Wednesday, March 25, 2015

ヘイト・スピーチ研究文献(11-2)被害実態調査について

元百合子「不特定多数に対するヘイト・スピーチの被害――実態調査で分かったこと」『IMADR-JC通信』181号(2015年)

ヒューマンライツ・ナウが2014年に行った実態調査の紹介である。著者はヒューマンライツ・ナウ関西グループの一員としてこの実態調査を行ったメンバーである。

著者は最後に次の様に述べている。
「以上の調査結果から浮かび上がるのは、不特定多数に対するヘイト・スピーチが悪質な人権侵害でありながら、被害は調査も救済もされないまま放置されている現実である。社会の不均衡な力関係の中で優位にあるマジョリティがヘイト・スピーチの自由を保障されてマイノリティは恐怖と屈辱の中で沈黙を強いられている。国連の勧告に従って、『断固として対処するための具体的な措置を速やかにとること』が強く求められる。マイノリティには差別されない権利、表現の自由を含めてすべての人権を平等に保障される権利、尊厳を尊重されて生きる権利があり、政府はそれを実効的に保障する義務を負っているのである。」


著者は「マジョリティがヘイト・スピーチの自由を保障され」ている現実を批判している。日本政府及び憲法学の「定説」は文字通り「ヘイト・スピーチの自由」を主張してきた。しかも、それが「日本国憲法上の権利」であるという異様な解釈である。憲法学の「定説」なる解釈は完全に間違っているが、間違いを示すためにも被害実態調査が重要である。

Sunday, March 22, 2015

大江健三郎を読み直す(42)「想像力的日本人」はどこにいるか

大江健三郎『状況へ』(岩波書店、1974年)

小田実の『状況から』と同時発売され、2冊とも買った。大江の新刊を初めて買ったのがこの本だった。大学1年の時だ。小田実は『世直しの倫理と論理』に続いてだが、『何でも見てやろう』はまだ読んでいなかったと思う。

プロローグ冒頭に「構造主義の言語学者にみちびかれて」という言葉が出てくる。当時すでにポスト実存主義の構造主義が思想界で流行になっていることは知っていたが、自分では読んだことがなく、知識はなかった。大江が構造主義の言語学を勉強しているのだな、ということがわかっただけだったが。すぐ後に大江が文化人類学や言語学の影響を受けた作品世界に突入していくとまで予感できていなかった。だいたい、私は「大学生になったらマルクスを読もう、サルトルを読もう」と思っていたのだから、ここで遅れを取っていたのかもしれない(笑)。遅れることはいいことでもある。
「日韓条約の強行採決、沖縄返還協定の強行採決の日、その直後、なにが日本人の現実生活におこったかを、すでにわれわれの多くは忘れている。政府・与党の『暴挙』を糾弾した野党のそれぞれの言葉がどのようであったかも、忘れている。そもそもこれらの『暴挙』がいったいどのような暴挙であったかすらも、忘れた人びとは多いかもしれない。しかしその『暴挙』の現実的な結果は、朝鮮半島全域と日本との関係において、またほかならぬ沖縄のすべての生活の場において、実に露骨に顕在化しつつある。その影響をもろにひっかぶらねばならぬ人びとにとって、それを忘れるなどということはおよそあり得ぬのであるが……」
「いま沖縄でおこっているすべてのことについて、日本人である自分の責任は逃れられぬ。それは生きつづける個人には背おいきれぬほどの重さであるから不様によろめくことも結局さけえられるものではない。しかし沖縄で剥きだしに尖鋭化しているすべての矛盾は、ごく近いうちに日本全体にかえってきてそこを襲うはずのものである。」
「絶対天皇制的なるものをいまなお教育の根幹にすえているといわれる学校の生徒たちの、在日朝鮮人学生へのたびかさなる、しかもしだいに激化する暴行事件は、根柢においてこの危機感に立っているであろう。この危機感から出発して、日本列島の海と陸を汚染させ、今日と明日の日本人の存立を危うくしているものに眼をむけ、抗議の行動に加わるというのではない。苛立ち、自身をうしない、それゆえになお兇暴な徒党をくんで、弱小者とかれらがみなしている者ら、しかも菊の花を背後にせおっていないことの確かな者らへむけておそいかかってゆくのである。いやこちらからしかけたのではない、われわれは被害者なのだとすらかれらが強弁するのは、深層心理的には決して虚偽の申し立てではないのではあるまいか……」
2015年ではなく、1973年の大江の言葉をいくつか引用するだけで、日本列島の上に成立している国家と社会の悲惨さに、40年の歳月はさしたる変化を与えないのか、と悩ましくもなる。もちろん変化がないのではなく、大いに変化しつつ、根底に同じものが流れ続けているのだが。

