Saturday, March 21, 2015

未知のフランクフルト学派へ向けて

細見和之『フランクフルト学派』(中公新書)

副題は「ホルクハイマー、アドルノから21世紀の『批判理論』へ」と長い。フランクフルト学派の母体となった社会研究所の設立が1923年、日本でいえば関東大震災の年だ。ホルクハイマー、アドルノ、ベンヤミン、フロム、マルクーゼ等々の綺羅星たちが、出会い、議論をたたかせ、最初のピークを迎えることから取り上げて紹介している。しかし、ナチス・ドイツによってユダヤ人が迫害され、ホルクハイマーらはアメリカに亡命を余儀なくされ、ベンヤミンは無念の死を遂げる。戦後(西)ドイツに戻ったホルクハイマー、アドルノたちは再建された研究所でふたたびきらめき、活躍をする。次の別れは68年革命という言になる。その後、ハーバーマスの登場により第二世代の活躍の時期になる。他方、アメリカ・フランフルト学派も存立する。本書は第三世代まで取り上げている。新書1冊にこれだけ取り入れるのはなかなか大変だ。しかも、著者は「未知のフランクフルト学派を求めて」と、その先へ旅を続けようと言う。

ナチス・ドイツの歴史への反省が現代ドイツ思想の骨格を形成していることが良くわかる。それに引き換え、日本は、と言いたくなるが、著者も「おわりに」においてごく僅か言及するにとどめている。本書を読めば、当然、次に考えるべきことだ。ただ、ナチス・ドイツを異質な時期として切り捨てるのではなく、西欧近代の合理主義の中に胚胎されていた側面を強調しているように、日本についても、軍国主義日本だけではなく、近代日本の総体を俎上に載せることを著者は言おうとしている。重要な問いである。


著者の本はすでに『アドルノ』『「戦後」の思想』をよんだ。『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む』は読んでいない。著者はアドルノやベンヤミンの翻訳者でもある。さらに著者は詩人でもある。アドルノが音楽家、音楽批評家、哲学者であったことを思わせる。