Monday, March 05, 2018

「破れ傘」か、万全の「核の傘」か


太田昌克『偽装の被爆国――核を捨てられない日本』(岩波書店)


核問題を追跡してきた共同通信記者(現在、編集・論説委員)の最新刊。17年9月に出たときに購入したが、ようやく読んだ。

<核兵器禁止条約に参加しない「唯一の被爆国」、日本。

アメリカの核の抱擁の中で、なおも冷戦の夢を見続ける国、日本。>

都合のよいときには「唯一の被爆国」などと唱えながら、アメリカの「核の傘」に入って、周辺諸国を威嚇し、報復戦争をあおり、核兵器禁止条約に反対し、なりふり構わぬ「属国」ぶりの日本政府の異常性は今更のことではないが、なぜこのような異常さを異常とも思わず、堂々たる「属国主義」を貫けるのか、その理由はやはり「謎」であった。普通の神経のなせる技ではないからだ。嘘と自己欺瞞と二重基準だけなら、シビアな外交の場ではどの国も計算づくで動くので珍しいことではないかもしれないが、日本の場合は飛び抜けている。自分の言葉が何を意味するのか全くわからずに次々と虚言を並べ立て、前の自分の言葉を忘れてまた新たな虚言の世界に敢然と突入していくのだから、奇跡的とさえいえる。そんな「謎」を一つひとつ解き明かすのが本書である。


プロローグ 「アトミック・サンシャイン」の陰で

第1章      被爆国の「素顔」

第2章      トランプの影

第3章      まかり通る虚構

第4章      剥がれた“非核の仮面”

第5章      ドイツ――もうひとつの核密約

エピローグ 道徳の目覚めか、破滅の弾雨か


オバマの広島訪問、トランプの行きあたりばったり外交の恐怖、中国と朝鮮、これらに直面する日本の安倍政権の危険な綱渡り。よく知られていることだが、本書は、それらを歴史と証言の中に位置づけ、日本外交の積年の虚構と、安倍政権に独自の虚構、両者の積み重ねにより収拾のつかなくなった様を描き出す。日本政府の核兵器禁止決議の虚偽、核兵器禁止条約に執拗に反対した妄動はよく知られる。オバマの核先制不使用宣言に日本が反対し、これを阻止しようとしたことはごく一般的にしか知られていなかったのではないだろうか。


著者は、アメリカの「核の傘」を破れ傘とみているようだ。なるほどと思う点もあるが、私は破れ傘というよりも、「傘の中の核」という視点で見てきた。本書出版の後の動きでも、トランプ政権の核政策は、東アジアにおける核戦争をアメリカに影響しない範囲で実施する可能性を明らかにしている。傘が破れてはアメリカが困るのだ。

著者は、破れ傘になると「核の傘」を保障しているアメリカの同盟国としての信用性に関わるとみている。これは甘すぎる。普通、傘が役に立つのは空から雨が降ってくる場合である。しかし、傘の中で雨が降ったら、どうなのか。東アジアで核戦争を起こしても、傘がしっかりしていれば、被害は東アジアにとどまり、アメリカには及ばない。アジアで戦争を起こし、アメリカ本土に影響させないのがアメリカの常識だ。そのため万全の傘を持つのがトランプの構想に含まれている。道路から撥ね上がる水を防ぐために傘を下に向けるのがトランプ流と言ってもよい。傘の下に朝鮮半島と日本列島がある。それを喜んでいるのが心神喪失のアベシンゾーだ。