大江は、ベトナム戦争におけるアメリカの敗北の歴史的意義を語り、それにもかかわらずアメリカが沖縄を拠点にアジアで軍事行動を続けていることを確認し、批判する。核兵器の時代の戦争において、核が使用されずとも、核に迫る勢いで破壊力を増している「通常兵器」、科学技術の成果が猛威を奮っていること、そのために科学者がいかに「活躍」しているかを問う。沖縄返還とともに始まった日本資本の大量進出による地元経済の破壊と自然破壊にも目を向ける。同じことは韓国でも繰り返されていた。そして、金大中拉致事件をめぐる日韓支配層の談合的処理を問う。

大江は「想像力的日本人」に期待を寄せる。

「想像力は、じつはストイックなほどにも現実の内奥に根をおろし、現実に縛られ、また究極において現実にむかうものでなければならぬのである。科学的な認識と言うことにつきつけていえば、想像力はそのうちにくいこんでいなければならぬし、想像力的な現実認識の展開は、つねに科学的な認識によって裏打ちされつづけなければならないのである。」


しかし、1973年にも2015年にも、「想像力的日本人」は果たしてどこにいるだろうか。

VIGNA D'ANTAN, Rosso del Ticino, 2010.

Saturday, March 21, 2015

未知のフランクフルト学派へ向けて

細見和之『フランクフルト学派』(中公新書)

副題は「ホルクハイマー、アドルノから21世紀の『批判理論』へ」と長い。フランクフルト学派の母体となった社会研究所の設立が1923年、日本でいえば関東大震災の年だ。ホルクハイマー、アドルノ、ベンヤミン、フロム、マルクーゼ等々の綺羅星たちが、出会い、議論をたたかせ、最初のピークを迎えることから取り上げて紹介している。しかし、ナチス・ドイツによってユダヤ人が迫害され、ホルクハイマーらはアメリカに亡命を余儀なくされ、ベンヤミンは無念の死を遂げる。戦後(西)ドイツに戻ったホルクハイマー、アドルノたちは再建された研究所でふたたびきらめき、活躍をする。次の別れは68年革命という言になる。その後、ハーバーマスの登場により第二世代の活躍の時期になる。他方、アメリカ・フランフルト学派も存立する。本書は第三世代まで取り上げている。新書1冊にこれだけ取り入れるのはなかなか大変だ。しかも、著者は「未知のフランクフルト学派を求めて」と、その先へ旅を続けようと言う。

ナチス・ドイツの歴史への反省が現代ドイツ思想の骨格を形成していることが良くわかる。それに引き換え、日本は、と言いたくなるが、著者も「おわりに」においてごく僅か言及するにとどめている。本書を読めば、当然、次に考えるべきことだ。ただ、ナチス・ドイツを異質な時期として切り捨てるのではなく、西欧近代の合理主義の中に胚胎されていた側面を強調しているように、日本についても、軍国主義日本だけではなく、近代日本の総体を俎上に載せることを著者は言おうとしている。重要な問いである。


著者の本はすでに『アドルノ』『「戦後」の思想』をよんだ。『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む』は読んでいない。著者はアドルノやベンヤミンの翻訳者でもある。さらに著者は詩人でもある。アドルノが音楽家、音楽批評家、哲学者であったことを思わせる。

「立憲的ダイナミズム」とは何か

水島朝穂編『立憲的ダイナミズム』(岩波書店、2014年)

「本シリーズ全八巻のうち本巻の特徴は、安全保障をめぐる憲法的・法的世界の発掘と可視化にある。『発掘と可視化』という意味は、世間一般に抱かれている憲法(学)に対するイメージとは異なり、あえてより『現実』を踏まえた議論に軸足を移すことで見えてくる論点の提示に重点を絞ったことである。国際関係、日米安保体制、アジア・周辺諸国との関連の問題はすべて本シリーズの他巻はあくまでも、憲法学の観点から、安全保障問題への立憲主義的思考の浸透とそこでの問題発掘に主眼を置いた。」

編者を含む10人の執筆者は全員、憲法前文の平和的生存権や憲法9条の価値観をもっとも重視しその理論的射程を広げ、実践的意義を確認してきた憲法学者であるが、本書はそれにとどまらず、日米安保条約と肥大化する自衛隊(そして集団的自衛権閣議決定)という日本の「現実」を前提にした議論を試みる。もちろん、「現実」に追随するだけの「ニセ現実主義」とは一線を画し、「現実」と憲法の間の落差を測定し、その落差の意味を徹底的に問い直す。当然のことながら、「現実」とは何か、という問いが執筆者それぞれの中にあり、しかもなお「現実」に迫り、その内実を解剖することで「現実」を変えていく志向を有する。

9条の政府解釈はどう変容しているのか(集団的自衛権)。「危機」の概念としての憲法制定権力の再考。立憲主義と平和主義の交錯における9条。立憲主義と軍国主義。文民統制論。リスクの憲法論。多様な論点について充実した論文が収められている。専門書としての研究水準を維持しつつ、市民に向けて差し出された著作と言って良いだろう。最初から最後まで、時間を無駄にすることなく読める良書である。勉強になったが、一読では足りないので再読の必要がある。

