Wednesday, March 07, 2018

目取真俊の世界(5)沖縄の「慰安婦」――無残で、悲しく、儚なく、そして美しい記憶


目取真俊『群蝶の木』(朝日新聞社、2001年)

週刊朝日別冊の『小説トリッパー』に掲載された4つの短編が収められている。


「帰郷」では、会社が倒産して那覇の駐車場の警備バイトをしていた若き主人公が、ジョギングをしていた公園のトイレ裏側で老人の死体を発見する。地面に置かれた遺体を見に連日訪れるが、ほかの人物にはそれが見えない。謎は終わりの方で登場する2人の老女によって解き明かされる。83歳の松五郎は山原の生まれで、生涯、海人をしていたが、自分が死んだら風葬にして山原の墓に入れてほしいと言い残す。そこで登場したのがユタである。松五郎の遺体が風葬にさらされてから、洗われ、焼かれて、「帰郷」するまでに、偶然立ち会うことになったのが主人公であった。主人公は石垣の出身で、仕事がないなら帰郷するようにと母親から言われているが、その「帰郷」はなぜか作品の筋には関わらない。もう一つ以外だったのは、松五郎の生涯がごくあっさりしか説明されないことだ。山原から売られ、生涯、海人だったと言うだけで、戦争をどのように生き延びたのか、どのように妻と出会ったのか、といった情報が省略されている。目取真俊らしくないような気もする。


「剝離」は、沖縄北部から那覇に移動した宮城という学校教師夫婦の精神の緊張と動揺を描く。大学時代に出会って結婚し、ともに学校教師になった2人の幸せな日々が、那覇に移動になってからきしみ始める。小学校6年生の荒れたクラス担任だった妻が、揺らぎ始める。引きずられるようにして中学校教師の夫も歯車が狂い出す。反応する生徒、無関心な教師、教師を責める保護者。異なる恐怖にさいなまれる夫婦。恐怖は外からと言うよりも中から来る。同時に、アパートの隣室の不思議な男の存在が、学生時代に出会った党派の活動家学生・伊佐の記憶を呼び覚ます。那覇が舞台だが、沖縄に特有の物語ではない。荒れる学校と、かつて荒れた大学、この2つが交差している。大学は基地のすぐ近くにあったために、党派の学生が活躍していたという設定だが、米軍基地問題が扱われるわけではない。この作品でも、目取真は沖縄戦や米軍基地ではない主題を取り上げている。


「署名」は、高校の補充教員である新城が住むアパート周辺に増えた野良ネコの駆除めぐる小悲喜劇である。新城は、別室の座間味から保健所に野良ネコ駆除を要請する署名集めを依頼される。気乗りせずに少し手伝っただけだが、やがてネコが次々と不審死する。残虐な方法での殺害だが、アパートの住人たちは、新城が動物虐待をしたと疑う。勤務先の高校には、動物虐待をする教員への非難の手紙が届く。補充教員から正規教員採用への道を探っている新城に対する嫌がらせとして効果覿面である。新城は座間味の策略を疑うが、証拠はない。アパートの住人たちは、新城のせいで座間味が迷惑していたとまで言い出す。濡れ衣と不条理にさいなまれた新城は、最後、逆に動物虐待を犯す方向に身を向ける。作品は、こうした事実経過を単端と述べながら、独特のサスペンスを作り出す。主題やストーリーは、日本のどこでも起きうる話であり、沖縄である必然性はない。「剝離」と同様、沖縄戦や米軍基地問題はとは異なる主題が選択されている。

「剝離」も「投票」も、主人公に降りかかる不条理の謎が解明されないまま終わる。「剝離」では、大学時代の知人である伊佐の陰謀が疑われるが証拠はない。「署名」では、アパート住人の座間味が怪しいが、座間味はむしろ新城を恐れてアパートから逃れたことになっている。「剝離」と「投票」の結末は異なる。「剝離」では、高校時代美術部だった宮城が周囲の建物をスケッチするシーンで終わっている。「投票」では、新城が熱湯を手にして、生まれたばかりの猫に向かう剣呑なシーンで終わる。


「群蝶の木」は一転して、目取真俊がこれまで描いてきた沖縄の精神世界に立ち戻る。冒頭から、御嶽(うたき)、拝所(うがんじゅ)、地謡(じうた)、琉舞、神女(かみんちゅ)が次々と語られる。
主人公は、大学を卒業してから県の職員となり、たまたま高校の同級生が死んだので帰省した義明であるが、豊年祭の賑わいに闖入したゴゼイという錯乱した老婆が本当の主人公であることが徐々に判明していく。
ゴゼイは戦中は日本軍「慰安婦」であった。朝鮮人慰安婦は兵士たちを相手にさせられ、ゴゼイら日本人慰安婦(ただし沖縄人慰安婦)は将校の相手をさせられた。ゴゼイの戦前・戦中・戦後が徐々に明らかになっていくが、戦後は米軍相手の売春婦をして生き延びる。地元の日本人(沖縄人)女性を守るために。
晩年のゴゼイは老残をさらし、精神状態も自分でコントロールできない状態で、周囲の迷惑ばかりになり、ついには病院に収容される。病院でベッドに横たわり、瀕死の状態で想起するのは、戦中に出会った唯一の人間らしき人間の昭正(ショーセー)だった。ゴゼイと昭正のつかの間の、悲しくも美しい恋。スパイとして日本軍にとらわれた昭正。戦後をたった一人で生き抜いたゴゼイ。「泥の中に溶けてしまった」ゴゼイ。そのあまりに無残で、悲しく、儚なく、そして美しい記憶を、目取真は泣きながら書いたであろう。「群蝶の木」という、誰にも聞き取られることのない悲鳴のような微かな記憶をていねいに書き留めた作品を、読者はどう扱えばいいのだろうか。
上に「日本人慰安婦(ただし沖縄人慰安婦)」と書いた。ゴゼイは日本人慰安婦として将校の相手をさせられていた。そのときのゴゼイの意識には、日本人は沖縄人を守らないと言うことが刻まれている。戦後、ゴゼイは地元の沖縄人を守るために米軍相手の売春婦となるように頼まれた。そのときのゴゼイの意識も描かれている。ゴゼイは日本人慰安婦でも沖縄人慰安婦でもなく、目取真は、日本と沖縄の差別構造の中に置かれ、そして沖縄の中での階級階層差別の最底辺に置かれ、最下層で泥まみれで必死に生きたゴゼイ、実直な昭正に惹かれて一瞬だけ輝いたゴゼイを描いている。