Saturday, January 16, 2021

理解社会学の方法と知性への覚醒

中野敏男『ヴェーバー入門――理解社会学の射程』(ちくま新書)

『マックス・ヴェーバーと現代』『大塚久雄と丸山眞男』『詩歌と戦争』の中野が新書で出したヴェーバー入門である。ヴェーバーの人生や人となりやエピソードではなく、ヴェーバーの学問方法論そのものを理解社会学と位置付けて、その入門を図る。

中野によると、ヴェーバーの生涯を賭けての理解社会学の構想は、当時の出版事情のために、十分くみ取られることがなかった。このためヴェーバーの思想が近代主義の範疇に押し込められ、切り刻まれてきた。正当に理解されなかったというよりも、端的に誤解されてきたと言っても良いくらいのようだ。

私自身、誤解してきた一人、という以前にヴェーバーの著書は学生・院生時代に『プロ倫』『職業としての学問』を読んだだけで、その他の膨大な著作群を読んでいない。大塚久雄や山之内靖を通じてヴェーバーについての断片的な知識を得たにとどまる。折原浩も何冊か読んだが。

中野は『プロ倫』『経済と社会』『世界宗教の経済倫理』において発展させられた理解社会学の基礎概念と基本構造をていねいに解説する。その時代において、いかなる問題意識をもって、何と対決していたのか。そのために何を批判し、何を継承して、概念を構築していったのか。新書には珍しい本格的入門書で、叙述は平易なのに、読み進むのにとても時間がかかるし、「難しい」。

私の能力ではようやく紹介することもできない。重要な個所はいくつもあるが、次の1節を引用するにとどめよう。

「このように知性主義という視点を一つ加えてみると、ヴェーバーの言う『西洋文化における特別な形の「合理主義」』が覇権を握る時代とは、<知性>そのものが矛盾を深める危機の時代だということがこの上なく明瞭なものになってきます。西洋近代ということでもっとも『合理的』と見えたこの時代の社会の基調は、もっとも深い非合理(知性の分裂と反知性主義)によって支えられているということです。知性主義の視点をもってこのことが確認できるなら、そこから知性の分裂を超えるべく『近代的』と名指された時代状況と社会事象への根本的な問い直しが始まります。そして、そのような根本的な問い直しの始まるところにこそ、新しい批判的な知性が主導する新しい生活態度と社会構想の可能性も開かれると希望することができるでしょう。この知性への覚醒、ここに私たちがヴェーバーから学ぶ思想の核心のひとつがある、とわたしは考えます。」