おもしろかったのは、編者の世代論的呟きである。1953年生まれの編者は、一方で大先達である芦部信喜・東大名誉教授に著作を献呈した時にもらった礼状のエピソードを紹介しつつ、「若い研究者や評論家」の戦争観に「ゲーム感覚を楽しんでいる」傾向を感じ取って嘆いている。もちろん、単に嘆いているのではない。本書の執筆者の半数が1960年代生まれであり、1名は1970年代、2名は1980年生まれである。若い世代の研究者との相互批判を通じて憲法学を発展させていこうと言う目論見でもある。

もう一つ、うれしかったのは、最後の君島東彦論文「安全保障の市民的視点」において、現在、国連人権理事会で進んでいる「平和への権利国連宣言」をつくろうという運動がとりあげられ、私たちの本、笹本潤・前田朗編『平和への権利を世界に』、反差別国際運動日本委員会編『平和は人権』の2冊が掲げられていることだ(ちなみに昨年、もう1冊、平和への権利国際キャンペーン日本実行委員会『いまこそ知りたい平和への権利48のQ&A』を出した)。平和への権利を扱い、日本国憲法前文の平和的生存権と密接に関連しているのに、従来、憲法学はこのテーマに言及してこなかった(上記キャンペーンに関わっている憲法学者も数名いるので、これは例外)。国連における動きであり、国際法の問題と受け止められているのだろうか。君島論文は、グローバルな市民社会の取り組みとして、文民による平和維持活動、非暴力平和隊の意義、GPPACなどに言及している。国連人権理事会における平和への権利の議論では、日本の裁判所における平和的生存権判決(長沼、名古屋、岡山)、コスタリカ憲法裁判所判決、韓国憲法裁判所判決など、平和への権利をめぐる司法判断についても検討がかさねられている。つまり、憲法前文と9条の下で、恵庭、長沼以来続いてきた日本憲法学の理論的成果を国際舞台で活かしていく作業である。

おまけ:国際的レベルの議論は憲法学にはなかなか通じない。私たちのピースゾーンの提言も憲法学からはほとんど相手にされなかった。確立したピースゾーンのオーランド諸島を紹介しても憲法学からは反応がない。サンホセ・デ・アパルタードの苦難も見向きもされない。ジュネーヴ州憲法に平和的生存権を入れたいという試みも。そして、日本で取り組んだ無防備地域運動も、多くは無視であった(数名の憲法学者が前向きの評価をしてくれ、ともに取り組んだ憲法学者もいるが)。以上の全体をまとめて、無防備地域宣言、平和都市宣言、非核都市宣言など地域から平和づくりを進め、政府を包囲していく運動の提案も日本ではなかなか反応がなく、憲法学者はいつも中央志向である。憲法学だから、ある意味やむを得ないかもしれないが。そうこうしている間に、イタリアでは、<人権としての平和><基本権としての平和><平和の文化><戦争拒否><軍縮>といった言葉を掲げた自治体の規定や決議が続々とできている。「軍事外交は内閣の専権事項だから自治体は発言できない」などという憲法学者は一度イタリアへ行って調査してほしいものだ。



Friday, March 20, 2015

国連人権理事会第28会期(6)のりこえねっと、国連デヴュー(ヘイト・スピーチについて発言)

3月20日、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、議題5のマイノリティ問題において次のような発言を行った。

<マイノリティ問題特別報告者のリタ・イザクはその報告書(A/HRC/28/64)98パラグラフでのりこえねっとに言及した。
「のりこえねっとは日本に本拠のある団体で、日本における朝鮮人を標的としたヘイト・スピーチとレイシズムを克服するために活動している。他団体と協力してレイシズムとヘイト・スピーチに集団的に対抗するために、反ヘイト・スピーチのイベントや抗議を組織し、日本において人種差別禁止法の制定を推進している。」
のりこえねっとの共同代表の一人として特別報告者に感謝する。
日本では在日コリアン住民に対するヘイト・デモが増加している。右翼集団はコリアンに対して「ゴキブリ」「韓国に帰れ」「叩き出せ」、そして「コリアンを殺せ」と叫んでいる。
しかし、日本政府は表現の自由と称して、ヘイト・クライムやヘイト・スピーチの予防措置を講じていない。2012年の人権理事会普遍的定期審査UPRで日本に対してヘイト・クライム法の制定が勧告された。人種差別撤廃委員会は2010年と2014年に人種差別禁止法の制定を勧告した。社会権規約委員会は、日本による性奴隷制の被害者である「慰安婦」の搾取について教育で教え、彼女たちに対するヘイト・スピーチを予防するように勧告した。日本政府は、マイノリティに対するヘイト・スピーチを予防する効果的措置をすみやかにとり、ヘイト・スピーチ禁止法を制定するべきである。>

国連人権理事会の討論においてNGOが日本のヘイト・スピーチについて発言したのは2回目である。1回目は昨年3月19日で、下記の発言。今回も基本は同じ。
国連に日本のヘイト・スピーチを訴える


