取調拒否権を考える(1)
このところ取調拒否権に注目が集まっている。
袴田事件再審無罪判決、大川原化工機事件、福井女子中学生殺人事件、大阪プレサンス事件、関西生コン弾圧事件などで、警察・検察による違法な取調べ、脅迫や侮辱による取調べ、自白の強要が問題となり、取調べの実態への関心が高まっている。
2024年には「取調べ拒否権の実現を求める会」が結成され、弁護士による取調拒否の実践報告が続いている。
また、デヴィッド・ジョンソン(ハワイ大学教授)が、『朝日新聞』や雑誌『世界』掲載の論稿において、黙秘権が保障されない日本の現状を厳しく批判し、取調拒否の意義を明確に打ち出している。
私はこのところ『救援』『マスコミ市民』『月刊社会民主』の連載の中で取調拒否権をめぐる現状について論じてきた。さらに、「冤罪防止のための取調拒否権入門セミナー」を開催している。
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取調拒否権についての議論をさらに喚起していく必要がある。
そこで、これまでに書いた関連の文章を公開していくことにした。
今回は、次の文章を公開する。
前田朗「弾圧・冤罪と闘う黙秘権の法理」『救援』2017年1~4月号
2017年に、救援連絡センターの機関紙に4回にわたって連載した文章である。
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『救援』2017年1月
前田 朗(東京造形大学)
黙秘権の理論
この度、本紙連載稿を再整理し、前田朗『黙秘権と取調拒否権――刑事訴訟における主体性』(三一書房)を上梓した。構成は次のとおりである。
第1章「刑事司法の現状と問題点」では、誤判・冤罪を必然的に生み出す日本刑事司法の治安優先の政治主義を浮き彫りにした。
第2章「国際人権法から見た日本司法」では、国連人権機関における刑事人権論の展開を再確認した。
第3章「代用監獄と取調べの実態」では、二度にわたる代用監獄アンケートの結果を分析し、未決処遇と取調べの実態を批判した。
第4章「取調拒否権の法理と実践」では、黙秘権の実質的保障のために、法理の基礎に立ち返り、取調拒否権の必然性を明らかにした。
第5章「現代国家の刑事法イデオロギー」では、対テロ戦争と刑事法、ワイドショー刑法、資本主義刑罰、植民地刑法といった視角から刑事司法を読み解いた。
第6章「批判的刑事法学のために」では、吉川経夫、内田博文、生田勝義、宮本弘典らの刑事法理論に学び、批判的刑事法学の輪郭をデッサンした。
第7章「櫻木澄和の刑事法学」では、筆者の恩師である櫻木澄和の近代刑法史研究(マグナ・カルタ、市民革命刑法)、現代国家論(正統性の危機論)を検討し、主体・客体関係の理論に即して刑法学再編成の理論課題を確認した。
本書の表題は第3章及び第4章のテーマを掲げたものである。問題意識は次のとおりである。
「本書は、憲法及び法律で保障されている黙秘権を実際に行使するための具体的方法として取調拒否権、出房拒否権を提案する。黙秘するということは取調べを中断することでなければならない。取調室で自白の強要や侮辱に耐えながら、ひたすら沈黙していることを黙秘権と呼ぶのはブラックジョークに過ぎない。黙秘権の憲法的意義を正しく把握するために取調拒否権の思想と法理を発展させることが求められる。/このことは刑事訴訟における主体性をどのように理解するかと密接につながる。訴訟構造としての当事者主義論が、公判や証拠についてはかろうじてわずかながらの意義を有するにしても、捜査段階では警察と検察だけが主体として登場し、被疑者・被告人の主体性は名ばかりである。刑事訴訟における主体性を考えるためには、捜査を中心として、日本刑事司法全体を見なおす必要がある。」
