Monday, March 08, 2021

レイシズムを解体する理論の前哨

梁英聖『レイシズムとは何か』(ちくま新書)

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480073532/

第1章 レイシズムの歴史―博物学から科学的レイシズムへ

第2章 レイシズムとは何か―生きるべきものと死ぬべきものとを分けるもの

第3章 偏見からジェノサイドへ―レイシズムの行為

第4章 反レイシズムという歯止め

第5章 一九五二年体制―政策無きレイシズム政策を実施できる日本独自の法

第6章 日本のレイシズムはいかに暴力に加担したのか

第7章 ナショナリズムとレイシズムを切り離す

前著『日本型ヘイト・スピーチとは何か』(影書房)に続くスマッシュヒットである。梁は一橋大学大学院に学ぶ研究者であると同時に、レイシズムを調査・分析し、反レイシズム運動を進めるNGO「反レイシズム情報センター(ARIC)」代表である。

梁は、世界のレイシズムの歴史をたどり、その特質を抽出する。レイシズムは差別であり、差別助長の思想であり、差別の煽動であるが、単なる差別にとどまらず「生きるべきものと死ぬべきものとを分けるもの」である。敵と味方を分かつ基準である。それゆえ、偏見を放置しておくと差別につながり、やがて暴力へ、それもジェノサイドや人道に対する罪としての殲滅に至りかねない。

梁によると、国際社会は、国連憲章、人種差別撤廃条約などで反レイシズムの第一段階を経験した。1945年に始まり1960年代まで続いた植民地主義と人種主義に対する闘いとしての反レイシズム1・0である。にもかかわらず、レイシズムはなくならず、新たな形態をもって世界を苦しめてきた。このため1980~90年代、反レイシズム1・0のアップデートとして反レイシズム2・0が進められ、ヘイト・クライム/スピーチ規制、ホロコースト否定の犯罪化が実現した。これに対応して、さらに新たなレイシズム現象が生じている。

(梁は書いていないが、ここ10年程、国際社会はラバト行動計画、人種差別撤廃委員会一般的勧告35、ベイルート宣言、国連ヘイト・スピーチ戦略・行動計画を策定している。反レイシズム2・0のアップデートが続いている。)

ところが、梁によると、日本には反レイシズム1・0も2・0もまったくない。反レイシズムの規範が成立していない。その理由を、梁は「一九五二年体制―政策無きレイシズム政策を実施できる日本独自の法」と特徴づける。特定の激烈なレイシズム運動やレイシズム政策があったのではなく、入国管理体制と外国人登録法という形で、在日朝鮮人の排除と差別が徹底的に組み立てられた。日本国憲法の平和主義と民主主義と言いながら、実は世界でも珍しい「政策無きレイシズム政策」が貫徹した。ここに日本レイシズムの秘密がある。

梁は、入国管理体制や外国人登録法の下での朝鮮人差別と暴力の歴史を瞥見し、その変遷過程を踏まえつつ、「反差別ブレーキ」の存在しない社会におけるレイシズムの実相を暴き出す。在留資格、国籍問題、民族教育への差別と弾圧等々である。

日本に反レイシズム規範を確立すること、そのために歴史に学び、反レイシズム1・0と2・0の意義と射程を測定し、具体的に反レイシズム実践を積み重ねること。

梁の闘いは続く。

私は1989年に仲間と「在日朝鮮人・人権セミナー」を立ち上げ、事務局長として取り組んだ。いわゆる「チマ・チョゴリ事件」――朝鮮学校生徒に対する差別と暴力事件が頻発した時期であり、当時、私が作成した資料を梁も利用している。私たちの反差別運動はもちろん反差別規範を樹立するために闘われた。にもかかわらず、梁が指摘するように、それはまったく実現できなかった。

1990年代の「戦後補償運動」、特に日本軍性奴隷制の解決を求める運動の成果があったが、その後の反動は大きかった。同じ時期に、日本政府が人種差別撤廃条約を批准し、人種差別撤廃委員会での審査が行われたので、私たちの活動領域も大いに広がった。にもかかわらず、2000年代以後のヘイト・スピーチ大流行である。平和主義と民主主義を唱えるリベラル派憲法学者がヘイト・スピーチ擁護の論陣を張る異常な国である。

反差別、反レイシズム規範をこの社会に樹立すること、当たり前のことであり、必須不可欠のことであるが、これほど困難なことはないというのが現状である。

梁の問題提起を受けて、理論的にも実践的にも次の一歩を踏み出したい。現在、仲間と「ダーバン+20」の取り組みを相談中である。2001年に南アフリカのダーバンで開かれた反人種主義・人種差別世界会議20周年に、反差別運動の次の段階を目指す取り組みである。