マイノリティ・フォーラムの討論では、リタ・イザクの報告書(メディアにおけるヘイト・スピーチ)のプレゼンテーションに続いて多数の政府が発言した。ナイジェリアはボコハラムの犯罪を訴えた。EU代表はサイバー犯罪条約の話をしていた。エストニアは「マイノリティの表現の自由」を明確に語った。ギリシアとアルメニアは、ヘイト・スピーチとジェノサイドの関連を指摘し、ロシアはメディア・リテラシーの重要性を語ったあと、よせばいいのにウクライナ問題。ハンガリーはヘイト・スピーチ予防のため政府、市民社会、国際社会の有機的な協働を訴えた。中国も民族的マイノリティの権利を唱えた。イランはインターネット上のヘイト・スピーチがはびこっているので伝統的メディアこそヘイト・スピーチと闘うツールだと指摘した。その他、メキシコ、オーストリア、ポーランド、イタリア、リビア、パキシタン、リトアニア、スイス、イラク、トルコ、イスラム諸国機構、ラトヴィア、ミャンマなどが発言した。

最後に、イザク特別報告者が、ポジティヴ・ランゲージ、ポジティヴ・スピーチの重要性を唱えた。彼女の来年のテーマは「刑事司法におけるマイノリティ」と予告。

Thursday, March 19, 2015

待望の「慰安婦」問題・総合的研究

歴史学研究会・日本史研究会編
『「慰安婦」を/から考える――軍事性暴力と日常世界』(岩波書店)
「一九九一年の金学順さんの告発から二〇余年,「慰安婦」の存在を否定し問題の矮小化をはかる動きが再び猖獗を極めている.強制性の有無をめぐる恣意的な議論に対し様々な角度から論駁するともに,「慰安婦」制度が戦時下の極限状況ではなく,日本や植民地における日常世界の中から作りだされたものであることを歴史的に検証する.」(出版社のサイトより)
・編者からのメッセージ
 本書は,元「慰安婦」の女性たちの「声」を黙殺し,「慰安婦」問題自体を隠蔽する事態と正面から向き合うためにも,戦時性暴力と日常世界のかかわりを検証する必要があることを提起しています.……そして橋下大阪市長の発言や,『朝日新聞』をめぐる一部の政治家やマスメディアの言動は,一九九〇年代以降,戦時性暴力の被害者の名誉を回復しようとしてきた世界の潮流と逆行するものであることをしっかり確認したいと思います.……七〇年以上前の「慰安婦」の問題に対して,四半世紀前に「声」が投げかけられました.その「声」に応え,いま,「慰安婦」問題と出会うために,ぜひ多くの人に本書を手にとっていただきたいと願っています.――「まえがき」より
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著者の半分ほどが知り合いなので、あまり褒めたくないが(苦笑)、とても充実した研究書である。「慰安婦」問題への切り込み方は、歴史研究、社会学研究、法学研究のそれぞれによって様々でありうるが、本書が採用したのは第一編「軍事性暴力から日常世界へ/日常世界から軍事性暴力へ」に示されているように、軍事性暴力、植民地支配、そして日常世界がどのように成り立ち、どのように連関しあい、どのように密接につながっているか、である。その際に、朝鮮半島における歴史の現実に向き合うのは当然のことであるが、それにとどまらず、戦争犯罪論や、諸外国における軍事性暴力にも視野を広げ、複合的に考察を加えている。

特に永原論文は欧米諸国の軍隊が戦時や植民地においてどのように性の管理と支配を行ったかを問う。この論点は、従来、「どの国にも慰安所があった」という俗論の根拠とされがちであったが、短絡的な議論に陥らず、軍事性暴力の「普遍性」と日本軍慰安所の特殊性を再考する手がかりを与える。

小野沢論文は、従来手薄であった「日本人慰安婦」研究に踏み込み、売春と戦時性暴力の狭間で議論を立て直すために、「構造」と「主体」を基軸にした分析を試みている。植民地朝鮮の「慰安婦」は「帝国の慰安婦」であるがゆえに<愛国>的にふるまい、それゆえ被害者ではないと言う最近の俗説に寄れば、日本人慰安婦もすべて被害者ではあり得ないことになるが、当時の日本の日常世界がいかなるものであり、女性たちがいかなるメカニズムで「慰安婦」とされ、その後の人生を生きたかを丁寧に考察する必要がある。

その他の論文も力作であり、とても勉強になる。
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まえがき――「慰安婦」問題と出会うために 長志珠絵・大門正克

第一編 軍事性暴力から日常世界へ/日常世界から軍事性暴力へ
第一部 軍事性暴力から日常世界へ
1 「慰安婦」問題から植民地世界の日常へ 宋連玉
2 日本軍「慰安婦」制度が朝鮮戦争期の韓国軍「慰安婦」制度に及ぼした影響と課題 金貴玉(訳/野木香里)
3 戦争犯罪研究の課題 吉田裕
4 「慰安婦」の比較史に向けて 永原陽子
【コラム】軍・警察史料からみた日本陸軍の慰安所システム 永井和
第二部 日常世界から軍事性暴力へ
5 芸妓・娼妓・酌婦から見た戦時体制 小野沢あかね
6 兵士の性欲,国民の矜持 松原宏之
7 日本人男性の「男性性」 内田雅克
【コラム】軍事化論の射程――「慰安婦」問題の置かれている歴史的位相 貴堂嘉之
【コラム】「遊客名簿」と統計――大衆買春社会の成立 横田冬彦