憲法上及び国際人権法上の黙秘権が行使されれば取調べを中止するべきであり、被疑者が取調室にいる理由はまったくない。黙秘権を行使する被疑者を取調室に強制的に連行することは許されない。強制連行してなされた取調べは違法な供述強要であるから、その結果得られた供述には任意性がなく、証拠として用いることはできない。黙秘権の法理はこのように単純明快である。
黙秘権行使の実践
日本では黙秘権が全くといってよいほど理解されていない。警察の捜査実務は黙秘権を全否定している。検察や裁判所は警察に服従してきた。マスメディアや市民も黙秘権には消極的である。このため違法取調べ、供述強要、虚偽自白、誤判・冤罪が連綿と続いてきた。不正な権力と闘う市民でさえ黙秘権の法理を理解してこなかったのが残念ながら実情である。
救援連絡センターは二〇一六年九月一五日・一六日、安保法制強行採決が行われた国会前弾圧で不当逮捕された市民九名にアンケートを行い、資料集『戦争法弾圧と黙秘』を作成した(頒価二〇〇円)。回答は収容された警察署名ごとに記載されている。例えば、赤坂署に収容された赤坂署3番(留置番号)の回答を「赤坂署」と省略。質問項目は次の10項目である。1、当日はどういう思いで国会前にいたのか/2、逮捕時の状況について/3、はじめに連れて行かれた麹町署では/4、弁護士選任手続について/5、留置場での状況について(a、1日の過ごし方について、b、食事の内容、c、その他)/6、取調べについて/6-1取り調べを受けた方へ(a、取調べはどうだったか、b、黙秘をやってみての感想、c、その他)/6-2取調べを拒否した方へ(a、なぜ取調べを拒否しようと思ったのか、b、拒否した際の警察側の反応は、c、その他)/7、差入れについて/8、弁護士接見について/9、救援体制について/10、今回の弾圧について。
いずれも重要であるが、以下では取調べの状況に限って紹介していく。
まず、取調拒否の実践である。取調べを拒否したのは九名のうち五名である。「なぜ取調べを拒否しようと思ったのか」についての回答は次の通りである。
【品川】取調拒否の闘いがあることは、ネットなどでなんとなくは知っていたが、実際に弾圧された人から体験談を直接聞く機会があり、自分ももし不当逮捕されたら拒否しようと思っていた。/今回拒否した理由としては、一つ目に、自分には体力がないので、長時間の取調べはつらそうだなと思っていて、出房拒否してゴロゴロしてた方が楽だろうと思ったから。/二つ目に、留置場に入って早々に失敗してしまった(留置官に騙されて書類に戸籍名を書いてしまった)ので、挽回したいと思っていたから。/三つ目に、闘争全体と社会全体において、取調べ拒否には意義があると思ったから。私はこれまで他の人に対する弾圧を見ていて、権力は取調べを一つの主要な武器として転向攻撃や運動破壊をやってくると感じていた。運動は敵・権力との闘争にならざるをえず、敵の武器を取り上げてしまうことは、運動の前進のために重要だと思った。それに、ただでさえ権力による取調べ強制は、冤罪の温床となり、個人の尊厳や「人権」を踏みにじってきたものだから、やめさせるべきだと思っていた。そのために「取調拒否」の事実を積み上げることに自分も参加するべきだと思った。
【月島】これまで何度かの逮捕の時には、完全黙秘で闘いぬいてきました。その上で、この数年何度か「取調拒否」の闘いを話に聞いており、それも対権力・対弾圧のひとつの大きな闘いだと考えていました。それで、今回は初めてになるが、やってみようと思った。
【赤坂】以前にやったことがあり、今回も抗議の意志をぶつけたかったのでやろうと思った。
【麹町】取調べを拒否していた人の話は聞いていた。
