Monday, March 19, 2018

部落解放運動の歴史を踏まえ、人権運動の未来へ(2)


谷元 昭信『冬枯れの光景 部落解放運動への黙示的考察(下)』(解放出版社、2017年)





目次

第三部●同対審答申と「特別措置法」時代への考察〔同和行政・人権行政論〕

 第一章…同対審答申にいたるまでの時代背景

 第二章…同和対策審議会答申の基本精神とは何か

 第三章…同対審答申具体化のための取り組み

 第四章…「特別措置法」時代三三年間の同和行政の功罪

 第五章…「特別措置法」失効後の同和行政の混乱とその原因

 第六章…同和・人権行政の基本方向と今日的課題

 第七章…「福祉と人権のまちづくり」の拠点としての隣保館活動

 第八章…同和教育の歴史的経緯と人権教育の今日的課題 

 第九章…「部落差別解消推進法」制定の意義と課題 


 第一章…根源的民主主義論からの部落解放運動の再構築

 第二章…「部落解放を実現する」組織のあり方

 第三章…部落問題認識にかかわる論点整理と問題意識

補遺二稿●

 第一章…戸籍の歴史と家制度の仕組みに関する考察

 第二章…部落差別意識と歴史的な差別思想に関する考察 

おわりに 「全国水平社一〇〇年への思い」


第三部「同対審答申と「特別措置法」時代への考察〔同和行政・人権行政論〕」では、同対審答申が部落差別が現存し、部落問題解決は国の責務であることを認め、部落問題にかかわる偏見を批判し、日本社会の構造的欠陥を分析し、同和行政を日本国憲法に基づく行政に位置づけたことなど積極面を確認する。次いで部落解放基本法制定運動の意義を振り返る。同和行政については、その重要な意義を強調しつつも、「特別措置法」時代に形成された行政依存体質などさまざまの問題を抱えることになったことが、特別措置法失効後の同和行政の混乱につながったことを再検証する。また、最近の部落差別解消推進法の意義と課題も論じている。


第四部「部落解放理論の創造的発展への考察〔部落解放論〕」では、まず「根源的民主主義論からの部落解放運動の再構築」を掲げ、部落解放運動が社会連帯をめざす「外向きの運動」になっていくためには、民主主義の根源的理解を踏まえる必要があるという。民主主義の根本原理を「平等・参加・自治」に求め、部落解放運動においては、第一に「抵抗権」に立脚して、差別実態に対する「糾弾」の社会的正当性を確保すること、第二に、「人権の法制度」(差別撤廃、人権擁護・促進のシステム)を確立すること、第三に「人権のまちづくり」運動の推進、第四に自立・共生の人権文化を創造する人権教育・啓発活動の徹底、第五に「人間を尊敬することによって自ら解放」する人間へと成長するための絶えざる自己変革である。こうした問題意識から、著者は部落解放同盟の二〇一一年綱領が掲げた基本目標一三項目をさらに具体化する必要性を強調する。

著者のいう根源的民主主義とは、民主主義の歴史的な発展についての理解が前提となっている。第一段階は古代ギリシア型民主主義、第二段階は近代西欧型民主主義、第三段階は現代民主主義であり、根源的民主主義である。民主主義の根源的把握の第一の課題はルソーの一般意思に立脚した原則である。第二の課題は古代ギリシアのデーモスにさかのぼる平等概念である。第三の課題は自由と平等という基本概念における位相転換の必要性である。著者は根源的民主主義を、普遍的な民主主義の根本原理によって過去の民主主義の歴史的限界を克服し、民主主義の本来のあり方を具体化していくことと位置づける。未完の民主主義を完成させていく過程をいかに実現していくかが重要となる。

 そのために、「部落解放を実現する」組織のあり方を論じ、その上で部落問題認識にかかわる論点整理と問題意識を披瀝している。


本書は「全国水平社一〇〇年」へ向けた解放理論の再構築の書である。「冬枯れの光景」とあるように、現状の部落解放運動の肯定的側面のみならず、否定的側面面をも見据えて、足場を固めながら、国際人権に至る広い射程で解放と人権の理論を模索している。その意味で、現代人権論の研究と提言でもあり、現代民主主義論の応用編でもある。部落解放運動だけでなく、現代日本における多様な人々、さまざまなマイノリティの人権擁護運動にとっても大いなる参照軸を提示している。


根源的民主主義論については、さらに検討が必要と思われる。民主主義は、統治の形態であり、理念であり、手続過程論であり、同時にいまや政治的経済的社会的な価値実体にもなりつつある。多様な民主主義観が登記されている。その中で著者の根源的民主主義がどのような位置を占めるのか、まだよくわからない点もある。

『脱原発の哲学』の著者である佐藤嘉幸と田口卓臣は、脱原発・脱被曝のためにラディカル・デモクラシーを唱える。その佐藤嘉幸と広瀬純の『三つの革命』は抵抗の論理を、労働者、マイノリティ、動物のそれぞれに定位して構築している。市民が客体化の罠を逃れ主体化する論理でさえも、そこに服従の論理が内在してしまう、複雑な人間社会における存在と自己生成と抵抗のモチーフはいかにして我が物としうるのか。

民主主義が民衆主義ならぬ大衆主義の果てにファシズムに転化しない保障を論理的かつ実践的に配備する手立てはどこに見定められるのだろうか。