第二編 現代社会,歴史学,歴史教育――いまに続く植民地主義
8 「失われた二〇年」の「慰安婦」論争 藤永壯
9 一九九〇年代からの歴史教育論争 小川輝光
10 沖縄で教える,考える「慰安婦」問題 宮城晴美
【コラム】時評「慰安婦」問題をめぐる二年間 吉見義明

【座談会】「慰安婦」問題が問いかけるもの
猪原透/大門正克/長志珠絵/小野沢あかね/坂井博美/松原宏之

あとがき 大門正克・長志珠絵・坂井博美・松原宏之

Wednesday, March 18, 2015

ヘイト・クライム禁止法(89)キプロス

 キプロス政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/CYP/17-22. 12 April 013)によると、反差別担当部局が差別の様々な根拠に関する社会意識調査を行った。最初の調査は民族差別に焦点を当て、ポンティアック出身者に対するキプロス市民の態度と、キプロス市民に対するポンティアック出身者の態度を調査した。次に、キリスト教正統派キプロス人の他の宗教の人々への態度も調べた。三回目の調査は、障害を持った人々への態度の調査である。四回目の調査は、雇用におけるセクシュアル・ハラスメントの調査である。調査を受けての政府の対処は各条文の箇所で述べている。

 アフリカ出身者に対する若者による人種主義的暴力・攻撃事件について反差別担当部局が調査している。実行犯に対する制裁と被害者の保護を警察がしなかった場合にオンブズマンがいる。警察庁長官は、人種差別事件と闘うためのガイドラインを出している。

 反差別担当部局は、人種主義的事件に対して民主社会では許容できず、寛容を促進し外国人嫌悪と闘うために文化間教育が重要だと強調している。レイシズムと多文化主義のために政府は一連の措置を講じているが、それについては条約第7条の箇所で述べる。


 二〇〇八年のレイシズムと外国人嫌悪の諸形態と表現とたたかうためのEU枠組み決定を刑法に移管するために、二〇一一年の法律第一三四号は、犯罪に人種主義的動機があれば刑罰加重事由であるとしている。(ヘイト・スピーチ法の存否は不明だが、委員会の勧告を見ても、ヘイト・スピーチ法を制定せよとは言っていない。既に一応あるのかもしれない。)

Tuesday, March 17, 2015

ヘイト・スピーチ研究文献(11)被害実態調査の重要性

『在日コリアンに対するヘイト・スピーチ被害実態調査報告書』(ヒューマンライツ・ナウ、2014年11月)

国連経済社会理事会との協議資格を持ち東京に本拠を置くNGOのヒューマンライツ・ナウが、特定非営利活動法人コリアNGOセンターの協力を得て、被害実態調査を行った。報告書はヒューマンライツ・ナウのサイトに掲載されている。

調査目的は「不特定多数の者に向けられたヘイト・スピーチの法規制をめぐる議論の前提となるべき立法事実の調査」である。調査は、2014年4月から7月にかけて、関西在住の在日コリアン16人に対する個別面接による聞き取りである。在日コリアン一般を対象としたものではなく、ヘイト・スピーチに対抗するカウンター行動に関心を持っている人に限定されている。「今回は初の試みとして」この様な調査となったと断り書きが付されている。

報告書は、ヘイト・スピーチに関連する国際基準として、ジェノサイド条約、人種差別撤廃条約、国際自由権規約を確認したうえで、人種差別撤廃委員会の一般的勧告35も引用している。国連人権高等弁務官事務所による連続セミナーの帰結としてのラバト行動計画には言及がない。

報告書は、日本における状況について、1980年代以降の朝鮮学校女子生徒に対する暴力や差別の事件があったことに触れた上で、在特会登場以後に急激に悪化したヘイト・スピーチについてまとめている。そして、報告書は、日本には法規制がなく、日本政府は何の対策も講じていないことを確認する。他方、国際自由権規約委員会や人種差別撤廃員会からの勧告が繰り返されていることを説明する。

