Tuesday, March 17, 2015

ヘイト・スピーチ研究文献(11)被害実態調査の重要性

『在日コリアンに対するヘイト・スピーチ被害実態調査報告書』(ヒューマンライツ・ナウ、2014年11月)

国連経済社会理事会との協議資格を持ち東京に本拠を置くNGOのヒューマンライツ・ナウが、特定非営利活動法人コリアNGOセンターの協力を得て、被害実態調査を行った。報告書はヒューマンライツ・ナウのサイトに掲載されている。

調査目的は「不特定多数の者に向けられたヘイト・スピーチの法規制をめぐる議論の前提となるべき立法事実の調査」である。調査は、2014年4月から7月にかけて、関西在住の在日コリアン16人に対する個別面接による聞き取りである。在日コリアン一般を対象としたものではなく、ヘイト・スピーチに対抗するカウンター行動に関心を持っている人に限定されている。「今回は初の試みとして」この様な調査となったと断り書きが付されている。

報告書は、ヘイト・スピーチに関連する国際基準として、ジェノサイド条約、人種差別撤廃条約、国際自由権規約を確認したうえで、人種差別撤廃委員会の一般的勧告35も引用している。国連人権高等弁務官事務所による連続セミナーの帰結としてのラバト行動計画には言及がない。

報告書は、日本における状況について、1980年代以降の朝鮮学校女子生徒に対する暴力や差別の事件があったことに触れた上で、在特会登場以後に急激に悪化したヘイト・スピーチについてまとめている。そして、報告書は、日本には法規制がなく、日本政府は何の対策も講じていないことを確認する。他方、国際自由権規約委員会や人種差別撤廃員会からの勧告が繰り返されていることを説明する。

以上を踏まえた上で、報告書は在日コリアン16人からの聞き取り結果を紹介する。一人目の聞き取り内容だけ下記に引用する。

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30代女性
2012年に尼崎市議会の議員会館前で、国旗掲揚条例制定に反対活動をしていたと
ころに、本会議前に4~5名の男女が現れ、「こらー、日の丸嫌いだったら日本から出
て行けー」と言い出した。
神戸から参加している年配の方には、「じじい、ばばあは早く死ね」と言っていた。
日本人の友人に対して「お前朝鮮人か」と聞いていた。自分に対して、「お前日本人
か」と聞かれたので、「いいえ」と答えると、「チョンコおるぞ」「日本から出て行け」
「死ね」と言葉を浴びせられた。
 議員会館前で、そばを通り目撃しているのに議員は誰も何も言わず、笑っていた。
在日朝鮮人として生きている子ども(8才、10才)には見せられないと感じた。
ひどい言葉が社会的に許容されている雰囲気を感じる。また、国家として反省してい
ない態度を感じる。
慰安婦問題集会にて、会場の外で、「ばばあ」「売春婦」と叫んでいた人たちがいた。
「売春婦です」と書いた紙を本人に付けようとしていた。
2004年に入居差別裁判をしていた頃、ネット上に、「帰れ」「死ね」「チョンコ」
と書き込みをされた。当時は傷ついていた。
2ちゃんねるなどに削除要求したことがある。
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報告書は16人の聞き取り結果のまとめとして、「聴き取り調査の結果、不特定多数の在日コリアンを対象としたヘイト・スピーチが、個々の在日コリアンの人権や尊厳を侵害しており、また、在日コリアンの社会生活やその行動に影響を及ぼしている実態が明らかになった。」と言う。そして、恐怖、自尊心の傷つき、社会生活への影響、子どもへの影響、日本社会への恐怖、の5点に整理して問題点を解説している。

また、聞き取りでは、被害だけでなく、法的規制や、日本社会の問題に関する意見も聞いており、それらも紹介されている。

最後に「ヒューマンライツ・ナウの提言」が7項目掲げられている。
(1)  人種差別撤廃条約第4条(a)項及び(b)項に付された留保の撤回
(2)  ヘイト・スピーチに関する実態調査
(3)  包括的な人種差別禁止法の制定
(4)  教育・啓発に関する取り組み(包括的・具体的なアクションプラン策定)
(5)  刑事規制
(6)  現行刑法による適切な対応
(7)  政策決定プロセスへの民族的マイノリティの参加
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以上が報告書のおおよその内容である。若干の感想を述べておく。

第1に、政府がこの種の調査を行わないため、人種差別やヘイト・スピーチの実態があいまいにされ、その前提のもとで議論が行われてきた。事件が起きるとマスコミにより報道されることもあるが、すべてが報道されるわけではない。このため人種差別やヘイト・スピーチがないとか、被害はないと言った言説がまかりとおってきた。人種差別撤廃委員会において、2001年、2010年、2014年と、何度も実態調査の必要性を指摘されたにもかかわらず、日本政府は調査することさえ拒否してきた。こうした中でのヒューマンライツ・ナウの調査であり、その意義は高い。民間の一NGOによる調査であり、「今回は初の試みとして」と述べるように限界はあるが、限界を自覚しつつ、ていねいに調査し、分析していると言って良い。今後はこの種の調査を、各地で、多面的に行っていくことが求められよう。これにより立法事実に関する具体的な議論が可能となっていく。マスコミの報道姿勢にも影響が期待できる。

