライン(Zoomウェビナー)

◆参加申し込み(申し込み締切 820日): 

https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_tNIiRRcKQkq74I-ZzC0zZw

 ※参加を申し込んだ方には後日視聴用のZoomリンクをお送りします。

 ※当日参加できなかった場合も、後日、期間限定で視聴可能です(参加申込者に限る)。

◆主催: ダーバン+20:反レイシズムはあたりまえキャンペーン

◆協力: 市民外交センター、人種差別撤廃NGOネットワーク(ERDネット)、Peace Philosophy Centre、ヒューライツ大阪

◆参加費: 無料(カンパ歓迎)

 ※カンパ振込先:

多摩信用金庫(金融機関コード1360)京王八王子支店(店番号042)
  口座番号0417868
  ダーバン+20あたりまえキャンペーン 代表前田朗(まえだ あきら)

◆お問合せ:ダーバン+20:反レイシズムはあたりまえキャンペーン durbanRCS@gmail.com

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◆プログラム

1 関東大震災ジェノサイドを否定・歪曲する思考/加藤直樹

  コメント カナダにおけるジェノサイド問題を考える/乗松聡子

2 韓国における歴史否定言説とそれへの対応/趙慶喜

3 「反日種族主義」論の日本における影響/古橋綾

 

 

「慰安婦はいなかった」「強制連行はなかった」「南京大虐殺はなかった」「関東大震災朝鮮人虐殺はなかった」――

「歴史戦」のスローガンの下、ジェノサイドや非人道的行為の歴史を否定する言説が次々と繰り出され、メディアを席巻しています。被害者を侮辱し、歴史学の成果を無視し、人々の歴史意識を歪める歴史否定言説は、どこから生み出されるのでしょうか。どのように猛威を奮うのでしょうか。これに対してどのような対策が可能なのでしょうか。

 歴史修正主義は世界的な現象となっています。西欧では「アウシュヴィツの嘘」「ホロコースト否定」のようにナチス・ドイツの蛮行の歴史を否定する言説がいまなお絶えません。旧ソ連東欧圏の諸国では、スターリン時代の犯罪をめぐって「記憶の内戦」が続いています。ラテンアメリカでは軍事独裁政権時代の重大人権侵害をめぐって「記憶する権利」「記念する権利」が問われています。

 日本では「表現の自由」「学問の自由」の名の下、歴史修正主義やヘイト・スピーチが横行しています。マイノリティを抑圧し、他者を侮辱する「表現の自由」「学問の自由」とは何でしょうか。

 歴史の事実を否定し、残虐行為を称賛する言説は「被害者」を傷つけます。それでは「被害者」は誰でしょうか。

 虚偽の歴史認識を広め、他者の歴史を否定し、憎悪をまき散らすことで傷ついているのは、マイノリティだけではなく、マジョリティ自身ではないでしょうか。レイシズムとヘイト・スピーチが傷つけているのは、民主主義であり、表現の自由であり、社会そのものではないでしょうか。

 こうした問題意識から、今回はジェノサイドとその否定を中心に歴史修正主義問題を取り上げます。

 第1に、関東大震災ジェノサイド(朝鮮人虐殺)を、世界のジェノサイドとの比較も念頭におきつつ、東アジアにおけるジェノサイドの一局面として位置付けて、その否定が持つ問題を考えます。カナダにおけるジェノサイドをめぐる議論と対比・交差させながら、問題の広さと深さを浮き彫りにします。

 第2に、日本による戦争犯罪や植民地支配を美化・正当化する歴史修正主義の「韓国版」としての「反日種族主義」現象を取り上げます。暴力と差別の被害者側に「特殊な歴史修正主義」が登場し、「日韓合同の歴史修正主義」が形成されつつあります。

 歴史修正主義とレイシズムは社会をどのように変容し、解体するのか。そのメカニズムを対象化することで、私たちの課題を考えます。

Tuesday, June 21, 2022

改憲を阻止し、命と平和を守る憲法に基づく政治への転換を求める 法律家団体のアピール

                                                                                                    2022620

 

改憲問題対策法律家6団体連絡会

社会文化法律センター 共同代表理事 海渡 雄一

自由法曹団 団長 吉田 健一

青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 上野  格

日本国際法律家協会 会長 大熊 政一

日本反核法律家協会 会長 大久保賢一

日本民主法律家協会 理事長 新倉  修

 

