Monday, March 01, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(163)「記憶法」の概観

ニコライ・コーポソフ「『フランス・ヴィールス』――ヨーロッパにおける刑事立法と記憶の政治」『思想』1157号(2020年)

1980年代に始まり、今日では約30カ国で制定されている刑事法としての「記憶法」――ドイツでは「アウシュヴィツの嘘犯罪」「民衆扇動罪」と呼ばれ、「ホロコースト否定犯罪」「歴史修正主義犯罪」ともいわれる――に関する研究である。ヘイト・スピーチの一種である。「記憶法」という言葉には後述するように疑問がある。

ジェノサイドや人道に対する罪のような重大人権侵害についての記憶をめぐる研究は歴史学、心理学をはじめさまざまな分野で深められているが、歴史の事実を否定する修正主義犯罪を処罰する動きは1990年代に西欧で急速に進んだ。

それゆえ、法的研究が先行したと言って良い。ドイツ法については楠本孝、金尚均、桜庭総、フランス法やスペイン法については光信一宏による研究があり、韓国における議論については日韓シンポジウムで報告されたが、それ以外あまり知られていない。

私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』第10章第5節では11カ国紹介した。『ヘイト・スピーチ法研究原論』第7章では3カ国紹介した。

韓国の議論については、

前田朗「日韓ニューライトの「歴史否定」とは」『部落解放』785号(2020年)

国際的動向としては次の2著がとりわけ重要である。

エマヌエル・フロンツアの著書『記憶と処罰――歴史否定主義、自由な言論、刑法の限界』(スプリンガー出版、2018年)は以前紹介した。

https://maeda-akira.blogspot.com/2019/10/blog-post_22.html

ウラディスラウ・べラヴサウ&アレクサンドラ・グリシェンスカ-グラビアス編『法と記憶――歴史の法的統制に向けて』(ケンブリッジ大学出版、2017年)も最近紹介しているところである。

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/02/blog-post_47.html

このテーマについて歴史学で豊かな研究を提示してきた橋本伸也(関西学院大学教授)がコーソポフ論文を翻訳した。

コーソポフはロシア出身でレニングラード大学(サンクトペテルブルク国立大学)の歴史学者だったが、ロシアにいられなくなり、現在はアトランタ大学客員研究員だという。私と同じ年齢だ。歴史と記憶、法と記憶、知識人の歴史に関する多彩で精力的な研究成果を送り出してきた。中でも、ナチスドイツの過去と共産主義の過去に関連するこのテーマでの発言が、独特のナショナリズムを利用する現在のロシア政治に反するために事実上の迫害を受けたようである。

本論文の特徴、メリットは、何と言っても、法と記憶をめぐる議論と立法の全体を概観している点である。理論的には、西欧型と東欧型の分類、特にフランス法、ポーランド法、そしてさらに独自のロシア法について分析している。この視点によって、従来の「アウシュヴィツの嘘犯罪」論とは異なる論点が浮上する。

198090年代に立法が始まった西欧型は、ドイツにせよフランスにせよ、ナチスドイツによるユダヤ人迫害などの人道に対する罪の否定を犯罪とする。スペインではフランコ政権時代の犯罪や、スイスではアルメニア・ジェノサイドを裁く動きが見られたが、基本は同じである。私たちが研究してきたのはこのタイプである。

これに対して、2000年代から立法が始まった東欧型は、ナチス犯罪の否定の処罰と並んで、スターリン体制犯罪の否定の処罰が含まれる。共産主義犯罪の否定の処罰である。ここでは、ナチスに加担協力した歴史のある国、ソ連に占領された国、自ら解放した国によって、さまざまな差異が生じる。特にロシアの場合、対ナチス抵抗戦争を大祖国戦争として英雄視するが、それもスターリン時代のことだから、ねじれた関係になる。

コーソポフは、西欧型と東欧型をそれぞれ、どのような歴史経過で、どのような課題を達成するたえに立法されたか、政治力学的な分析を施している。ナチスドイツの過去の克服のために始まった刑事立法が、異なる文脈、異なる政治力学の場に持ち込まれ、それぞれの国におけるナショナリズムと絡んで複雑な展開をしていることが分かる。訳者の橋本の言葉では「権威主義的でポピュリズム的な政治の道具として『記憶法』を濫用する事例が相当の広がりを見せている」という。

重要な問題提起である。フロンツアの著書は東欧型も射程に入れているが、具体的な分析対象となっているのはやはり主に西欧の立法例である。べラヴサウ&グリシェンスカ-グラビアスの著書は欧州全体を射程に入れているが、私が紹介した部分はまだ東欧を含んでいない。これから紹介していきたい。今後の研究は、コーソポフと橋本に学んで進めなくてはならない。コーソポフと橋本のような歴史的政治的考察と、法的考察の両方に目を配る必要がある。

コーソポフの最後の一節を引用しておこう。

「このように記憶立法の展開はおおいに問題を含んだ、危険とも言えるほどの側面をはらんでいる。民主主義の勝利の瞬間に平和の政治の道具として考案された記憶立法が、国民神話の擁護とヨーロッパ諸国の国内と諸国間の記憶戦争の道具として利用される例がますます多くなっている。そのような展開には、リベラル・デモクラシーの減退やナショナリズムとポピュリズムの高揚に関わる外的要因が存在する。だがそこには、現代的な歴史意識の現れとしての記憶法の特質にかかわる内的原因もある。そこには、普遍主義と個別主義の間の葛藤、つまり全人類的価値と多種多様な記憶コミュニティの儀式的シンボルの間の葛藤が埋め込まれている。だからこそ、ナショナリストとポピュリストはかくも容易に、この民主主義的記憶政治の道具を『横領』することができたのである。」

ただし、言葉の使い方については、やや注意が必要だ。

1に、「記憶法」という名称自体が疑問である。記憶を処罰する法律は作ってはならないことは言うまでもない。ドイツ法は民衆扇動罪と呼ばれるように、ヘイト・スピーチの一種としての扇動罪である。ユダヤ人迫害の事実を否定したり、正当化することによって、差別や暴力を煽動するから処罰する。記憶を処罰するのではない。コーソポフのように「記憶法」という名称を用いることは適切ではない。

2に、論文タイトルに「フランス・ヴィールス」とある。鍵かっこで用いられていて、コーソポフの言葉ではないようだが、わざわざ論文タイトルに用いる必要があるだろうか。トランプ元大統領が「中国ヴィールス」を連発したように、この用法は他者への非難を呼びかけるものであり、差別の煽動につながる危険性もある。