Friday, February 11, 2022

表現の自由に守る価値はあるか!? 01

松井茂記『表現の自由に守る価値はあるか』(有斐閣、2020年)

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641228009

松井は大阪大学名誉教授で、現在はブリティッシュコロンビア大学教授。著書に『司法審査と民主主義』『二重の基準論』『情報公開法入門』『マス・メディアの表現の自由』『インターネットの憲法学』『インターネットと法』『表現の自由と名誉毀損』『図書館の表現の自由』『マス・メディア法』『犯罪加害者と表現の自由』など多数。憲法学における表現の自由研究の大家として知られる。

目次

1章 ヘイトスピーチと表現の自由

2章 テロリズム促進的表現と表現の自由

3章 リベンジ・ポルノと表現の自由

4章 インターネット上の選挙活動の解禁と表現の自由

5章 フェイク・ニュースと表現の自由

6章 「忘れられる権利」と表現の自由

松井の『表現の自由と名誉毀損』ではヘイト・スピーチについてほとんど言及していなかったが、本書では第1章で90頁にわたってヘイト・スピーチについて論じている。ここ数年、ヘイト・スピーチが社会問題化し、憲法学を始め多くの法学者がヘイト・スピーチについて論じてきた。表現の自由研究で知られる憲法学者の多くは早くに論陣を張っていたが、松井は本書において詳しく論及している。

「表現の自由に守る価値はあるか」という表題は、憲法学が「表現の自由の優越的地位」と称して、表現の自由という価値を守るために努力を積み重ねてきたのに、現実には表現の自由への制約が増えてきており、不当な制約が多いのではないか、表現の自由に守る価値はないのか、という思いからの挑発が込められている。

「かつては表現の自由保護の大切さを信じていた人々の間でも、表現の自由の政府による制約を容認し、あるいは積極的に支持する人が増えているように感じられる」(はしがき)という松井の危機感がある。本書で取り上げるのは、ヘイト・スピーチ、テロ表現、リベンジ・ポルノ、ネット上の選挙活動等であり、その冒頭に置かれているように、何よりもまず、ヘイト・スピーチの規制を求める声が強まっていることに対抗して、表現の自由を死守するための著書である。

昨春、本書を購入して読み始めたが、早々に挫折してしまった。読み進める気力がなくなったためだ。というのも、いきなり次の記述にぶつかってしまった。松井は、在日朝鮮人の国籍について、朝鮮籍・韓国籍の説明をして、次のように述べる。

「これら朝鮮人の国籍は微妙である。朝鮮戦争の結果、北朝鮮と韓国が認められ、その後、日本政府と韓国の間で外交関係を正常化するための条約が締結され、韓国の国籍を持つ朝鮮人には韓国の国籍が認められた。しかし、日本はなお北朝鮮との間に正式の外交関係がない。それゆえ北朝鮮の支配下の地で生まれた朝鮮人は、未だ正式の国籍がない。」(本書16頁)

この短い文章にはいくつもの疑問がある。

1に、松井は「朝鮮戦争の結果、北朝鮮と韓国が認められ」という。

意味不明である。

1948815日 大韓民国建国

194899日 朝鮮民主主義人民共和国建国

1950625日 朝鮮戦争勃発

「~認められ」の主語が書かれていない。国家承認の意味であれば、国際社会がどのように国家承認をしたのか。「朝鮮戦争の結果」というのは意味不明。「日本政府が認めた」という趣旨ではないだろう。日本政府は「北朝鮮」を認めていない。二重三重の意味で奇妙な文章だ。

2に、松井は「韓国の国籍を持つ朝鮮人には韓国の国籍が認められた」という。

これも意味不明である。「韓国の国籍が認められた」というのは、どうやら「日本政府が認めた」という意味である。しかし本来、在日朝鮮人のAが韓国籍を保有するかどうかは韓国政府が決めることであって、日本政府が決めることではない。そもそも、「日本の国籍を持つ日本人には日本の国籍が認められた」と言い換えればわかる様に、ナンセンスギャグでしかない。善意で解釈すれば、上の一文は次の意味となる。「韓国が承認した国籍を持つ朝鮮人には、日本の外国人登録法上の韓国の国籍表記が認められた」。