はじめに

 710日に投開票を迎える参議院選挙は、専守防衛政策を転換し、軍備を増強し、憲法9条を「改正」して戦争をする国に日本を変えるのか、それとも専守防衛政策を徹底し、憲法9条を活かして日本が非軍事的に平和を創造するあらゆる努力を続ける平和主義の立場を堅持するのかという重大な選択が主権者である市民に求められています。

私たち改憲問題対策法律家6団体連絡会(法律家6団体)は、改憲にNO!憲法蹂躙の政治に終止符を!の審判を下すことを広く市民に呼びかけます。

 

1  9条改憲にNO

岸田文雄首相は、在任中の改憲に強い意欲を見せており、施政方針演説でもその方針を明言するとともに、憲法記念日にも憲法9条への自衛隊明記への執念を表明しました。

こうした岸田首相の方針に呼応するかのように、衆議院憲法審査会で改憲ありきの異常な審議が続きました。国民生活の福利のために注力すべき予算審議の時期にあえて憲法審査会を開催しました。改憲論議を必要とする世論が醸成されていないにもかかわらず、自民党、公明党、維新の会、国民民主党などは、衆議院憲法審査会の毎週開催を強行に要求し、積極的に改憲論議を展開してきました。特に、ウクライナ侵攻を契機として自民党、維新の会は「憲法9条では国を守ることはできない」と述べ、憲法9条を「改正」し自衛隊を明記する必要性を強調しました。自衛隊が憲法に明記されれば、憲法9条は死文化し、歯止めのない軍拡と武力行使が可能となります。平和主義の理念を葬ることは、国民主権と基本的人権の尊重という憲法の体系そのものも破壊し、軍事の論理が人権や民主主義に優先する国となる危険があります。

 

2 国民(市民)の命と生活を犠牲にする戦争する国にNO

憲法9条違反の政治が自公政権のもとで進んでいます。岸田首相は、敵基地攻撃能力の保有と軍事力の抜本的強化を繰り返し宣言しています。敵基攻撃論は、国際法上違法とされる先制攻撃と紙一重であり、攻撃対象を「指揮統制機能」に拡大すれば、国際人道法違反にも問われかねないものです。523日の日米首脳会談では、ウクライナ危機を口実に「力に対して力で対抗する」ことが宣言されていますが、これは憲法9条が掲げる「外交による平和の実現」をかなぐり捨てるものです。

また、安倍晋三元首相や維新の会は「核共有」の議論を始めるべきと述べ、核兵器禁止条約に背を向け、日本が堅持し続けてきた非核三原則まで捨て去ろうとしています。自民党は、①敵地攻撃能力の保有並びに攻撃対象を敵国中枢に拡大②防衛予算を5年以内にGDP2%③日米軍事同盟のさらなる強化と核抑止力の強化④核持ち込み禁止の見直しなど、専守防衛政策の転換を求める提言を岸田首相に提出しました。

日本維新の会も、安倍元首相が民放番組で核共有の議論を促すとすぐさま賛成し、①防衛費増額GDP2% ②中距離ミサイル等の装備拡充③核共有等の拡大抑止の議論開始④専守防衛の「必要最小限」の見直しなどを打ち出しています。

しかし、専守防衛政策を捨ててこれ以上軍事力を増大させることは、日本や近隣諸国の安全保障環境を危機に陥れかねません。日本が敵基地攻撃能力を保有し、核共有を実施し軍事力を倍増させることは、必然的に周辺国の疑心暗鬼を招き他国も軍事力を増強することにつながります。軍事力に頼る抑止論は、果てしない軍拡の応酬と相互不信を生むだけであり、近隣諸国の緊張関係を亢進し軍事衝突の危険を逆に増すことになります。

むしろ地域のすべての国を包み込む安全保障と非軍事的支援の枠組みを作ることこそ唯一の平和への道であり、憲法9条はそれを指し示す役割を担っています。

さらに、軍事費を増大させることは、私たちの生活のために必要な福祉予算を削る、あるいは消費税を大増税するということを意味します。防衛費倍増5兆円があれば、大学授業料の無償化、児童手当の高校までの延長と所得制限の撤廃、小中学校の給食無償化(合計約3.2兆円)をしてさらに余りがでます。また、年金受給者に対してその受給額を一律年12万円増加させる(約5兆円)こともできます(63日東京新聞調べ)。ただでさえコロナ禍や近時の物価高騰で悩まされている市民は、こうした財政支出こそ望んでいるはずです。