【愛宕】何も話さないのに、デカのおしゃべりや揺さぶりを聞くのは無駄だから。人によっては苦痛だろう。
自由と人権を求めて闘う市民には取調拒否権の考え方が知られ、理解されていることがわかる。
『救援』2017年2月
弾圧・冤罪と闘う黙秘権の法理(二)
前田 朗(東京造形大学)
黙秘権シンポジウム
一月一四日、「誤判・冤罪を防ぐ黙秘権の実質的保障のために――『黙秘権と取調拒否権』出版記念会」(スペースたんぽぽ)が開催された。
白取祐司(神奈川大学法科大学院教授)は「刑事司法改革の現状について」と題して講演した。まず「黙否権」と「黙秘権」という二つの言葉を並べて、「やってないならやっていないと否定すればいい」という「黙否」ではなく、被疑者には語らない自由があり「語るか語らないかを決める権利」としての「黙秘」が重要だと確認した。その上で、二一世紀になってから行われた二度の「刑事司法改革」について、一度目(二〇〇四年)も二度目(二〇一六年)も、本来改革するべき捜査段階の身柄拘束、被疑者取調、代用監獄といったシステムには手が付けられず、それどころか捜査権限の拡大がもたらされ、「二重の焼け太り」状況となったと評価した。平和憲法下でさえ黙秘権が十分に保障されて来なかったのに、戦争する国へと向かう状況の中で「黙秘権が沈黙する」事態が生まれていることに警鐘を鳴らした。白取祐司「『改正』刑事訴訟法をどうみるか――『取調べ全過程可視化』という欺瞞」世界八八五号(二〇一六年)等参照。
葛野尋之(一橋大学大学院教授)は「被疑者の取調べと身体拘束」と題して講演した。実務では逮捕・勾留された被疑者は取調べを受ける義務を負うという「取調受忍義務」論が支配的で、取調べ・自白採取のために逮捕・勾留が活用されている。これでは黙秘権保障は難しい。本来、取調べ目的の逮捕・勾留は否定されているし、黙秘権の保障を実質化するべきであるから、身体拘束と取調べとは切り離さなければならない。自白強要=黙秘権侵害の危険を除去するには、両者を結びつけるハード・ウエアとしての代用監獄制度を廃止し、ソフト・ウエアとしての取調受忍義務を否定する必要がある。仮に取調受忍義務を課したうえで自白強要=黙秘権侵害を防ぐことは可能かと問うならば、捜査と拘禁の分離の徹底、取調可能な拘束期間・取調時間・取調方法の厳格な規制、違反に対する制裁、取調べの全面的録音・録画、弁護人の立会・助言と取調べへの介入が必要であるが、これらは受忍義務を否定したとしても必要な手続保障であると述べた。葛野尋之『刑事司法改革と刑事弁護』(現代人文社)参照。
山下幸夫(弁護士)は、取調受忍義務が課せられている現状で可能な方法として、調書への署名拒否があると指摘した。黙秘権の保障のために可視化や様々な方法が追及されるべきだが、現状でも署名拒否をすれば証拠能力を付与することがないので、弁護人が身柄拘束されている被疑者に署名拒否を助言することが重要だという。
大口昭彦(弁護士)は、弾圧や冤罪においては不当な捜査、不当な取調べが強行されるので、捜査権力に迎合することなく市民が自己防衛のためにできる方法として取調拒否が極めて重要であり、実践的であると述べた。
取調拒否への警察対応
前回に引き続き、不当逮捕された市民九名のアンケート資料集『戦争法弾圧と黙秘』(救援連絡センター、二〇一六年)から紹介しよう。前回は「なぜ取調べを拒否しようと思ったのか」への回答であり、九名のうち五名が取調拒否をした。次に「拒否した際の警察側の反応は」への回答である。
