Wednesday, March 24, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(167)カナダの二段階アプローチ

鈴木崇之「カナダにおける表現の自由の保障とその限界――審査枠組みの観点から」『東洋大学大学院紀要』五四集(二〇一八年)

鈴木によると、アメリカと同様に英米法系に属するカナダだが、アメリカの判例法理とは異なる独自の法理を形成してきた。違憲審査基準というわけではなく、「分析のための基本的枠組み」と理解されているという。

カナダの枠組みは二段階アプローチと呼ばれ、「まず第一段階で、カナダ憲章で保護された権利及び自由が制限されたかどうかが問題となる。この段階での立証責任は、権利及び自由の侵害を主張する当事者にある」。「第二段階では、制限が正当化されるかどうかが問題となり、この段階での立証責任は制限を支持することを求める当事者―大抵は国家――にある」という。そこでは形式的要件と実質的要件が検討される。形式的要件は「その機能として、公務員の恣意的ないし差別的取り扱いを排除すること、②何が禁止されているかにつき国民に知らしめる告知機能が挙げられる。次に、実質的要件については、その文言が多義的であり、その内実を確定することが求められる」という。それはOakes事件判決で提示されたOakesテストによって明示された。鈴木はOakesテストを(1)目的の重要性、(2)比例テスト、の2つに分けて説明する。

鈴木は最後に次のように述べる。

「この審査枠組みを特徴付けるカナダ憲章1条の規定は、憲法の条文上で憲法上の権利及び自由の制限を認めている。あたかも法律の留保とも思えるカナダ憲章1条の正当化条項はカナダ特有のものではなく、欧州人権規約、市民的及び政治的権利に関する国際規約、世界人権宣言にも類似の規定が見受けられる。1982年憲法が比較的新しいことから、カナダ憲章1条は人権保障に関する国際的趨勢を参考に規定したものと考えられる。」

鈴木によると日本国憲法13条も同じタイプの規定であるから、カナダのような段階的審査を参考にすることができる。

また、鈴木によると、カナダの審査枠組みは、アンティグア=バーブーダ、オーストラリア、フィジー、香港、アイルランド、イスラエル、ジャマイカ、ナミビア、南アフリカ、バヌアツ、ジンバブエに影響を与えているので、「このテストの汎用性が高いことが示唆されうる」という。

「よって、我が国においても、憲法13条の一般的人権制約条項を基幹に、カナダ型の審査枠組み構築に向けた議論を展開していくために、カナダの審査枠組みを研究することは十分に意味がある。」

若干のコメントをしておこう。

1に、人権条項と、それに対する一般的人権制約条項を持つ法体系という共通性は、私も『ヘイト・スピーチ法研究序説』以来、指摘してきたので、納得できる。私はそれゆえ、国際人権法の重要性を唱えてきた。鈴木は国際人権法と同様であるからという理由でカナダ法に向かう。カナダ法を参照するのは理解できるが、それならばなぜ最初から国際人権法を研究しないのだろうかと思わないでもない。

2に、アメリカ憲法は歴史的性格も憲法の構造も人権条項の規定方式も文言も、日本国憲法とは大きく異なる。それゆえ、日本国憲法の解釈に際して、アメリカ憲法に学べと主張するのであれば、その正当性を立証する必要があるはずだ。日本国憲法の制定をリードしたのがGHQであったことや、日本の憲法学がアメリカ憲法学に学んできたという事実は、およそ立証と言えるレベルの話ではない。

前回の「ヘイト・スピーチ研究文献(166)内容中立性原則」において、私は次のように書いた。

<鈴木は「アメリカの判例法理が、日本におけるhate speechの議論に対して、どのような意味を有するかという点については明らかにしえなかった」と正直に述べる。常識的に考えれば、「じゃあ、なんで論文書いたの?」と言うべきところだが、……>

鈴木はアメリカ法のみならずカナダ法も研究し、両者を視野に入れた議論を展開し、特にカナダ法の意義を強調しているので、私の上記コメントはピントがずれていたようだ。

3に、カナダの二段階アプローチ、審査分析のための基本的枠組みはシンプルな枠組みであり、それ自体はよく理解できる。国際人権法においても類似の方法が採用されてきた解いてちょいと思う。欧州人権裁判所や、国際自由権委員会やその他の条約委員会の議論の仕方も同様と言って良いだろう。その意味ではイギリス法系の諸国に限らないとも言える。問題は、シンプルなアプローチはわかりやすいが、実際の適用に際して背景や文脈や効果について別途検討を要することだ。鈴木も日本にカナダ法を応用する具体的な議論は今後の課題としている。