私たちは、軍事力に依存した政策にきっぱりとNOを突きつけなければなりません。

 

3  「政策要望書」を一致点とした野党共闘こそ求められている

安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合(市民連合)は、59日、平和・暮らし・気候変動・平等と人権保障の4つの柱からなる「政策要望書」を発表し、立憲民主党、共産党、社民党、沖縄の風、碧水会の32会派はこの要望書を口頭にて確認しました。この確認された「政策要望書」には、「憲法が指し示す平和主義、立憲主義、民主主義を守り、育む」という理念が記されるとともに、「非核三原則を堅持し、憲法9条の改悪、集団的自衛権の行使を許さない、辺野古新基地建設は中止する」という目標が掲げられており、私たちの主張と一致しています。さらに「政策要望書」は、「すべての生活者や労働者が性別、雇用形態、家庭環境にかかわらず、尊厳ある暮らしを送れるようにする」、「原発にも化石燃料にも頼らないエネルギーへの転換を進め(る)」「すべての人の尊厳が守られ、すべての人が自らの意志によって学び、働き、生活を営めるように人権保障を徹底する」としています。これらは、いずれもコロナ禍の中で苦しめられてきた市民の命と暮らしを第一に据えた政策であり、私たち法律家6団体が求めてきたことと一致します。

私たちは、立憲野党がこの「政策要望書」を共有し、参議院選挙を共同して闘うよう決意したことを大いに歓迎するともに、この政策に基づき自公政権の下で破壊された憲法秩序と人権保障を回復する政治を実現し明文改憲を阻止することを強く期待します。

 

4 参議院選挙で勝利し改憲を阻止し、平和を創造する政治への転換を

 710日の参議院選挙を終えると、その後3年間は国政選挙はなされないと言われています。改憲勢力は、これまで選挙直前には「改憲」の主張を一時的に隠しますが、選挙直後には再び改憲を声高に叫んできました。仮に改憲勢力へ改憲に必要な3分の2の議席を与えてしまうと、この3年のうちに改憲発議がなされる危険も決して杞憂とは言えません。

その意味で、この参議院選挙は、軍事優先の国家づくりにストップをかけることができるか否か、東アジアの平和構築を図ることができるか否かの重大な選挙であると言えます。いうまでもなく、平和なくして命や人間の尊厳は守れません。

きたる参議院選挙では、改憲勢力である自民、公明、維新にNO!の審判を下すよう呼びかけます。そして、参議院選挙が、命を守り平和を創造する政治への転換となるよう、私たち法律家もみなさまとともに行動することを宣言します。

                                 以上

Saturday, June 18, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(199)憲法学との対話

ヘイト・クライム/スピーチについて延々と論文を書いてきた。初めてこの言葉に出会ったのは19978月に、国連欧州本部で開かれた人種差別撤廃委員会を傍聴した時だった。人種差別撤廃委員が「ヘイト・スピーチを処罰せよ」と言っているのに驚いた。1998年の千葉朝鮮会館強盗殺人事件の時に「ヘイト・クライム」という言葉を使った。

もっとも、ヘイト・スピーチは表現の自由との関係で刑事規制できないと、私も妄信していた。人種差別撤廃委員会で何度も耳にした「ヘイト・スピーチの処罰と表現の自由の保障は矛盾しない」という言葉の意味を理解するのに数年かかった。私自身が刑事規制の議論を始めたのは2009年の京都朝鮮学校襲撃事件からだ。差別擁護の邪教から脱するのに12年かかったことになる。

この間、膨大な論考に学び、私自身『ヘイト・クライム』『ヘイト・スピーチ法研究序説』『ヘイト・スピーチ法研究原論』『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『ヘイト・スピーチと地方自治体』と5冊の単著、及び数冊の共編著を公にしてきた。