【品川】地裁での勾留質問の次の日、留置官が房の前に来て「三田署から取調べのために捜査官が来ている」と言って取調べに向かうように促す。私がシカトしていたら、しばらくして「行かないなら行かないって言ってくれないとこっちも困る」と言うので「行かない」と答えた。すると留置官はそのことを捜査官に告げに行き、しばらくあとに「納得して帰っていった」と言っていた。次の日も同じように呼びに来たので、私も同じように「行かない」と行った。見ると、前日は二人しか来なかったのに、その日は五人がかりで房の前まで来ていた。粘るので、弁護士に教えてもらった刑事訴訟法学者の名前をあげて、学説上取調べに受忍義務はないと主張。「留置場の入り口まで行って自分の口で説明してくれ」と言われたが、出房拒否を貫き、ゴロゴロ寝たふり。すると、「次回は撮影して、入り口まで連れていこう」とコソコソ話している声が耳に入ってきた。その夜、そのことを弁護士に相談し、外の仲間にも対応してもらったら、次の日以降はあまり本気で呼んでこなかった。ただ次の日は、「警視庁としては取調べに受忍義務はあるという見解だから、最低限の有形力の行使をすることはありうる。具体的には、車イスに乗せて連れていくかもしれないけど、それでもイヤ?」ときかれたので、にっこりと「イヤ」と答えておいた。
【月島】警察の取調べについては、呼び出しに来た看守に拒否を伝えると、大きな反応はなく取調べなしとなった。/検察に送られるとき、看守が「今日は検察に行く」と呼び出しにきた。これも拒否したが、「検察については拒否できない」といわれ、抗議・言い合いになるが、房内に五人くらい入ってきて無理やり手錠される。両腕抱えられて、留置場を出たところに車椅子が用意されていて、押さえつけられ運ばれる。ずっと抗議するも車で検察に運ばれる。/検事の部屋へも車椅子で連れて行かれる。検事の前でも「取調べを拒否する、帰る」「今回の逮捕は不当逮捕であり、一切の手続き・調べを拒否する」と抗議し続けました。検事は何か聞こうとするが、取調べに応じる気はないので、無理やりこの場に縛り付けられることへの抗議を続けた。基本的に取調拒否を貫く姿勢として、やりきったと思う。検察に調書を取らせなかったのは初めてだった。いままでは、「黙して語らず」がならぶ形式的な調書ではあったが作成されていた。/裁判所に送られるとき、検察のときと同様、無理やり居室に入ってきて手錠をかけられる。またもや拒否しているのに車椅子に乗せられ、裁判所まで連れて行かれる。/無理やり裁判官のいる部屋まで連れて行かれたが、「拒否する」と抗議したら、検察と違ってあっさり終わった。
【赤坂】無理矢理連行することはなくあきらめた。
【麹町】最初だけしつこかったが、後は一日三回は呼びに来たが拒否すると、了解という看守もいたし、理由はと言ってくるのもいた。
【愛宕】留置が「せめて刑事さんに直接言ってよ」と頼んでくる。
警視庁管内であるが、署によって対応が異なることがわかる。福岡県警による暴力的引きずり出しという情報もある、今後の動向に注目したい。
『救援』2017年3月
弾圧・冤罪と闘う黙秘権の法理(三)
前田 朗(東京造形大学)
取調拒否権をめぐって
一月二七日、「誤判・冤罪を防ぐ黙秘権の実質的保障のために――『黙秘権と取調拒否権』出版記念会」(龍谷大学)が開催された。
斎藤司(龍谷大学教授)は取調受忍義務と取調べの適正化について報告した。実務では取調受忍義務が課せられているが、強制処分法定主義に反し、義務付けの賦課について法定の要件が定められていない。近年の出頭・滞留義務肯定説は取調受忍義務を認めないが、起訴前の身柄拘束期間について起訴・不起訴の決定に向けた捜査を尽くすことができるよう、被疑者の基本権を侵害しない範囲で取調べのための出頭・滞留義務を認める。身体拘束の場合と在宅の場合で取り扱いを異にする合理的理由が示されていない。捜査の完了のために被疑者取調べが不可欠であるという前提に疑問がある。受忍義務を否定し、取調拒否権を承認し、代用監獄を廃止し、身体拘束期間を短縮する適正化により「被疑者の主体性」を確保する必要があるとした。