以上を踏まえた上で、報告書は在日コリアン16人からの聞き取り結果を紹介する。一人目の聞き取り内容だけ下記に引用する。

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30代女性
2012年に尼崎市議会の議員会館前で、国旗掲揚条例制定に反対活動をしていたと
ころに、本会議前に4~5名の男女が現れ、「こらー、日の丸嫌いだったら日本から出
て行けー」と言い出した。
神戸から参加している年配の方には、「じじい、ばばあは早く死ね」と言っていた。
日本人の友人に対して「お前朝鮮人か」と聞いていた。自分に対して、「お前日本人
か」と聞かれたので、「いいえ」と答えると、「チョンコおるぞ」「日本から出て行け」
「死ね」と言葉を浴びせられた。
 議員会館前で、そばを通り目撃しているのに議員は誰も何も言わず、笑っていた。
在日朝鮮人として生きている子ども(8才、10才)には見せられないと感じた。
ひどい言葉が社会的に許容されている雰囲気を感じる。また、国家として反省してい
ない態度を感じる。
慰安婦問題集会にて、会場の外で、「ばばあ」「売春婦」と叫んでいた人たちがいた。
「売春婦です」と書いた紙を本人に付けようとしていた。
2004年に入居差別裁判をしていた頃、ネット上に、「帰れ」「死ね」「チョンコ」
と書き込みをされた。当時は傷ついていた。
2ちゃんねるなどに削除要求したことがある。
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報告書は16人の聞き取り結果のまとめとして、「聴き取り調査の結果、不特定多数の在日コリアンを対象としたヘイト・スピーチが、個々の在日コリアンの人権や尊厳を侵害しており、また、在日コリアンの社会生活やその行動に影響を及ぼしている実態が明らかになった。」と言う。そして、恐怖、自尊心の傷つき、社会生活への影響、子どもへの影響、日本社会への恐怖、の5点に整理して問題点を解説している。

また、聞き取りでは、被害だけでなく、法的規制や、日本社会の問題に関する意見も聞いており、それらも紹介されている。

最後に「ヒューマンライツ・ナウの提言」が7項目掲げられている。
(1)  人種差別撤廃条約第4条(a)項及び(b)項に付された留保の撤回
(2)  ヘイト・スピーチに関する実態調査
(3)  包括的な人種差別禁止法の制定
(4)  教育・啓発に関する取り組み(包括的・具体的なアクションプラン策定)
(5)  刑事規制
(6)  現行刑法による適切な対応
(7)  政策決定プロセスへの民族的マイノリティの参加
        *
以上が報告書のおおよその内容である。若干の感想を述べておく。

第1に、政府がこの種の調査を行わないため、人種差別やヘイト・スピーチの実態があいまいにされ、その前提のもとで議論が行われてきた。事件が起きるとマスコミにより報道されることもあるが、すべてが報道されるわけではない。このため人種差別やヘイト・スピーチがないとか、被害はないと言った言説がまかりとおってきた。人種差別撤廃委員会において、2001年、2010年、2014年と、何度も実態調査の必要性を指摘されたにもかかわらず、日本政府は調査することさえ拒否してきた。こうした中でのヒューマンライツ・ナウの調査であり、その意義は高い。民間の一NGOによる調査であり、「今回は初の試みとして」と述べるように限界はあるが、限界を自覚しつつ、ていねいに調査し、分析していると言って良い。今後はこの種の調査を、各地で、多面的に行っていくことが求められよう。これにより立法事実に関する具体的な議論が可能となっていく。マスコミの報道姿勢にも影響が期待できる。

第2に、被害論の在り方にも大きな示唆を与えている。これまで、日本ではヘイト・スピーチの被害認識がまともに行われてこなかった。このため、被害を否定したり、軽視する発言が堂々となされてきた。とりわけ憲法学者にその典型例が見られる。被害の矮小化は、立法事実の否定につながり、立法論を否定することになり、結果としてヘイト・スピーチを放置容認することに繋がってきた。このことは、被害者に対する「二次被害」につながる可能性があると言うべきである。ヒューマンライツ・ナウ報告書は「二次被害」という視点ではないが、「日本社会に対する恐怖」の項で実質的に同じことを述べていると言えよう。

第3に、7つの提言はよく考えられており、賛成である。これらのいずれも人種差別撤廃委員会が、その勧告及び委員会審議における委員の発言の中で繰り返してきたことである。ヒューマンライツ・ナウは2014年7月にジュネーヴで開催された国際自由権委員会による日本政府報告書の審査に際して、NGOレポートを提出しており、既にその中でヘイト・スピーチについて言及していた。2014年8月の人種差別撤廃委員会による日本政府報告書審査に際してはNGOレポートを提出していないが、他のNGOと協力して連絡態勢を作り、そこに参加ないし主導していた。こうした実践活動を行ってきたNGOであるだけに、提言も的確である。

