Friday, June 10, 2022

ヘイトスピーチ研究文献(198)憲法問題のソリューションa

市川正人「1 表現の自由――ヘイトスピーチの規制」市川正人・倉田玲・小松浩編『憲法問題のソリューション』(日本評論社、2021年)

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立命館大学の市川正人の定年退職記念出版であり、執筆者14名の内10名が立命館大学の教員である。通常、還暦記念とか退職記念の出版は研究論文を集めるものだと思っていたが、本書は研究論文ではなく学生向けの演習テキストとしての解説文集である。180頁の本なのでざっと読むのにさして時間はかからない。「自由」「権利」「権力」「原理」の4部編成で、読者・学生に考えさせる論稿を収録している。

市川は憲法学者であり、表現の自由研究の大家として知られる。著書は『表現の自由の法理』(日本評論社、2003年)、『司法審査の理論と現実』(日本評論社、2020年)。その他共著がある。

市川『表現の自由の法理』については、私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』753頁以下で言及した。

他方、市川正人「表現の自由とヘイトスピーチ」『立命館法学』360(2015)が公表された。この論文で市川は、私の見解を批判した。

そこで、私の『へイト・スピーチ法研究原論』237頁以下で応答した。

今回の市川論文には、私の名前は出てこないが、私のことを指しているのだろうと見られる箇所がある。ごく短い言及にすぎず、正面から私を批判したものではない。

なお、私は市川をヘイト・スピーチ処罰消極論者と見ていたが、奈須祐治『ヘイト・スピーチ法の比較研究』(信山社)463465頁は、市川説を消極説ではなく「代表的な中間説」に分類している。奈須は「市川は規制には非常に消極的であるが、立法事実によっては限定された規制の余地は認める」、「市川はヘイト・スピーチが過激化して以降も規制が必要なほど立法事実が変化したとは考えておらず、依然として規制に慎重な立場を表明している」という。市川は理論的には規制の可能性があることを否定しないが、実際には規制を否定する立場であろうか。

<市川論文の目次>

Ⅰ 報道によると

 1 「ヘイト 刑事罰条例成立 公の場で 海外出身者・子孫を理由に 川崎市 全国初

 2 「ヘイト根絶へ『全国に広がって』川崎市条例が全面施行」

Ⅱ 何が問題なのか

Ⅲ 考えてみるには

 1 表現の自由の意義と限界

(1)  表現の自由保障の意味

(2)  犯罪の煽動

(3)  名誉毀損

2 ヘイトスピーチの規制・処罰についての考え方

(1)  特定の個人・団体に向けられているヘイトスピーチ

(2)  差別・暴力煽動罪

(3)  民族侮辱罪

Ⅳ 「答え」を導き出そう

 1 条例が禁止する「不当な差別的言動」の類型

 2 煽動タイプ

 3 侮辱タイプ

市川は川崎市条例を素材に、ヘイト・スピーチの刑事規制の可否について検討する。表現の自由の意義を再確認し、犯罪の煽動や名誉毀損の中には規制できる場合があるとしつつも、「思想の自由市場論」を唱えるとともに、「明白かつ現在の危険」の法理を採用するべきだと主張する。煽動に関する最高裁判例は「明白かつ現在の危険」の法理を採用していない、この法理は長年にわたって採用されてこなかったので、日本国憲法の法理とは考えられていないが、市川はこれを採用すべきだと主張する。

「思想の自由市場論」に対しては、それはヘイト・スピーチには妥当しないとか、対抗言論は当事者間に立場の互換性が必要である等の多くの批判があるため、市川はこれらを検討して次のように述べる。

「しかし、そもそも『思想の自由市場』論においては、本来、だれでもが思想の自由市場に登場することを禁止されていなければよいのであって、表現行為のしやすさや思想内容の受け入れられやすさは問題とならない。それゆえ、実際に反論することが困難であるとか、反論が有効性をもたないがゆえに『思想の自由市場』論は十分に機能しないので、当該表現を禁止すべきだという主張は、国家の規制によって健全な思想の自由市場を確保しようとするものであって、『思想の自由市場』論に立つ表現の自由論に大きな修正を加えようとするものである。しかし、こうした立論を安易に認めれば、「『思想の自由市場』の実質的な保障」、「表現の自由を守るため」といった名目で、国家による広い範囲の表現行為の禁止が認められることになり、表現の自由の保障は大きく損なわれることになるであろう。」(10頁)

この考え方から、市川はヘイト・スピーチ刑事規制の根拠として十分な立法事実があればともかく、「しかし、今のところそうした論証が十分説得的になされているとは言い難い」(10頁)と結論付ける。

民族侮辱罪について、市川は、「裁判所という国家機関が、表現の自由の機能にとって役立つか否かで価値の高い表現と価値の低い表現とを分類することを認める立場には、疑問がある。それゆえ、差別的表現も他の表現と同様、例外的にどうしても必要な場合だけ必要なかぎりで制約されるという立場が適切であろう」(11)という。

そして市川は「特定の民族に対する特にひどい侮辱表現を当該民族に属する個人に直接向けられていない場合であっても処罰する法律・条例が許されるかどうかを判断するためには、日本における民族的マイノリティに対する差別の歴史と現状、当該民族を侮辱する表現がその集団に属する者に与える衝撃の程度、当該民族を侮辱する表現の頻度などを考慮する必要があろう」(11)という。

「Ⅳ 「答え」を導き出そう」の「2 煽動タイプ」で、市川は川崎市条例の具体的な解釈について、明白かつ現在の危険に基づいて限定解釈を施すよう主張する。

「本気で本邦外出身者をその居住する地域から退去させることをあおるものであり、実際に発言を聞いた者が本邦外出身者をその居住する地域から退去させる行為――本邦外出身者の居住する地域に押しかけ無理やり退去させることのほか、居住する地域に押しかけ騒音を出し平穏な日常生活を損なうことなど――に出る明白かつ現在の危険があって初めて禁止された『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』にあたる、と限定解釈が加えられるべきであろう」(13)という。

「3 侮辱タイプ」についても、市川は「条例が禁止する『本邦外出身者を人以外のものにたとえるなど、著しく侮辱すること』は、川崎市の本邦外出身者の集住地域でなされ、特定の人や団体に向けられているのと同視できるようなものを指す、と限定して解釈すべきであろう」(14)という。

以上が市川論文のエッセンスである。