野田隼人(弁護士)は取調拒否権について実務弁護士の視点から報告した。関西では従来から取調拒否の実例が見られる。主にいわゆる暴力団関係者の事案であるが、身柄拘束された際に、被疑者に取調拒否をさせた状態で弁護人が検察官と交渉・調整することはありうるし、実際に行われている。黙秘させて不起訴に持ち込むのは普通のことと言って良い。ただ取調拒否を一般化できるか、それが良いのかはなお検討の必要があるかもしれない。実務が取調受忍義務を当然の前提としている現状で、一般の被疑者の場合に取調拒否を貫けるか。関西では実力行使して連行した話は聞かないが、騙して連行したという話は聞いたことがある。実力行使がなされて事故が起きた場合の対処も検討しておく必要があるとした。
渕野貴生(立命館大学教授)は黙秘権と取調拒否権をめぐって報告した。黙秘権の意義を人間の尊厳に立ち返って位置づけ、絶対的尊重を要すると考えるならば、取調べを受けるように説得する権限は認められない。被疑者が供述拒否を決断したにもかかわらず、さらに供述するように説得を続けることは黙秘権侵害である。取調べを拒否し、出房拒否を実践することは受忍義務論を突破する手がかりとなる。ただ一般化・普遍化できるか。手練れの被疑者、百戦練磨の弁護人ばかりではない。強制連行の実力行使がなされれば任意性がないから自白調書を排除することになるが、黙秘権保障としては失敗であるし、被疑者の身体に危険が及ぶ懸念もある。また、人間の尊厳を憲法三八条の黙秘権の中に取り込むのか、それとも憲法一三条と三八条の両輪で考えるのかはなお検討の余地があるとした。
取調拒否権は、不当弾圧事例やいわゆる暴力団関係者のように「筋金入り」の被疑者、抵抗する意志の強い被疑者であれば比較的容易に行使できるが、一般の被疑者が冤罪に巻き込まれる場合、説明すれば分かってもらえると思って懸命に供述して嵌り込んでいくことが考えられる。取調拒否を思いつく機会が得にくい現実を変える必要がある。
アンケートより
引き続き、不当逮捕された市民九名のアンケート資料集『戦争法弾圧と黙秘』(救援連絡センター、二〇一六年)から紹介しよう。九名のうち五名が取調拒否をした。これまで「なぜ取調べを拒否しようと思ったのか」及び「拒否した際の警察側の反応は」を紹介してきた。今回は取調拒否についての三名の「感想」である。
【品川】取調拒否を貫けて、ホッとした。権力がムリヤリ連れて行こうとしてきたらどう闘おうか、と房の中を見回しながらイメージトレーニングをしていたが、そういうことにもならなかったのでよかった。自分は初めてなので取調べのつらさは体ではわからないが、やはり取調べを受けるより、拒否した方が自分にとってはずいぶん楽だな~と思った。と同時に、取調拒否が危険なくできる世の中にしなくては、と強く感じた。同時期に弾圧された人たちを含め、取調拒否をしておぞましい暴力を受けてきた人たちのことも知っている。自分がずっと取調拒否してゴロゴロしていられたのは、警察署の対応など、運の要素が強いと思う。ただ、自分の場合は、圧力をかけられたときに即座に弁護士に相談でき、獄外の仲間ががんばってくれたことが効いて、敵の圧力が緩んだというふうに実感した。獄外の救援との連携がなければ暴力の前に沈んでいたと思う。
【月島】警視庁は今のところ無理矢理連行することはないようだが、今後もそうさせない闘いが必要だと思った。検察・裁判所、他の道府県警は無理矢理連行するものと思われるので、それをさせないようにするにはどうすればよいか意見交換したい。