第4に、刑事規制について、ヒューマンライツ・ナウの提言は次のように述べる。
「a)       ヘイト・スピーチに対する刑事規制については国家による濫用の危険があるため、構成要件の具体的内容については慎重に検討する必要がある。しかし、「一般的勧告35」も指摘するとおり、重大なヘイト・スピーチについては、刑事規制をもって対応するべきである。」
適切かつ的確な内容である。世界の百数十カ国にヘイト・スピーチ刑事規制があり、その多くが基本法である刑法典に規定されていることが明らかになっている。これらに学びつつ、犯罪成立要件を確定することが可能である。また、一般的勧告35が基準として役に立つ。

b) まず、公人が公然と行うヘイト・スピーチおよび民族的マイノリティへの憎悪煽動を流布する活動をする公人および政治家に関しては、刑事規制の対象とするべきである。
次に、人種、皮膚の色、世系、民族的または種族的出身に基づく特定の集団に対する憎悪、侮辱、差別に基づく個人または集団に対する暴力の扇動及び脅迫については、その言論の内容と形態(挑発的で直接的なものか)、伝達方法を含め、言論が届く範囲(主流メディアやインターネットで流布されたか、繰り返し行われたか)などの要素を考慮に入れ、その深刻なものについては刑事規制をもって対応すべきである。」
公人によるヘイト・スピーチの規制については、人種差別撤廃条約第4条(c)に定めがあり、日本政府は(a)(b)の適用を留保しているが(c)の適用を留保していないので、上記のような提言として打ち出されている。第二段では、公人によるものではないヘイト・スピーチについて、「深刻なもの」についての刑事規制の提言である。提言では「重大なヘイト・スピーチ」「深刻なもの」という表現が用いられており、その判断基準については議論がありうるが、一般的勧告35の基準を採用した上での提言である。

c) 具体的な構成要件の策定にあたっては、公権力による濫用を防止し、表現の自由への侵害を防止するため、深刻なものに慎重に限定されなければならない。
そして立件・起訴・司法判断にあたっては、合法性・必要性・比例原則が遵守されるべきである。」
上記の繰り返しの面もある。法治原則に適ったヘイト・スピーチ刑事規制が可能であり、かつ実現するべきとの見解に揺るぎはない。

d) 最後に、へイト・スピーチの内容や形態などの諸要素に照らし、その標的とされた個人や集団に対する影響の大きさがそれほどではないものについては、民事規制や行政規制をもって対応するべきである。」
これも当然のことであり、賛成である。


私はこれまでヘイト・スピーチの刑事規制必要論をしつこく唱えてきたが、具体的な法案の形で提示していない。まだ提示するつもりもない。理由は簡単で、日本ではヘイト・スピーチ法について議論できるだけの基礎知識がないからである。ヘイト・スピーチについての憲法学者の発言を見ると、ヘイト・スピーチとヘイト・スピーチ法について初歩的知識すら持っていないと疑われて当然の発言しかしていない。いい加減な思い付き、その場しのぎの(あからさまな虚偽を含んだ)発言も目立つ。これでは議論が成立しない。まっとうな議論をするためには最低限の基礎知識を持つ必要がある。ヘイト・スピーチの社会学的心理学的研究、特に被害論・被害者論、ヘイト・スピーチの国際人権法、そして比較法研究――私はこれらを追及してきた。最近出した『ヘイト・スピーチ法研究序説』が「最低限の基礎知識編」である。ただ、そこには実態調査は含まれていない。私も実態調査の必要性・重要性を唱えてきたが、自分で調査するだけの余裕はなかった。このため裁判事例を紹介・検討するにとどめた。今後はヒューマンライツ・ナウ調査等に依拠して議論をしていくことができる。

その意味でも重要な調査をしてくれたヒューマンライツ・ナウの「(関西グループ内)ヘイト・スピーチ調査プロジェクトチーム」に感謝したい(と言うか、知り合いが何人も含まれる。しかも一人は私の教え子だ)。

ゾロトゥルン美術館散歩

ベルンから電車で40分ほどでゾロトルンの町に出る。町の中央をアーレ川が流れるが、もともとの旧市街はアーレ川の片側につくられた城壁都市だ。城壁の大半が今も残っていいて、往時をしのばせる。ルツェルンを始めとして、スイスではかつての城壁の多くが失われた町が多い。ムルテンと並んでゾロトゥルンは中世の街並みと城壁がそのまま残っている。町の中心には聖ウルゼン・カテドラルがそびえる。カテドラルの中を見学し、中央広場を歩いてから、城壁の外に出ると小さな美術館がある。

1階ホールでは、トロ・ペドレティTuro Pedretti展だった。第二次大戦後に活躍した表現主義の地元画家で、ジョヴァンニ・ジャコメティ、クーノ・アーミエ、エルンスト・ルドヴィヒ・キルヒナー、エドアルト・ムンク、アンリ・マチスらとともに活躍したと言う。100点ほどの作品をそろえた回顧展だ。前にサンモリッツのセガンティーニ美術館やクール美術館で回顧展が行われたと言う。作品の多くがスイス中部・東部の各地の風景画だが、若い時期の自画像も展示されていた。「キルヒナーへのオマージュ」という作品もなかなかのものだ。

