Saturday, January 02, 2021

日韓の歴史否定犯罪にどう立ち向かうか

康誠賢著(鄭栄桓監修・古橋綾訳)

『歴史否定とポスト真実の時代――日韓「合作」の「反日種族主義」現象』(大月書店)

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b547850.html

<日韓の右派ネットワークが作り出した「反日種族主義」現象のからくりを暴きだし、彼らの主張と論理の虚構をはがしとる。>

著者の康誠賢は社会学者で聖公会大学校東アジア研究所助教授。監修の鄭栄桓は歴史学者で明治学院大学教授、翻訳の古橋綾は歴史社会学者で東京外国語大学大学院非常勤講師。また、補論執筆の趙慶喜は社会学者で聖公会大学校東アジア研究所助教授。

韓国でも日本でもベストセラーとなった『反日種族主義』の批判的検討である。『反日種族主義』の大半は日本軍「慰安婦」問題に費やされているが、その議論の中身はこれまで繰り返されてきた歴史改竄と欺瞞の繰り返しでしかない。強制連行概念のご都合主義的な改変や、「売春婦」をめぐる議論、被害者証言の歪曲と改竄は、90年代の日本で提出された議論の焼き直しであり、その後もオンラインでさまざまにアレンジされているものの基本は同じである。すでに論破された誤謬が、なぜ、いま、韓国でベストセラーになるのか。その歴史的理由を本書は明らかにする。

日本のネトウヨと同じレベルの議論だが、韓国史の文脈においてなぜこのような現象が生じるのか。歴史社会学的な検討が必要であり、本書はそこに向けられる。つまり、「慰安婦」問題に関する誤謬を指摘するにとどまらず、誰が、何を、なぜ、どの位置から発言しているのかを分析する。

1部の「1 2019年、「反日種族主義」現象」では、『反日種族主義』の波及力、「反日種族主義」現象の新しい階層、日韓右派歴史修正主義の連帯とネットワーク、「反日種族主義」現象の行く末がさらに問題といった論述に見られるように、「反日種族主義」がいかなる文脈で登場し、どのような戦線を構築してきたかを丁寧に見ていく。

「2 「教科書右派」の誕生、2005年の韓国と1997年の日本」では、日本における歴史教科書問題の大きな転換点が1995年であったとすると、同様の転換が韓国では2005年に見られたという。日韓「教科書右派」の誕生、ニューライトの「自虐史観」批判と日本の右派、韓国ニューライトと教科書フォーラムを追跡することによって、1997年と2005年がなぜつながるかが見えてくる。

<1995年 日本「新しい歴史教科書をつくる会」から、

2005年 韓国「教科書フォーラム」、

2019年 「反日種族主義」現象へ。

日韓の右派ネットワークが作り上げた舞台背景、

彼らの『実証主義』の虚構が浮かび上がる。>

「実証主義」に括弧がつけられているところがポイントだ。1990年代から同じ議論の繰り返しでもあるが、歴史否定主義が「実証主義」を名乗ると同時に、背後からは歴史偽造主義が既存の歴史学を「素朴な実証主義」と論難する。実証主義と無縁のごまかしが実証主義を僭称するかと思えば、実証主義を乗り越えるなどと虚勢を張る。言葉のマジックが事態を悪化させてきた。歴史と記憶と証言をめぐる議論が虚妄の議論に囲い込まれてきた。

1部から第3部まで、「反日種族主義」現象が、韓国史において、南北朝鮮史において、そして東アジア史において、いかなる役割を果たしているのかを一つ一つ明らかにしている。特に第3部では、著者自身が鄭鎮星ソウル大学共助調査研究チームに加わって調査してきた資料を基に、最新の議論を展開している。「慰安婦」問題をめぐる議論は日本の読者にとっても既知の事柄が大半だが、異なる文脈、異なる主体がこの種の議論を再生産しているメカニズムが分かるので有益である。

政治的に日韓の右派ネットワークが形成され、議論の状況が変わってきたこともよくわかる。古典的な親日派にとどまらず、植民地近代化論や、朴裕河『帝国の慰安婦』など、多様な潮流が時に合流し、時に本流と支流に分かれながらも、幅広い戦線を構築し、日本側にもそれぞれのパートナーが形成されてきた。その全体像が徐々に見えてくる。

日本型レイシズム・フェミニズムが東アジアにおいてどこに位置しているのかも見えてくる。被害者の声を切り刻み、簒奪し、封じ込める「フェミニズム」とは何なのかも。

被害者を侮辱しながら「和解」を強制する議論が、2015年には政府レベルで日韓「合意」という茶番にたどり着いた。政府とマスメディアと御用学者が結託して、究極の歴史偽造と他者の侮辱が確固として揺るがない状況がつくられてしまった。