その中で数多くの憲法学研究に学んできた。当初は刑事規制反対論が圧倒的に多いように見えた憲法学だが、この10年でかなり様変わりした。刑事規制を全否定するような議論は姿を消したと言って良いだろう。消極説と呼ばれる見解が必ずしも多数説でないことも明らかになった。中間説や積極説も徐々に増えている印象だ。

とはいえ、ヘイト・クライム/スピーチをめぐる研究はまだまだ不十分である。初歩的知識すらないのに結論を堂々と述べる論者が少なくない。『序説』では「スタートラインに立ったことがないのに、ゴールでガッツポーズを決めている」と揶揄しておいたが、憲法学にはこの傾向がまだあるようだ。

そうした中、表現の自由との関係でヘイト・スピーチについて本格的に論じる憲法学者がいるので、彼らの研究に学ぶことにして、このブログにその一部を書いてきた。例えば、

市川正人(立命館大学)

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/06/a.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/06/blog-post_10.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/06/blog-post_13.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/06/blog-post_14.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/06/e.html

松井茂記(大阪大学・ブリティッシュコロンビア大学)

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_20.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_12.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_13.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_15.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_16.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_85.html

根本猛(静岡大学)

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/01/a.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/01/blog-post_31.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_3.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/e.html

榎透(専修大学)

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/04/a.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/04/b.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/04/blog-post_14.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/04/blog-post_16.html

(榎透説については、この文章を大幅に手直しして、私の『要綱』109123頁に収録した)

今後も憲法学に学び、対話を心がけながら、私自身のヘイト・スピーチ法研究を進めていきたい。

Thursday, June 16, 2022

ヘイトスピーチ研究文献(198)憲法問題のソリューションe(最終回)

ヘイトスピーチ研究文献(198)憲法問題のソリューションe

市川正人「1 表現の自由――ヘイトスピーチの規制」市川正人・倉田玲・小松浩編『憲法問題のソリューション』(日本評論社、2021年)

第8に、立法事実である。

ヘイト・スピーチを規制する立法の根拠となる事実があるかどうか。つまり、差別やヘイト・スピーチの事件がどれほど発生しているか。ヘイト・スピーチによる被害がどの程度のものであるか。

*

①市川は、『表現の自由の法理』(日本評論社、2003年)において、差別的言動について詳細な研究を行い、ヘイト・スピーチに該当する言動の規制の可否について検討した。これを、私は『ヘイト・スピーチ法研究序説』で引用し、コメントした。ここでは、私のコメントではなく、憲法学者の奈須祐治『ヘイト・スピーチ法の比較研究』(信山社)463465頁から引用しておこう。奈須は「市川は規制には非常に消極的であるが、立法事実によっては限定された規制の余地は認める」という。これが2003年当時の市川説である。

②それでは12年後に市川はどのように論じただろうか。市川正人「表現の自由とヘイトスピーチ」『立命館法学』360(2015)は、ヘイト・スピーチの被害に関連して、次のように述べた。

「こうした拙稿のような立場については、ヘイトスピーチがマイノリティの人々に対して与えている被害についての理解、想像力を欠いたものである、所詮、マジョリティの立場からの立論に過ぎないといった強い批判がある。確かに、ヘイトスピーチの問題を考えるにあたりマジョリティに属する者にはマイノリティの人々の被害についての想像力が求められる。しかしまた、ヘイトスピーチを禁止し処罰する法律を制定した場合、それがわが国における表現の自由の保障に対してどのような影響を与える可能性があるかについての想像力も必要ではないだろうか」。

奈須祐治は「市川はヘイト・スピーチが過激化して以降も規制が必要なほど立法事実が変化したとは考えておらず、依然として規制に慎重な立場を表明している」という。

私は『ヘイト・スピーチ法研究原論』239頁で次のように指摘した。

「第一に市川は「マイノリティの人々に対して与えている被害についての理解、想像力を欠いたものである、所詮、マジョリティの立場からの立論に過ぎないといった強い批判がある」という。これは想像力ではなく、被害認識、人権侵害認識の問題である。市川は「マジョリティに属する者にはマイノリティの人々の被害についての想像力が求められる」と述べながら、その内実に言及しない。「しかし」以下で論点を変えてしまう。被害の有無及び被害の法的評価についての認識が問われているのに、答えようとしない。なぜ論点を変えるのであろうか。マイノリティの表現の自由を犠牲にしてマジョリティの表現の自由だけを求める本当の理由は何なのか。市川に限らず、ヘイト・スピーチ刑事規制に消極的な論者はほとんど被害について語らない。奥平康弘は「言論が言論である限り、他人に対してただちに現実に害悪を与えない」と主張する(『序説』七四七頁参照)。現に行われているヘイト・スピーチを見て「被害がない」と判断できる能力はどうすれば身に着くのだろうか。」(『原論』239)

