Friday, January 29, 2021

<被害者中心アプローチ>をめぐって(1)

「慰安婦」問題をめぐる議論の中で、最近、<被害者中心アプローチ>という言葉がよく用いられるようになった。この言葉を用いていない場合でも、被害者の立場に立って解決をするべきだというのは、ある意味、当たり前に用いられるようになった。

 

大きな前進だと思うが、同時に奇妙な議論が横行している。<被害者中心アプローチ>とは何かの共通理解がない。それどころか、各論者が自分に都合の良いように勝手な意味で用いているのではないかと思えることが少なくない。

 

一例をあげると、2015年の「日韓合意」こそが<被害者中心アプローチ>であるかのようなトンデモ発言が登場している。「日韓合意」は、被害者に事前の相談もなく、日韓両政府が秘密裏に勝手に「合意」に至ったものにすぎない。「日韓合意」の内容さえ不明確である。何しろ合意文書が存在しない。被害者を置き去りにした「合意」にすぎない。

 

にもかかわらず、一部のメディアや、戦後補償問題に長年関わってきた弁護士までもが、あたかも日韓合意が<被害者中心アプローチ>に立っているかの如く欺く主張をしている。おまけに、正義連(旧挺対協)が<被害者中心アプローチ>に立たずに団体の都合で身勝手な主張をしているかの如く非難している。倒錯以外の何物でもない。正義連こそが<被害者中心アプローチ>の重要性を一貫して主張してきたのだ。

 

被害者を貶め、被害者支援団体を誹謗中傷しながら、「日韓合意」を持ち上げたり、「和解」を被害者に押し付ける異様な主張がマスメディアを席巻しているように見える。

 

論者の政治的意図はともかくとして、こうした偏頗な議論が横行する原因の一つは<被害者中心アプローチ>とは何かが理解されていないことにある。

 

<被害者中心アプローチ>という言葉は、一目見れば、誰にでも意味を了解できそうな、わかりやすい言葉である。それだけに、各自が自分の都合に合わせて意味を勝手に決めてしまう恐れがある。

 

<被害者中心アプローチ>は国際条約や協定に明文化されていない。これを見ればただちに意味がわかるという文書がない。このためか、自分勝手な意味で用いる例が目立つ。

 

私自身、「<被害者中心アプローチ>とはこういう意味の言葉である」と、100字で説明することができない。

 

私の理解では、<被害者中心アプローチ>は、重大人権侵害の被害者救済のために国際社会で用いられてきた言葉である。この言葉は21世紀になって、主に、国連人権理事会(2006年~)や国連人権高等弁務官事務所などで用いられてきた。拷問禁止委員会や人種差別撤廃委員会の審議の中でも耳にするようになった。

 

その由来は1990年代に国連人権委員会(~2005年まで)において、ルイ・ジョワネ、ファン・ボーベン、シェリフ・バシウニら「重大人権侵害被害者特別報告者」によって重大人権侵害被害者救済ガイドライン作成のために続けられた研究であった。

 

議論の経過を踏まえ、その議論をリードしてきた人々や国連機関が用いている意味で、まずは考えないと、本筋から外れた奇妙な議論に陥る危険性がある。

 

昨年12月4日、私は日本弁護士連合会・日韓戦後補償問題特別部会からの依頼を受けて、「被害者中心アプローチとは何か」というオンライン講演を行った。そのレジュメは下記に公表した。

https://maeda-akira.blogspot.com/2020/12/blog-post_17.html

 

ここでも「<被害者中心アプローチ>はこう理解すべきです」と断定することができていないが、その主要な特徴を明示することはしておいた。もっと上手にまとめることができると良かったが、今のところ、私にできる範囲はこのレベルのことである。