Saturday, March 07, 2015

大江健三郎を読み直す(41)放射能被曝2人組の核時代への挑戦

大江健三郎『ピンチランナー調書』(新潮社、1976年)

私が20歳の夏に『新潮』に連載され、秋に単行本となった作品だが、読んだのはもう少し後だったように思う。学生時代、下宿と教室と大学図書館の開架式書庫で一日の大半を過ごしていた時期があり、その頃だと思う。長期休暇や週末には<ノンセクト・アンチラディカル温泉派>と称して、伊豆の温泉巡りをしてずいぶん遊んだが、学期中は主に教室と図書館で過ごした学生生活だった。

当時の書評などでは「風刺と哄笑」という言葉がよく使われていたが、大江自身の宣伝文句でもあったようだ。オビに記された著者の言葉に「文化人類学、ラブレー、金芝河に学んだ道化の力」、「哄笑への熱望」とある。死と恐怖の根源である核の時代に、文学的想像力を駆使して「再生への希求」を表明した記念碑的作品だ。「ブリキマン」による核ジャックと民衆による核武装論、内ゲバ殺人あり右翼パトロンあり、ドタバタ騒ぎの主役は「宇宙」から派遣されたピンチランナー2人組――大江と息子の分身。読者は大笑いの作品と言う筋だ。

ところが、私はさほど大笑いできなかった。理由は簡単だ、無知だったからだ。いきなり登場する『往生要集』など読んだことがない。ベルグソンと小林秀雄と原子物理学のギャグも理解できない。当時、小林の名前しか知らなかった。カスタネダが説明抜きで登場するのだからお手上げだ。あちこちに「笑いの地雷」が埋め込まれているが、無知な私が踏んでも地雷が炸裂しないので辛い。ストーリーを追いかけるのが精いっぱいで、これは著者の妄想なのか、SFなのか、スラップスティックなのか、ブラック・ユーモアなのか、あれこれ悩みながら、活字を追いかけた記憶がある。20歳の法学部学生には難しかった、ということだろう。以来、私の中では本書の評価はあまり高くない。

『万延元年のフットボール』(1967年)、『洪水はわが魂に及び』(1973年)、本書(1976年)を経て『同時代ゲーム』(1979年)に至る、大江の充実した時期の作品だが、私にとっては『万延元年のフットボール』と『同時代ゲーム』こそが抜きんでて屹立する傑作であり、他の作品はつなぎの位置にあることになる。不当な評価だろうが、私の個人的読書歴から言って、どうしてもそうなる。


今回、『ピンチランナー調書』を読み返して、やはり大笑いできなかった。理由は簡単だ、3.11の後だからだ。ピンチランナー2人組の森・父は元原発の研究員であり、核ジャック事件により放射能被曝した人物、息子の森はその放射能被曝ゆえに障害を持って生まれたと誤解されたという設定である。このピンチランナー2人組がドタバタ劇の末、核時代の狂気に挑むのだから、いま読むには少々重すぎる。3.11以後、なぜ、本作品に光がそう当たっていないのだろうか、と考え込んでしまう。


松波太郎という作家が、本作品について「この三十五年間で笑いの時代性のほうは変わってしまったのか、”大笑い”どころか、ほほ笑むことすら一度もできませんでした。/それは今現在のわたしにこの作品を笑う余裕がないせいかもしれませんが、その分だけシリアスさが胸に強く迫ってくる作品なのです」と書いている(『早稲田文学』6号、2013年)。時代の変化のせいなのか、松波に余裕がないせいなのか、というのはかなり不思議な選択肢であるが、今初めて本作品を読む読者にはやはり笑えないのだろう。