Saturday, March 21, 2015

「立憲的ダイナミズム」とは何か

水島朝穂編『立憲的ダイナミズム』(岩波書店、2014年)

「本シリーズ全八巻のうち本巻の特徴は、安全保障をめぐる憲法的・法的世界の発掘と可視化にある。『発掘と可視化』という意味は、世間一般に抱かれている憲法(学)に対するイメージとは異なり、あえてより『現実』を踏まえた議論に軸足を移すことで見えてくる論点の提示に重点を絞ったことである。国際関係、日米安保体制、アジア・周辺諸国との関連の問題はすべて本シリーズの他巻はあくまでも、憲法学の観点から、安全保障問題への立憲主義的思考の浸透とそこでの問題発掘に主眼を置いた。」

編者を含む10人の執筆者は全員、憲法前文の平和的生存権や憲法9条の価値観をもっとも重視しその理論的射程を広げ、実践的意義を確認してきた憲法学者であるが、本書はそれにとどまらず、日米安保条約と肥大化する自衛隊(そして集団的自衛権閣議決定)という日本の「現実」を前提にした議論を試みる。もちろん、「現実」に追随するだけの「ニセ現実主義」とは一線を画し、「現実」と憲法の間の落差を測定し、その落差の意味を徹底的に問い直す。当然のことながら、「現実」とは何か、という問いが執筆者それぞれの中にあり、しかもなお「現実」に迫り、その内実を解剖することで「現実」を変えていく志向を有する。

9条の政府解釈はどう変容しているのか(集団的自衛権)。「危機」の概念としての憲法制定権力の再考。立憲主義と平和主義の交錯における9条。立憲主義と軍国主義。文民統制論。リスクの憲法論。多様な論点について充実した論文が収められている。専門書としての研究水準を維持しつつ、市民に向けて差し出された著作と言って良いだろう。最初から最後まで、時間を無駄にすることなく読める良書である。勉強になったが、一読では足りないので再読の必要がある。

おもしろかったのは、編者の世代論的呟きである。1953年生まれの編者は、一方で大先達である芦部信喜・東大名誉教授に著作を献呈した時にもらった礼状のエピソードを紹介しつつ、「若い研究者や評論家」の戦争観に「ゲーム感覚を楽しんでいる」傾向を感じ取って嘆いている。もちろん、単に嘆いているのではない。本書の執筆者の半数が1960年代生まれであり、1名は1970年代、2名は1980年生まれである。若い世代の研究者との相互批判を通じて憲法学を発展させていこうと言う目論見でもある。

もう一つ、うれしかったのは、最後の君島東彦論文「安全保障の市民的視点」において、現在、国連人権理事会で進んでいる「平和への権利国連宣言」をつくろうという運動がとりあげられ、私たちの本、笹本潤・前田朗編『平和への権利を世界に』、反差別国際運動日本委員会編『平和は人権』の2冊が掲げられていることだ(ちなみに昨年、もう1冊、平和への権利国際キャンペーン日本実行委員会『いまこそ知りたい平和への権利48のQ&A』を出した)。平和への権利を扱い、日本国憲法前文の平和的生存権と密接に関連しているのに、従来、憲法学はこのテーマに言及してこなかった(上記キャンペーンに関わっている憲法学者も数名いるので、これは例外)。国連における動きであり、国際法の問題と受け止められているのだろうか。君島論文は、グローバルな市民社会の取り組みとして、文民による平和維持活動、非暴力平和隊の意義、GPPACなどに言及している。国連人権理事会における平和への権利の議論では、日本の裁判所における平和的生存権判決(長沼、名古屋、岡山)、コスタリカ憲法裁判所判決、韓国憲法裁判所判決など、平和への権利をめぐる司法判断についても検討がかさねられている。つまり、憲法前文と9条の下で、恵庭、長沼以来続いてきた日本憲法学の理論的成果を国際舞台で活かしていく作業である。

おまけ:国際的レベルの議論は憲法学にはなかなか通じない。私たちのピースゾーンの提言も憲法学からはほとんど相手にされなかった。確立したピースゾーンのオーランド諸島を紹介しても憲法学からは反応がない。サンホセ・デ・アパルタードの苦難も見向きもされない。ジュネーヴ州憲法に平和的生存権を入れたいという試みも。そして、日本で取り組んだ無防備地域運動も、多くは無視であった(数名の憲法学者が前向きの評価をしてくれ、ともに取り組んだ憲法学者もいるが)。以上の全体をまとめて、無防備地域宣言、平和都市宣言、非核都市宣言など地域から平和づくりを進め、政府を包囲していく運動の提案も日本ではなかなか反応がなく、憲法学者はいつも中央志向である。憲法学だから、ある意味やむを得ないかもしれないが。そうこうしている間に、イタリアでは、<人権としての平和><基本権としての平和><平和の文化><戦争拒否><軍縮>といった言葉を掲げた自治体の規定や決議が続々とできている。「軍事外交は内閣の専権事項だから自治体は発言できない」などという憲法学者は一度イタリアへ行って調査してほしいものだ。