 ヘイト・スピーチの刑事規制の可否を論じるためには、「ヘイトスピーチがマイノリティの人々に対して与えている被害についての理解」(市川)が重要となる。「被害の有無及び被害の法的評価についての認識が問われている」(前田)。

③さらに5年後の論文ではどうだろうか。市川正人「1 表現の自由――ヘイトスピーチの規制」市川正人・倉田玲・小松浩編『憲法問題のソリューション』(日本評論社、2021年)である。

市川は「特定の民族に対する特にひどい侮辱表現を当該民族に属する個人に直接向けられていない場合であっても処罰する法律・条例が許されるかどうかを判断するためには、日本における民族的マイノリティに対する差別の歴史と現状、当該民族を侮辱する表現がその集団に属する者に与える衝撃の程度、当該民族を侮辱する表現の頻度などを考慮する必要があろう」(11)という。

正当な認識である。

以上が市川説である。若干の感想を述べておこう。

1に、2003年当時の市川説は、ヘイト・スピーチ刑事規制に消極的ではあるが、立法事実によっては規制できる場合があるとしていた。しかし、その立法事実がないと判断していたと見える。

それでは、市川はどのような情報に基づいてどのように検討したのだろうか。いかにして立法事実はないと判断したのだろうか。それが示されていない。

2に、12年後の2015年当時の市川説も、「ヘイト・スピーチが過激化して以降も規制が必要なほど立法事実が変化したとは考えておらず、依然として規制に慎重な立場を表明している」(奈須)。

それでは、市川はどのような情報に基づいてどのように検討したのだろうか。いかにして立法事実はないと判断したのだろうか。それが示されていない。

ヘイト・スピーチの刑事規制の可否を論じるためには、「ヘイトスピーチがマイノリティの人々に対して与えている被害についての理解」(市川)が重要となる。それでは市川は「ヘイトスピーチがマイノリティの人々に対して与えている被害についての理解」をどのように形成したのだろうか。いかなる情報に基づいて判断したのだろうか。どのような基準で可否を決するのだろうか。それが全く示されていない。

3に、さらに5年後の2021年に、市川は「日本における民族的マイノリティに対する差別の歴史と現状、当該民族を侮辱する表現がその集団に属する者に与える衝撃の程度、当該民族を侮辱する表現の頻度などを考慮する必要があろう」と正当な指摘をする。

「考慮する必要があろう」と結ぶ市川は、それでは、何をどのように考慮したのだろうか。市川論文を読み進めても、「日本における民族的マイノリティに対する差別の歴史と現状」について何も書かれていない。「当該民族を侮辱する表現がその集団に属する者に与える衝撃の程度」について論じられない。「当該民族を侮辱する表現の頻度」について沈黙が貫かれる。

市川は5年間、何を「考慮」したのだろうか。18年間、何を検討したのだろうか。

立法事実については、ヘイト・スピーチ解消法の制定過程においても議論がなされた。それまで「日本には人種差別はない」と言い募ってきた日本政府は、2018年の人種差別撤廃委員会で、日本に人種差別があることを認めざるを得なかった。人種差別撤廃委員会からは、日本には長年にわたって人種差別があり、ヘイト事件が起きてきたことを指摘された。

立法事実については、これまで日本におけるヘイト・スピーチ研究で詳細に報告されている。数多くのジャーナリスト、被害当事者、研究者、弁護士が論陣を張ってきた。その一部を私は『序説』『原論』『要綱』の3冊で紹介した。このブログでも膨大な文献を紹介してきた。さらに、2つの年表を作成した。

