Sunday, April 04, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(169)大阪市条例研究

魚住真司「大阪市反ヘイトスピーチ条例:その経緯と今後」『人権を考える』第20号(関西外国語大学、2017年)

 問題の所在

Ⅱ 大阪市条例の経緯

Ⅲ 全国実態調査と大阪

Ⅳ 今後の課題

Ⅴ 提言

マス・コミュニケーション学会の研究発表会ワークショップの準備草稿を論文化したもの。法律ではなくマスコミ研究の一環。

魚住は法規制について「ヘイトスピーチの抑制を法規制に頼り始めると、やがて社会は思考停止に陥るのではないかと危惧する」と言い、「言論規制は一時的に効果を発揮したとしても根本解決ではないように思われる」と明言する。

その上で、大阪市条例の経緯を確認し、2016年の法務省によるヘイト・スピーチ実態調査を瞥見し、「今後の課題」において、人種差別撤廃条約やヘイト・スピーチ解消法にも触れ、日本における法規制の可能性について、積極説の明戸隆浩の議論に消極説の市川正人の議論を対置する。註では私の主張も紹介している。

魚住自身の主張は、ロンドンのハイドパークの「スピーカーズ・コーナー」のような「パブリックフォーラム」を日本につくることである。

最後の「提言」では、「慰安婦問題」について、日韓対話を進めていくには世代交代が必要という三浦瑠璃の主張を紹介し、日本語や韓国語ではなく、お互いに英語を使って会話をすることだという。それによって「合理的な対話が実現するかもしれない。日韓合意への達成感は融和を促進するだろうし、在日コリアンに対するヘイトスピーチを減少させることにもつながるだろう」という。

魚住の最後の一文は、「世代交代と外国語による対話が、結果としてヘイトスピーチ抑制に少しでも役立つのであれば、それに期待しても良いのではないか」である。

コメント

1に、魚住は「ヘイトスピーチの抑制を法規制に頼り始めると、やがて社会は思考停止に陥るのではないかと危惧する」と言う。魚住は法規制をどう理解しているのだろうか。法規制するためには、議会において討論を尽くし、法律を作る必要がある。これが民主主義である。ところが、魚住は法規制に頼り始めると、「やがて社会は思考停止に陥る」と言う。魚住は民主主義をどう理解しているのであろうか。「社会は思考停止に陥る」というのは、何を根拠に、いかなる事態を想定しているのだろうか。殺人も、詐欺も、麻薬取引も、人身売買も、スピード違反も、無免許運転も、酩酊運転も、食品衛生も、医薬品も、保険も、年金も、日本ではすべて法規制しているが、「社会は思考停止に陥る」のだろうか。

第2に、魚住は「言論規制は一時的に効果を発揮したとしても根本解決ではないように思われる」という。いま求められているのは「根本解決」だろうか。とりあえず、目の前で起きている差別と暴力を止めることが課題ではないのか。目の前の差別と暴力を放置して、10年先、100年先の根本的解決を議論するのであろうか。

「法規制は根本的解決にならない。むしろ対抗言論を」「むしろ教育を」というのはありふれた意見の一つである。こう主張するのであれば、「対抗言論が根本的解決になる」ことを証明し、実践する責任がある。「教育が根本的解決になる」ことを証明する責任がある。どのような対抗言論を、どのように実践し、いつまでにヘイト・スピーチをなくすのか。教育はどうなのか。私は何度もこう指摘し、具体的方法を示すように要請してきた。しかし、私の要請に応答した論者は一人もいない。

魚住は「世代交代と外国語による対話」という。世代交代とは、どのレベルの世代交代なのあろう。大雑把すぎて、議論にならないのではないか。魚住は「合理的な対話が実現するかもしれない。」という。「かもしれない」って、いくら何でも、これはない。「根本解決」にならないと法規制を否定しながら、魚住自身の主張は「かもしれない」だ。

魚住は「結果としてヘイトスピーチ抑制に少しでも役立つのであれば」という。「結果として…役立つのであれば」って、いくら何でも、これはない。現に起きている差別と暴力のヘイト・スピーチを抑止するための法規制を否定しながら、「結果として…役立つのであれば」とは、ちょっと信じがたい話である。