【愛宕】捜査と留置の分離という原則を頭に叩き込んでおくのが重要。理屈上、捜査員は留置場には入れないし、留置係も連れていけない。引きずりだされたら、任意性が否定される。仮に引きずりだされても、意志を折らず完黙に切り替えればいいだけ。誰にでもできる戦術ではないという意見もあるが、これこそ一番楽な闘い方だと思う。一方で、常に最悪の想定をしておくこと。条件さえ揃えば、獄殺やリンチはありうる。劣勢状況では、ブルジョワ法であっても最大限利用しよう。
以上がアンケート結果である。
第一に、取調拒否自体は「一番楽な闘い方だと思う」という。取調べを拒否する旨を告げて房から出ないというだけなので、誰でもできる権利行使である。
第二に、取調拒否が尊重されれば問題ないが、強制的に連行しようとする場合がありうる。「圧力をかけられたときに即座に弁護士に相談」できること、「獄外の救援との連携」が重要である。「仮に引きずりだされても、意志を折らず完黙に切り替えればいいだけ」との指摘があるように、完黙戦術と取調拒否権行使は矛盾しない。身柄拘束されたらまず取調拒否であり、取調室に入った場合に完黙という順序になる。
第三に、取調室への連行ではなく、捜査官の感情にまかせた暴力がありうる。「取調拒否をしておぞましい暴力を受けてきた人たちのことも知っている」というのは取調拒否に対する報復であろう。捜査官に屈服させるための暴力であり、見せしめである。「一方で、常に最悪の想定をしておくこと。条件さえ揃えば、獄殺やリンチはありうる」との指摘もある。不当弾圧事件の場合、権力との闘いの戦略と戦術を緻密に検討していく必要がある。
『救援』2017年4月
弾圧・冤罪と闘う黙秘権の法理(四)
前田 朗(東京造形大学)
取調拒否権をめぐって
二月九日、「誤判・冤罪を防ぐ黙秘権の実質的保障のために――『黙秘権と取調拒否権』出版記念会」(福岡・ももちパレス)が開催された。
新屋達之(福岡大学教授)は二〇一六年刑事訴訟法改正について次のように報告した。改正の要点は、通信傍受の一般犯罪への拡大、刑事免責/協議・合意制度、取調可視化、被疑者国選弁護の拡大などであった。それぞれに大きな問題点を孕むが、何よりも問われるべきは立法のスタンスである。厚生労働省事件、氷見事件、志布志事件などへの反省がなされるべきだったのに、法制審議会の議論は反省ではなく捜査権限の拡大に向けられた。捜査・訴追権限の拡大が図られ、その統制策は弱体のままである。先進国に共通の面をもつ新時代への対応も含まれるが、糺問的捜査手続きが温存され、「中世のようだ」と批判された取調中心主義への反省は全く見られない。「近代化なき現代化」である。一部可視化も、被疑者のための可視化ではなく、目的や機能が変えられてしまっているという。
高平奇恵(弁護士、九州大学助教)は取調拒否権と可視化について次のように報告した。取調受忍義務を肯定している現状では黙秘権を実質的に行使できない。黙秘権行使ができるのは、ある意味で筋金入りの被疑者のみである。打開策としての可視化によって黙秘権行使ができる人の範囲は広がったと言える。妥協的な産物だが、実利がないわけではなく弁護の仕方も大きく変わる。取調拒否をすれば供述内容を弁護人が確認できるので選択肢の一つである。供述するように説得するのは黙秘権侵害である。弁護側が黙秘権をどういう手順で解除していくかという検討が可能になる。誰でも取調拒否をすることにはならないだろうが、否認事件で一切供述したくないという意思があれば、リスクを十分考慮したうえで取調拒否が選択肢となるという。