2階は常設展。中世から近現代の絵画・彫刻作品だ。特筆すべきは2点。これだけはガラスケースに収められている。一つは、1425年頃のオーバーライン地方の画家による「ストロベリーを持ったマドンナ」。もう一つは、1522年のハンス・ホルバインの「ゾロトゥルンのマドンナ」。聖ウルゼン・カテドラルに掲げるために制作されたようで、窓の形に合わせているが、中央に赤ん坊を抱えたマドンナ、そして両脇に聖職者と騎士を配置している。マリアとキリストに比した、ゾロトゥルンのマドンナと赤ん坊である。聖職者と騎士が守り手としてえがかれる。ところが、聖職者の右手は数枚のコインを持っていて、その先に男性の顔だけが描かれている。貧しい男性に聖職者が喜捨している図だ。


他に主要な作としては、ルドルフ・ビスの「豊饒の聖家族」、フランク・ブッヒャーの「タンバリンと裸の黒人女性」、ジョヴァンニ・ジャコメティの花や裸婦像が数枚、アルベルト・ジャコメティも彫刻・女性像が一つ、ホドラー、バロットンがそれぞれ10点近く。クリムトの「金の魚」もあった。セザンヌ、ブラック、ピカソも1点。

圧巻はクーノ・アーミエが数十点だ。アダムとイヴを描いた「楽園」、「夕暮れの豊かさ」、「桜の木」、「黄色い丘」、「陽のあたる場所」、「春の景色」など、年代順にみると画風の変化が良くわかる(展示は必ずしも年代順でなかったので、2度目に年代順に見て歩いた)。最後の「リンゴ狩り」は「楽園」のリンゴとは違った、奇妙で楽しいリンゴ狩り。ホルバイン、ブッヒャー、アーミエは収穫だった。

Monday, March 16, 2015

世界を不安定にする米中東戦略批判

宮田律『アメリカはイスラム国に勝てない』(PHP新書)

1月30日に出版されたので、パリ銃撃事件や日本人殺害事件よりも前、昨年中に準備されたものだが、見事なタイミングで出た本という言になる。著者にはお目にかかったことがないが、私たちの『21世紀のグローバル・ファシズム』(耕文社)にご協力いただいた。イスラム、中東問題について多数の新書を送り出してきた。

本書の基本認識は、アメリカの対するテロ戦争がイスラム世界の「パンドラの箱」をあけてしまい、テロリスト組織がどんどん増えてしまい、中東は不安定になる一方で、世界は戦乱に見舞われているが、アメリカには対処する有効な方策がまったくない、というものだ。アメリカ外交の失敗を、繰り返し指摘している。ブッシュが後先考えずに戦争に突っ込んでいって以来、アメリカは世界各地の紛争に介入を続け、介入にいずれも失敗し、一層の紛糾を生み出し、世界各地に不信と憎悪をばらまき、数十万の人々を死に追いやっている。そのことを、イスラム国という無法で異様な組織の培養器として描き、説得的である。2001年に中東世界にこんなにたくさんのテロ組織などなかったのだから。前半はイスラム国家を中心に、イラク、シリア、サウジアラビア情勢を追いかけ、次いでユルダン、イスラエル、クルドに転じながら、あちこちで人々が軍事的対立に追い込まれ、命も暮らしも犠牲にされていることが指摘される。


なるほどアメリカの失敗が続いている。もっとも、これはアメリカの大成功ともいえる。イスラムを敵対視し、中東を不安定にすることで、常に米軍介入の口実を作り、軍事予算を確保し、民間軍需会社の仕事も確保し、テロ組織に武器を提供しては、それが対立組織に流れることで、事態が一層流動化し、それによって米軍のプレゼンスと介入は必須不可欠となり、軍需産業は儲かるばかり。儲けの大半をアメリカが独占しているのだからこんなおいしい話はない。アベが涎を垂らしながらアメリカに媚を売りすり寄るのもこのためだ。恐るべき不幸な話だ。

Sunday, March 15, 2015

ヘイト・クライム禁止法(88)チリ

チリ政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/CHL/19-21. 19 April 2013)によると、反差別法第二七条は、被害者のイデオロギー、政治的意見、宗教又は信念、国籍、人種又は民族的社会的集団への帰属、性別、性的志向、ジェンダー・アイデンティティ、年齢、個人的容貌、病気又は障害のゆえに犯罪が行われた場合、刑罰加重事由としている。

先住民族法第八条は「出身又は文化のゆえになされた先住民に対する明白かつ意図的な差別は犯罪と見なされる」と規定する。

二〇一一年四月に発効した法律二〇五〇七号は人身売買の予防と処罰を定める。この法律は国連のパレルモ議定書に従っている。

報告書の記述は四ページに及ぶが、その大半が人身売買に関するもの、先住民族に関するものであり、ヘイト・クライム/ヘイト・スピーチそのものではない。


憲法は、いかなる検閲もなしに、意見を表明し、情報を交換する自由を保障するが、その自由を行使する際に行われた犯罪についての責任は残される。意見・情報の自由に関する法律第一九七三三号第三一条は、人種、性別、宗教又は国籍のゆえに個人又は集団に対して憎悪又は敵対を促進するために社会的コミュニケーションを用いた者を、二五以上一〇〇以下の月額罰金制で処罰し、累犯の場合は二〇〇以下とする。