第2に、被害論の在り方にも大きな示唆を与えている。これまで、日本ではヘイト・スピーチの被害認識がまともに行われてこなかった。このため、被害を否定したり、軽視する発言が堂々となされてきた。とりわけ憲法学者にその典型例が見られる。被害の矮小化は、立法事実の否定につながり、立法論を否定することになり、結果としてヘイト・スピーチを放置容認することに繋がってきた。このことは、被害者に対する「二次被害」につながる可能性があると言うべきである。ヒューマンライツ・ナウ報告書は「二次被害」という視点ではないが、「日本社会に対する恐怖」の項で実質的に同じことを述べていると言えよう。

第3に、7つの提言はよく考えられており、賛成である。これらのいずれも人種差別撤廃委員会が、その勧告及び委員会審議における委員の発言の中で繰り返してきたことである。ヒューマンライツ・ナウは2014年7月にジュネーヴで開催された国際自由権委員会による日本政府報告書の審査に際して、NGOレポートを提出しており、既にその中でヘイト・スピーチについて言及していた。2014年8月の人種差別撤廃委員会による日本政府報告書審査に際してはNGOレポートを提出していないが、他のNGOと協力して連絡態勢を作り、そこに参加ないし主導していた。こうした実践活動を行ってきたNGOであるだけに、提言も的確である。

第4に、刑事規制について、ヒューマンライツ・ナウの提言は次のように述べる。
「a)       ヘイト・スピーチに対する刑事規制については国家による濫用の危険があるため、構成要件の具体的内容については慎重に検討する必要がある。しかし、「一般的勧告35」も指摘するとおり、重大なヘイト・スピーチについては、刑事規制をもって対応するべきである。」
適切かつ的確な内容である。世界の百数十カ国にヘイト・スピーチ刑事規制があり、その多くが基本法である刑法典に規定されていることが明らかになっている。これらに学びつつ、犯罪成立要件を確定することが可能である。また、一般的勧告35が基準として役に立つ。

b) まず、公人が公然と行うヘイト・スピーチおよび民族的マイノリティへの憎悪煽動を流布する活動をする公人および政治家に関しては、刑事規制の対象とするべきである。
次に、人種、皮膚の色、世系、民族的または種族的出身に基づく特定の集団に対する憎悪、侮辱、差別に基づく個人または集団に対する暴力の扇動及び脅迫については、その言論の内容と形態(挑発的で直接的なものか)、伝達方法を含め、言論が届く範囲(主流メディアやインターネットで流布されたか、繰り返し行われたか)などの要素を考慮に入れ、その深刻なものについては刑事規制をもって対応すべきである。」
公人によるヘイト・スピーチの規制については、人種差別撤廃条約第4条(c)に定めがあり、日本政府は(a)(b)の適用を留保しているが(c)の適用を留保していないので、上記のような提言として打ち出されている。第二段では、公人によるものではないヘイト・スピーチについて、「深刻なもの」についての刑事規制の提言である。提言では「重大なヘイト・スピーチ」「深刻なもの」という表現が用いられており、その判断基準については議論がありうるが、一般的勧告35の基準を採用した上での提言である。

c) 具体的な構成要件の策定にあたっては、公権力による濫用を防止し、表現の自由への侵害を防止するため、深刻なものに慎重に限定されなければならない。
そして立件・起訴・司法判断にあたっては、合法性・必要性・比例原則が遵守されるべきである。」
上記の繰り返しの面もある。法治原則に適ったヘイト・スピーチ刑事規制が可能であり、かつ実現するべきとの見解に揺るぎはない。

d) 最後に、へイト・スピーチの内容や形態などの諸要素に照らし、その標的とされた個人や集団に対する影響の大きさがそれほどではないものについては、民事規制や行政規制をもって対応するべきである。」
これも当然のことであり、賛成である。


私はこれまでヘイト・スピーチの刑事規制必要論をしつこく唱えてきたが、具体的な法案の形で提示していない。まだ提示するつもりもない。理由は簡単で、日本ではヘイト・スピーチ法について議論できるだけの基礎知識がないからである。ヘイト・スピーチについての憲法学者の発言を見ると、ヘイト・スピーチとヘイト・スピーチ法について初歩的知識すら持っていないと疑われて当然の発言しかしていない。いい加減な思い付き、その場しのぎの(あからさまな虚偽を含んだ)発言も目立つ。これでは議論が成立しない。まっとうな議論をするためには最低限の基礎知識を持つ必要がある。ヘイト・スピーチの社会学的心理学的研究、特に被害論・被害者論、ヘイト・スピーチの国際人権法、そして比較法研究――私はこれらを追及してきた。最近出した『ヘイト・スピーチ法研究序説』が「最低限の基礎知識編」である。ただ、そこには実態調査は含まれていない。私も実態調査の必要性・重要性を唱えてきたが、自分で調査するだけの余裕はなかった。このため裁判事例を紹介・検討するにとどめた。今後はヒューマンライツ・ナウ調査等に依拠して議論をしていくことができる。

その意味でも重要な調査をしてくれたヒューマンライツ・ナウの「(関西グループ内)ヘイト・スピーチ調査プロジェクトチーム」に感謝したい(と言うか、知り合いが何人も含まれる。しかも一人は私の教え子だ)。