市川正人「1 表現の自由――ヘイトスピーチの規制」市川正人・倉田玲・小松浩編『憲法問題のソリューション』(日本評論社、2021年)
*
第4に思想の自由市場論である。すでに引用した通り、市川は思想の自由市場への批判に応答して、次のように述べる。
「しかし、こうした立論を安易に認めれば、「『思想の自由市場』の実質的な保障」、「表現の自由を守るため」といった名目で、国家による広い範囲の表現行為の禁止が認められることになり、表現の自由の保障は大きく損なわれることになるであろう。」(10頁)
市川は批判対象を明示していないため、誰を批判しているのか不明である。しかし、「表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを刑事規制する」というのは、私の主張の中核部分であり、『ヘイト・スピーチ法研究序説』『ヘイト・スピーチ法研究原論』『ヘイト・スピーチ法研究要綱』の3冊の著書の「はしがき」冒頭に掲げた一文である。他に同様の主張をしている研究者がいるかもしれないが、私は見たことがない。ヘイト・スピーチと銘打った法律書でこのように主張してきたのは私だけだろう。なお、私は「ヘイト・スピーチを規制しなければ表現の自由を守れない」という主張もしてきた。
ただ、私が「表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを刑事規制する」と主張してきたのは、思想の自由市場論への批判と言うよりも、表現の自由の民主主義的側面、及び「表現の自由と責任」という観点でのことだ。
*
そこで、第5に民主主義である。
表現の自由は単に個人の人格的な側面にかかわるだけでなく、民主主義の実現にとって重要である。ヘイト・スピーチは社会構成員の排除と殺害を唱えるのであるから、民主主義を掘り崩す。民主主義とヘイト・スピーチは相容れない。このことを私は何度も指摘してきた。ただし、これは私のオリジナルではない。国連人権理事会では、「レイシズムと民主主義は両立しない」というのは常識の部類に属するので、私は常識を援用してきた。私は市川に対して、『ヘイト・スピーチ法研究原論』240頁で、次のように指摘した。
「第四に自己統治の価値とは民主主義の範疇に属する事柄である。民主主義とレイシズムは両立しないはずである(本章第1節参照)。にもかかわらず、民主主義的価値を根拠にヘイト・スピーチ処罰を否定的に解する離れ業である。民主主義観そのものが問われている。」
しかし、市川はこれに応答しない。市川の目に留まらなかったのかもしれない。それとも、市川にとっては民主主義とヘイト・スピーチが両立するのだろうか。もしそうだとすると、レイシズムやヘイト・スピーチと両立する市川の民主主義とは何なのかが問題となる。
*
第6に「表現の自由と責任」である。
憲法第12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と明示する。自由及び権利には責任が伴うという当然ことを憲法は明確に表現している。
憲法第13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と明示する。
自由と権利は「公共の福祉に反しない限り」保障される。それゆえ、日本国憲法は「表現の自由と責任」を調和の取れた解釈で実現することを求めている。憲法第21条の表現の自由は「表現の自由と責任」の観点で解釈されるべきである。市川は憲法第12条及び第13条をなぜ無視するのだろうか。
私の『ヘイト・スピーチ法研究原論』240頁では、市川を名指しして次のように述べた。
「日本国憲法前文に掲げられた理念(民主主義、平和主義、平和的生存権)をもとに、憲法第一三条の個人の尊重、第一四条の法の下の平等と差別の禁止、第一二条の自由と権利に伴う責任規定を根拠に、ヘイト・スピーチの刑事規制は憲法の趣旨に合致すると考えるべきではないだろうか。憲法第二一条を持ち出して日本国憲法の基本原則を否定するのは本末転倒ではないだろうか。」
しかし、市川は今回の論文でも憲法第12条や第13条を無視する。不思議だ。自由や権利の行使には責任が伴うことを市川は認めないのだろうか。日本国憲法が、自由の制約原理の一つとして責任を明示しているのに、これを否定するのだろうか。日本国憲法が明示する自由の制約原理は、公共の福祉と責任である。
表現の自由をきちんと実現するためには、同時に表現の責任を明確にしておかなくてはならない。『序説』『原論』『要綱』、及び前田朗『メディアと市民――責任なき表現の自由が社会を破壊する』(彩流社)において、私は何度も「表現の自由と責任」と唱えてきた。表現の自由について1分でも考えればすぐにわかることであるし、日本国憲法がはっきりと明示している。