豊崎七恵(九州大学教授)は取調受忍義務論の批判的考察を行った。現状は被疑者を客体化し、被疑者の身体拘束状態を不正利用して取調べが強行されている。日本の取調べはインタヴューでも尋問でもなく、暗示・誘導による歪みの危険性が大きい。代用監獄と受忍義務論をセットにした取調べは黙秘権保障に抵触する。二〇一六年改正においても取調受忍義務否定論をネグレクトした。審議の中で、別件起訴後勾留中の本件(対象事件)取調べの録音・録画義務の有無について、取調受忍義務の有無を基準とするという政府答弁がなされた。「受忍義務基準論」はあわよくば取調受忍義務を法律化しようとするものではないか。改めて公判中心主義の意味を問い直す必要がある。今市事件に見られるように、直感的印象に基づく有罪心証の危険性がある。それへの防衛策として黙秘・取調拒否が意味を持つ。黙秘・取調拒否ができれば、録音・録画記録を証拠として取調べる必要はなくなる。ただ、受忍義務論のもとでは取調拒否の実行の困難は否定できないという。
取調べ状況
前回まで取調拒否の実践のアンケート回答を紹介してきたが、今回は取調べを受けた際の状況である。「取調べはどうだったか(警察の対応や印象的だったことなど)」に対して次のような回答があった。
【中央】私が起こしたとされている「事件」についてはほとんど触れず、私が普段やっている活動や、活動の仲間についてしつこく訊いてきた。「普通の生活に戻った方がいい」「君のことが心配だ」などといった、転向強要まがいの事も言われた。また、「○○はいいところだね」「こんなところにいるのをご両親が見たら悲しむぞ」「ご両親をここに呼ぼうか」と、私の実家や家族に触れる場面も多かった。延々と自身の身の上話を聞かされる日もあった。三時間黙りっぱなしの取調官もいた。
【麻布】取調べは基本的に所属団体、関わっている人間の悪口、反戦運動をとにかく辞めろという感じでした。
【久松】書類の署名や話すことを「君のためになるから」などと促してくる。どうやら彼らは「恩着せがましく親しみをもって取調べる」作戦らしい。再三繰り返していたのは「警察はあくまで中立で真実を知りたいだけ、敵じゃないし、陥れるつもりはない」「無理矢理に話させようという訳じゃない」「言った方が得だ」こんな調子であった。・・・態度を変えるつもりはないとこちらから明言、取調べをあきらめた風で雑談へと切り替えてきた。雑談ならと、ある程度応じた。「警察で話さなくてもいいけど、検察では話した方がいいよ」などと言ってくる。
従来から指摘されているように、取調べと言っても、転向強要や嫌がらせが多く、実体は取調べではない。黙秘に対する取調べの説得もなされる。また、「黙秘をやってみての感想」として次のような記述があった。
【中央】当局の私たちへの対応は「公平な」調査ではなく、明らかに政治弾圧だ。そのことに対する怒りを何度も何度も自分の中で確認することで、完黙を貫くことができた。留置されている状態で、完黙、そして獄内外の連帯は最大の抵抗だと思う。
【麻布】完全黙秘・非転向によって、勾留期間の半分は黙っていたんじゃないかと言うくらい取調べ担当官の口数が少なくなっていきました。完全黙秘・非転向で警察権力を追いつめていると感じました。
【高輪】大したことではありませんが、弁護方針の齟齬があったとはいえ地検で調書作成
に同意したのは個人的には遺憾。
【久松】完黙ではなかったが、法律の素人である自分の発言が「証拠」とされた場合に、自分は十分な責任は持てないという点において、直感的に黙秘の必要性を感じた。自分のなかでもまだ整理がついていない上に、記録の文章は警官が入力するため、違和感のある表現(罪を着せやすそうな表現)になっていた。被害者が警察で、取調べて報告するのも警察、これでは何でもできてしまう。実に不信感を拭えない構図である。弁護士さんにも、雑談を含め、基本的に「完全黙秘が一番無難」と教わる。
以上がアンケート結果である。今回は二〇一六年九月、安保法制強行採決が行われた国会前弾圧で不当逮捕された市民へのアンケートであり、弾圧事例だけに、警察による取調べは、文字通りカッコつきの「真相」解明に向けられ、転向強要が目指されていると言えよう。