3に、松井は「北朝鮮の支配下の地で生まれた朝鮮人」という。

何を言っているのだろうか。在日朝鮮人の圧倒的多数の出身地は慶尚北道、慶尚南道、済州島である。つまり、「朝鮮半島南部で生まれた朝鮮人とその子孫」である。植民地時代の江原道、平安北道、平安南道、平壌出身の在日朝鮮人とその子孫はせいぜい1~2%であろう。まして1948815日以後に朝鮮半島北部から日本に移住した朝鮮人の存在はほとんど知られていない。

4に、松井は「北朝鮮の支配下の地で生まれた朝鮮人は、未だ正式の国籍がない」という。

日本政府が外国人登録で用いる「朝鮮」は朝鮮民主主義人民共和国を指していない。もともと朝鮮半島出身を指していた。後に「朝鮮半島出身者で、韓国国籍でない者」を指すようになった。「朝鮮籍」の朝鮮人は「北朝鮮の支配下の地で生まれた」訳ではない。どこで生まれたかではなく、「韓国籍を選択しなかった」のである。

国籍そのものについて言えば、朝鮮籍の朝鮮人とは、朝鮮民主主義人民共和国が国籍を承認した朝鮮人のことである。日本の外国人登録法上の「朝鮮」籍の朝鮮人は、大雑把に言うと、「朝鮮民主主義人民共和国の公民」であることを選択した者と、韓国籍を選択しなかった者の両方を含む。

5に、松井は「未だ正式の国籍がない」と言う。

朝鮮籍の朝鮮人のうち「朝鮮民主主義人民共和国の公民」であることを選択した者の正式の国籍は朝鮮籍である。在日朝鮮人のBが朝鮮籍を保有するかどうかは朝鮮民主主義人民共和国が決めることであって、日本政府が決めることではない。「未だ正式の国籍がない」のではなく、「正式の国籍」があるのに日本政府と松井が勝手にこれを否認しているのである。これは、本人の国籍が何処であるかと、日本政府がそれを認めているかの混同に由来する。

松井は国籍を「日本政府が認めるか否かの問題」としているが、国際社会では国籍は権利の問題でもある。国際人権法では次のように考える。

世界人権宣言第15条は「1 すべて人は、国籍をもつ権利を有する。2 何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。」とする。

市民的政治的権利に関する国際規約(国際自由権規約)第243項は「すべての児童は、国籍を取得する権利を有する。」とする。

人種差別撤廃条約第5条1項(d)「他の市民的権利」の(iii)「国籍についての権利」は、国籍の権利について非差別と法の前の平等を定める。

④女性差別撤廃条約第9条は「締約国は、国籍の取得、変更及び保持に関し、女子に対して男子と平等の権利を与える。締約国は、特に、外国人との婚姻又は婚姻中の夫の国籍の変更が、自動的に妻の国籍を変更し、妻を無国籍にし又は夫の国籍を妻に強制することとならないことを確保する。」とする。

同条第2項は「締約国は、子の国籍に関し、女子に対して男子と平等の権利を与える。」とする。

児童の権利条約(子どもの権利条約)第71項は「児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。」とする。

以上のように、国籍は権利の問題である。人の権利である国籍について、他人が勝手に変更したり、否認することは許されない。なぜ松井は国家権力を振り回すのだろうか。

松井の議論は誤謬だらけで粗雑であり、他人の人権を侵害している。フェイク爆発本に6,800円という値段をつけて売り出すのは詐欺商法ではないか。

と言う次第で、絶句のあまり、松井の本を読む気力が失せて、放置していた。しかし、本題のヘイト・スピーチについて何が書かれているか、やはり読む必要がある。