主なヘイト・クライム/スピーチ事件裁判

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/06/blog-post_15.html

主なヘイト・クライム/スピーチ関連年表

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/06/blog-post_16.html

市川は、どのような情報に基づいて、どのような基準で、立法事実の有無について判断したのだろうか。なぜ、この点を明示しようとしないのだろうか。論拠を示さなければ、議論にならないのではないか。

市川は長年にわたって表現の自由を呼号してきたが、なぜ「表現の責任」には沈黙を貫くのだろうか。憲法学者は「責任ある表現の自由」を行使するべきではないだろうか。

(完)

主なヘイト・クライム/スピーチ関連年表

主なヘイト・クライム/スピーチ関連年表

 

63日に開催した「のりこえねっと」総会におけるシンポジウム「ヘイト裁判と日本社会」のために簡単な年表を作成した。元は、前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱』(三一書房)2527頁に掲載した年表を若干補充した。今後、さらに補充していくが、せっかく作成したので公開することにした。

若干補足。

1に、この年表を作成した最大の理由は、「最近ヘイト・スピーチが起きるようになった」「日本でも在特会によってヘイト・スピーチが起き始めた」という虚偽言説への批判である。その都度、批判してきたが、多くのジャーナリストや研究者がいまだに虚偽言説を流している。しかし、日本のヘイト・スピーチは最近の現象ではなく、長い歴史を有する。

2に、この年表は19462022年を扱っている。1945年以前の年表を作成する必要があるが、歴史研究者による共同研究が必要だろう。

3に、朝鮮人に対するヘイトが中心になっているのは、私のテーマが在日朝鮮人の人権だからである。それ以外の被害者についても、より本格的な研究が必要である。

4に、日本における差別とヘイトを推進・助長・実践してきたのは日本政府である。政府が差別の主体のため、差別批判が極めて貧弱であったことが日本の特徴と言って良い。第二次大戦後、少なくとも西欧世界では差別の克服が政府の主要な任務とされるようになったが、日本はこの任務に背を向け続けている。

5に、一部の憲法学者は、2016年のヘイト・スピーチ解消法制定に至る経過を取り上げて、「マイノリティが思想の市場に登場できなくても、マジョリティの一員がヘイト批判の声を上げたのだから、思想の自由市場の正当性が論証された」などと主張する。信じがたいトンデモである。

   数十年にわたって差別とヘイトを放置してきた歴史を無視して、最近、ようやく対処が始まったことだけを根拠にしている。

   マジョリティの一員が思想の自由市場で発言できるから、マイノリティが思想の自由市場に乗れなくても構わない、というのは、そもそも差別的であり、特権主義者の傲慢にすぎない。

最後に、日本国憲法は平和主義と民主主義の憲法であるが、同時に差別の根拠となってきたことを忘れてはならない。国民主権と天皇制は身分差別の根拠である。国民主権と国民の要件を定めた憲法第10条、及び制定過程において外国人の権利規定があったのを削除した経過からも、外国人差別の根拠規定となってきたことは否定できない。戦争への反省はあるが、植民地支配への反省がないことも確認しておこう。日本国憲法のレイシズムを検証する必要がある。

 

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1946 日本国憲法(天皇制、国民主権、外国人差別)

     上野警察・朝鮮人差別ポスター事件

     北海道アイヌ協会設立

     部落解放全国委員会結成

1947 外国人登録令(朝鮮人排除政策)

1948 阪神教育闘争(49年、朝鮮学校強制閉鎖)李太一殺害

     世界人権宣言

1949 在日本朝鮮人連盟強制解散

     朴柱範朝連兵庫県委員長獄死

1951 出入国管理法体制(朝鮮人排除・管理政策)

     武装警官隊、東京朝鮮学校乱入事件

     韓宇済殺害事件

1952 泉大津朝鮮小学校襲撃事件

     大津事件(申聖浩射殺)

1955 在日本朝鮮人総聯合会結成

     部落解放全国委員会、部落解放同盟に改称

1960 三池差別糾弾闘争

1961 北海道アイヌ協会、ウタリ協会に改称

1962 法政二高殺人事件(辛英哲殺害)

1963 朝鮮高級学校生への暴行事件多発

     狭山事件発生(石川一雄逮捕)

1965 日韓条約(日韓条約反対闘争)

     外国人学校に関する文部省次官通達

     国連人種差別撤廃条約採択(差別禁止とヘイト・スピーチの犯罪化)