「エピローグ ポスト真実の時代、否定とヘイトにどう応じるか」では、歴史否定と偽造の歴史意識に対抗するために、ポスト真実の躍動を許さないために何ができるのかが問われる。

康誠賢は2019年12月13日に淑明女子大学で開催された日韓共同シンポジウム「ヘイトスピーチと歴史否定――犯罪なのか歴史解釈なのか」を紹介する。

このシンポジウムには私も参加して、日本におけるヘイト・スピーチについて報告したが、洪誠秀が韓国における歴史否定罪法案の経緯と、その理論問題を報告した。歴史否定罪については、私も欧州20数か国の立法と判例を紹介してきたが、韓国の状況については知識がなかったので、とても有益だった。帰国後、シンポの様子を『部落解放』等に紹介しておいた。この問題についての東アジアにおける第一人者が洪誠秀であり、それに続くのが私であると言って良いだろう。

康誠賢は、洪誠秀の報告を紹介しつつ、「歴史否定論者たちが、学問・思想・表現の自由を打ち出し、人道に対する罪など非常に重大な人権侵害に対する真実を否認して歪曲することは、真実・被害者・人間の尊厳・差別の論拠に基づき処罰されなければならない。そのような意味で、厳格に制限された歴史否定罪の立法は慎重な方式で考慮されなければならないだろう。」と結論づける。

もちろん、康誠賢は単に処罰立法制定を唱えるだけではない。本文最後の一節も引用しておこう。

「一方で、歴史否定罪とヘイトスピーチに対する処罰立法が求められているが、法的・制度的規制に頼るばかりではいけないだろう。私はこれまで、李栄薫『たち』が書いた本の裏にある文脈と背景を分析し、この本の主張、方法、論理に対し、批判の幅と深みを持たせながら、本が歪曲して奪い取った資料と証言を詳細に、そして総合的にもう一度見て、聞いて、読んだ。そのようにして復元されたさまざまな話と声を聞かせようとした。それを聞いた『私たち』が増え、共感の拡散と連帯が行われることこそが、反撃のためのより大きな土台となると信じている。」

的確な主張である。差別とヘイトに対抗するには、総合的包括的な対策が必要である。処罰はその基軸を成すが、すべてではない。人種差別撤廃条約は、差別法の廃止、差別の抑止、ヘイトの処罰、ヘイト団体の解散、基本的人権と自由の保障、被害者救済、教育・情報・文化のすべてが重要であるとしている。ヘイトの処罰はその最重点項目である。

日本では、処罰と教育を対立させて「処罰ではなく教育こそ重要だ」などという異常な主張が堂々と語られる。処罰と教育は対立しない。処罰に値する差別を止めるように教育するのが国際常識である。処罰も教育も啓蒙も被害者補償も必須である。

康誠賢は、歴史否定、ヘイト、フェイクとの闘いにおいて、処罰も含んだ総合的な反差別政策の重要性を意識している。正当である。

目次

プロローグ 脱真実と歴史否定、『反日種族主義』

第1部 「反日種族主義」とは何か

1 2019年、「反日種族主義」現象

2 「教科書右派」の誕生、2005年の韓国と1997年の日本 

3 2013~2015年、反日民族主義を攻撃せよ

4 『反日種族主義』の方法と論理

第2部 『反日種族主義』の主張を批判する

1 日本軍「慰安婦」は「性奴隷」ではなく稼ぎの良い「売春婦」だった? 

2 誘拐や求人詐欺はあったが、奴隷狩りのような強制連行はなかった? 

3 民間の公娼制が軍事的に動員され編成されたものだから合法? 

4 「慰安婦」個人の営業で、自由廃業の権利と自由があった? 

5 需要が確保された高収入の市場で、少なくない金額を貯蓄し送金した? 

6 「慰安婦」と女子挺身隊を混同している? 

第3部 資料と証言、歪曲したり奪い取ったりせず文脈を見る

1 連合軍捕虜尋問資料をどのように読むか

2 日本軍「慰安婦」被害者の話をどのように聴くのか 

3 惜別のアリランを歌う朝鮮人「慰安婦」――ビルマ・ミッチナーの朝鮮人「慰安婦」の話 

4 戦利品として残された臨月の「慰安婦」――中国・雲南省松山と騰衝の朝鮮人「慰安婦」の話 

5 日本軍「慰安婦」、米軍・国連軍「慰安婦」、韓国軍「慰安婦」――李栄薫の「我々の中の慰安婦」論に答える 

エピローグ ポスト真実の時代、否定とヘイトにどう応じるか 

補論 否定の時代にいかに歴史を聴くか 趙慶喜 

解説 鄭栄桓