Friday, April 30, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(175)ジェノサイド条約起草過程

八嶋貞和「ジェノサイド条約の起草過程――国連総会決議96(Ⅰ)に関する議論を中心として」『青山社会科学紀要』第49巻2号(2021年)

はじめに

第1章         国連総会第六委員会付託に至るまでの議論

第1節        ラファエル・レムキンのロビー活動

第2節        国連総会一般委員会第24回会合

第2章         国連総会第六委員会における議論

第1節        22回会合

第2節        サウジアラビア条約草案と第23回会合

第3節        24回会合

第1項        チリ修正案

第2項        フランス第2次修正案

第3項        ポーランド提案とその他の議論

第4節        特別小委員会と国連総会決議96

おわりに

八嶋は1949年ジェノサイド条約の歴史的展開を研究するために、本稿ではその最初期の成果文書である194612月の国連総会決議96)の形成過程を明らかにする。

ジェノサイド条約の形成過程については、ジェノサイド概念を提案し条約作りに活躍したラファエル・レムキン自身の論考を始め、古くから多くの研究がある。特に1998年の国際刑事裁判所規程が1949年ジェノサイド条約と同じ定義を採用し、1998年のルワンダ国際刑事法廷をはじめとしてジェノサイドの罪の適用事例が相次いだため、21世紀になって裁判においても理論研究においてもジェノサイド研究は飛躍的に進展した。

八嶋はそうした発展を見据えつつ、ジェノサイド条約の現在を把握するために、最初期の194612月の国連総会決議96)に着目し、そこから重要論点を発掘しようとする。

例えば、レムキンはパナマ、キューバ、インドの3国に交渉して決議案を提出してもらったが、なぜこの3カ国だったのか。八嶋によると、ラテンアメリカとアジアの3カ国が決議案を提出することで、欧州諸国はホロコーストを想起し、決議案に賛成せざるを得ないと踏んだことによるという。欧州諸国に心理的圧力をかける作戦だ。

また、八嶋によると、ソ連は最初、決議案に反対だったのに、後に積極的に賛成する側についた。これは、ソ連が最初は自国のジェノサイドの責任を追及されることを嫌ったためであり、カチンの森事件等を想起していたが、レムキンの説得が功を奏し、国家責任ではなく個人の刑事責任に限定されたことから、ソ連が賛成に回ったという。

チリの修正案では、ジェノサイドを「国際犯罪」ではなく「国際法上の犯罪」としたが、これによりジェノサイドの処罰に普遍主義を適用するのか否か、その後の管轄権の理解をめぐる議論が生じた。

これらの論点も興味深いが、もっとも興味深いのは、八嶋が「ポーランド代表により提案された『ヘイトプロパガンダ』の性格は、ジェノサイドの遂行における『予備的段階』であり、これを処罰する趣旨は、ジェノサイドの発生を予防するためであった点」とまとめている論点である。

 ポーランドは「それらは、ヘイトプロパガンダという手段を用いて、犯罪への道筋を準備した者の責任に対して向けられるべきである」と主張した。ポーランドは、防止の観点から「ヘイトプロパガンダ」の犯罪化を唱えた。後にヘイトプロパガンダは予備的段階に位置づけられる。

 さらに後に国連事務総長条約草案では「公然たるプロパガンダ」となる。しかし、ジェノサイド条約にはこの規定は存在しない。現在の規定はジェノサイドの「直接かつ公然たる扇動」である。八嶋はこれらの関係に注目しており、「次稿では、『公然たるプロパガンダ』規定および扇動既定の起草過程について検討を加える」という。

私はかつて『戦争犯罪論』(青木書店、2000年)及び『ジェノサイド論』(青木書店、2002年)でジェノサイド研究に手を付けた。その後、何度かジェノサイドに言及してきたが、最近では、次の2点を公表した。

前田朗「コリアン・ジェノサイド論素描――関東大震災朝鮮人虐殺を世界史に位置づけるために」『東アジア共同体・沖縄(琉球)研究』第4号(2021年)

前田朗「日本植民地主義をいかに把握するか(六)――文化ジェノサイドを考える」『さようなら!福沢諭吉』第10号(2020年)

私の関心はコリアン・ジェノサイドとコリアン文化ジェノサイドの概念を構築することにある。その限りで、レムキン以来のジェノサイド概念にもかなり言及した。

八嶋論文は、第1に、国連総会決議96)の形成過程を詳細に明らかにしている。私は決議以後の状況を取り上げたが、決議の形成過程を論じてこなかった。

2に、ヘイトプロパガンダに着目している。私は恥ずかしながら、ジェノサイド条約形成過程でヘイトプロパガンダ概念が登場したことを知らなかった。八嶋論文に学ぶことばかりである。次の論文が楽しみだ。