1966 朝鮮高級学校生への暴行事件

     国際人権規約採択(自由権規約にヘイト・スピーチ規制規定)

1967 武装自衛官、朝鮮大学校正門前で射撃訓練

1968 外国人学校法案(朝鮮学校管理目的)

 東京都、朝鮮大学校認可問題

1969 同和対策事業特別措置法(2002年事業終了)

     矢田教育差別事件

     朝鮮高級学校生への暴行事件

1970 朝鮮高級学校生への暴行事件

     九州朝鮮学校寄宿舎放火事件

     愛知朝鮮学校放火事件

1971 朝鮮高級学校生への暴行事件

1972 東京朝鮮学校放火事件

     大阪朝鮮学校放火事件

1975 学校教育法改正(専修学校制度創設)

 部落地名総鑑事件発覚(以後繰り返し発生)

1977 狭山事件最高裁決定(上告棄却、無期懲役確定)

     川崎バス闘争(青い芝の会)

1979 国連女性差別撤廃条約

1980 日本、女性差別撤廃条約批准

1986 中曽根康弘首相・単一民族国家発言

     中曽根康弘首相・黒人差別知的水準発言

1987 大韓航空機事件

(朝鮮学校に対する脅迫電話、生徒に対する暴行事件多発)

1989 国会「パチンコ疑惑」騒動

(朝鮮学校に対する脅迫電話、生徒に対する暴行事件多発)

国連児童の権利条約(子どもの権利条約)

1990 国連移住労働者家族権利保護条約(日本、未批准)

1993 国連マイノリティ権利宣言

     外国人技能実習制度発足

1994 「北朝鮮核疑惑」騒動

(朝鮮学校に対する脅迫電話、生徒に対する暴行事件多発)

     国連人権小委員会に在日朝鮮人差別事件を報告(以後継続的に報告される)

     在日本朝鮮人人権協会設立

1995 日本、人種差別撤廃条約加入

1997 アイヌ文化振興法(北海道旧土人保護法廃止)

               日系ブラジル人少年集団リンチ死亡事件(エルクラノ殺害)

1998 北朝鮮「人工衛星テポドン」打上げ騒動

(朝鮮学校に対する脅迫電話、生徒に対する暴行事件多発)

 千葉朝鮮会館強盗殺人放火事件(羅勲殺害)

 朝鮮総連本部火炎瓶事件

1999 石原慎太郎都知事・障害者差別発言

2000 石原慎太郎都知事・「第三国人」差別発言

     人権教育及び人権啓発の推進に関する法律制定

     国連子ども売春・ポルノに関する選択議定書

2001 石原慎太郎都知事・「ババア」差別発言

 人種差別撤廃委員会、日本政府報告書審査・是正勧告

2002 9.17日朝ピョンヤン宣言

朝鮮政府、日本人拉致問題を認める

(朝鮮学校に対する脅迫電話、生徒に対する暴行事件多発)

2003 枝川朝鮮学校立退き裁判を東京都が東京地裁に提訴

     部落差別連続大量はがき事件始まる(~04年)

     国立大学受験資格差別問題・大学入学資格弾力化問題

2005 アダマ・ディエン国連人種差別特別報告者訪日調査

     麻生太郎総務相・単一民族国家発言

     日本、国連子ども売春・ポルノに関する選択議定書批准

2006 アダマ・ディエン国連人種差別特別報告者報告書

北朝鮮ミサイル発射・核実験

(朝鮮学校に対する脅迫電話、生徒に対する暴行・暴言事件多発)

朝鮮総連本部脅迫郵便事件

朝鮮総連神奈川県西湘同胞生活綜合センター放火未遂事件

障害者権利保護条約

2007 三・一在日朝鮮人集会・日比谷音楽堂使用拒否事件

金剛山歌舞団公演妨害事件(仙台市、岡山市)

在日特権を許さない市民の会(在特会)設立

国連先住民族権利宣言採択

日本政府、障害者権利保護条約署名

2008 国連人権理事会・第1回普遍的定期審査、多数の差別問題改善勧告

2009 カルデロン一家差別事件

 秋葉原ヘイトデモ事件

 三鷹市民協働センター事件

 京都朝鮮学校襲撃事件(~10年)

 北海道ウタリ協会、アイヌ協会に改称

2010 人種差別撤廃委員会、日本政府報告書審査・是正勧告

 高校授業料無償化適用・朝鮮学校除外方針公表

 徳島県教組乱入事件

 浦和レッズ・サポーター差別発言事件

石原慎太郎都知事・同性愛者差別発言

2011 京都朝鮮学校襲撃事件刑事一審・京都地裁判決

 京都朝鮮学校襲撃事件刑事二審・大阪高裁判決

2012 水平社差別街宣事件民事一審・奈良地裁判決

 ロート製薬事件刑事一審・大阪地裁判決

 東京・新大久保ヘイトデモ(~13年)

国連人権理事会・第2回普遍的定期審査、多数の差別問題改善勧告

2013 ヘイト・スピーチが流行語となる

     国際社会権委員会、「慰安婦」ヘイト・スピーチ対策の勧告

 京都朝鮮学校襲撃事件民事一審・京都地裁判決

 「鶴橋大虐殺を実行する」街宣発言事件

 川崎市ヘイトデモ事件頻発へ

     障害者差別解消推進法

2014 国際自由権委員会、日本政府報告書審査・是正勧告

人種差別撤廃委員会、日本政府報告書審査・是正勧告

 京都朝鮮学校襲撃事件民事二審・大阪高裁判決

 浦和レッズJapanese Only事件

 ツエーゲン金沢選手差別発言事件

 横浜マリノス・バナナ事件

 札幌市議「アイヌ民族はいない」発言

2016 大阪市ヘイト・スピーチ条例制定

 ヘイト・スピーチ解消法成立

 川崎市ヘイトデモ横浜地裁川崎支部仮処分決定

 部落差別解消促進法

 大阪府警警察官・沖縄「土人」発言

 相模原市・津久井やまゆり園事件

 小池百合子都知事・関東大震災朝鮮人虐殺追悼文拒否

 外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律

2017 TOKYO MX「ニュース女子」差別事件

     行橋市議・関東大震災朝鮮人虐殺容認発言

2018 朝鮮総連本部銃撃事件

 人種差別撤廃委員会、日本政府報告書審査・是正勧告

 アイヌ施策推進法

 国連人権理事会・第3回普遍的定期審査、多数の差別問題改善勧告

2020 川崎市ヘイト・スピーチ条例制定

     麻生太郎財務相・単一民族国家発言

 京都朝鮮学校名誉毀損事件民事一審・京都地裁判決

 京都朝鮮学校名誉毀損事件民事二審・大阪高裁判決

 兵庫県サッカー協会朝鮮人差別発言事件

 DHC朝鮮人差別書き込み事件

2021 入管法改正問題、ウィシュマ・サンダマリ死亡事件

日テレ『スッキリ』アイヌ民族差別事件

     川崎市ふれあい館脅迫手紙郵送事件

     DHC会長朝鮮人差別書き込み事件

     三重県警外国人差別イラスト事件

     ウトロ放火事件

     DHC「ニュース女子」訴訟・東京地裁判決

2022 行橋市議ヘイト・スピーチ訴訟・福岡地裁小倉支部判決

     DHC「ニュース女子」訴訟・東京高裁判決

     ウトロ等連続放火事件・刑事一審公判始まる

 

 

 

 

*主な資料:

①在日朝鮮人の人権を守る会編『在日朝鮮人の基本的人権』(二月社、1977年)

床井茂編『いま在日朝鮮人の人権は』(日本評論社、1990年)

朝鮮人学生に対する人権侵害調査委員会編『切られたチマ・チョゴリ』(在日朝鮮人・人権セミナー/マスコミ市民、1994年)

朝鮮人学生に対する人権侵害調査委員会編『再び狙われたチマ・チョゴリ』(在日本朝鮮人人権協会、1998年)

在日朝鮮人・人権セミナー編『在日朝鮮人と日本社会』(明石書店、1999年)

在日コリアン研究会編『となりのコリアン――日本社会と在日コリアン』(日本評論社、2004年)

金徳龍『朝鮮学校の戦後史』(社会評論社、2004年)

在日朝鮮人・人権セミナー『在日朝鮮人への人権侵害について』(在日朝鮮人・人権セミナー、2006年)等。