桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)
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「第5章 地方公共団体によるヘイトスピーチ対策の現況」(中村英樹)は、これまで何本かの論文で地方公共団体のヘイトスピーチ条例を分析し続けてきた著者による現段階での分析である。大きく3つの論点に分けている。
氏名等の公表
公の施設の利用制限
川崎市条例
第1の氏名等の公表について、大阪市条例をめぐる動きを整理し、条例の合憲性をめぐる大阪地裁判決を検討し、合憲判断の根拠について「各々の妥当性に異論はあろうが、他の地方公共団体のヘイトスピーチ規制の参考となる」という。東京や川崎の条例にも言及する。
第2の公の施設の利用制限について、川崎氏を始めガイドラインが作成されている状況を踏まえ、利用制限の要件を検討している。川崎市、東京都、新宿区などの条例では、言動要件と迷惑要件の2つを満たすことが必要とされている。京都府条例等では言動要件のみであり、迷惑要件は示されていない。学説からも迷惑要件は不要とする指摘がなされてきた。
中村は、泉佐野事件及び上尾事件の最高裁判決を検討して、言動要件で足りるという見解は判例に適合的ではないように思われるという。当該施設が閉鎖型か解放方か、施設が集会の用に供するものかそうでないかを論じる。
第3の川崎市条例の刑事罰について、条例制定権の範囲内であることを確認した上で、内容上の合憲性を検討する。立法事実について、「少なくとも面前型のヘイトスピーチに対して、抑制的な規制を行う必要性を認めることができる」とする。規制の要件については「保護法益との間に一定の合理的関連性を見出すことができる」とする。さらに、同一違反者による言動の反復性の認定について、「依然いささか分かりにくいが」としつつ、「妥当な認定要件であろう」とする。直罰方式とせずに三段階方式とする点も、「比例原則の観点からも、乱用防止という政策的妥当性の観点からも評価できる」とする。
最後に中村は次のように述べる。
「ヘイトスピーチ解消という難問に対しては、地方公共団体による様々なトライ・アンド・エラーの余地があり得ると考える。しかし、それらが法治主義のもとで正当性を持ち、住民の理解を得て問題の解決へと結びつくには、表現の自由や集会の自由の真義を踏まえた透明な制度構築と運用、普段の検証が必須であろう。」
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憲法、最高裁判例、ヘイト・スピーチ解消法、地方自治体条例を体系的整合的に立案し、解釈するという問題関心から、一つひとつ検討を加えた結果、氏名公表、施設利用、川崎方式の刑事罰というこれまでの動向を概ね肯定的にとらえ、さらなる検証を続ける姿勢である。この点では、ヘイト・スピーチに対する姿勢が私とは根本的に違う。
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ただ、地方公共団体の従来の条例を比較検討し、より望ましい条例の立案と解釈運用を図るのは合理的な考えであるし、個別の論点についての判断は、一部を除いて、私も中村説に賛同するところが少なくない。
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私自身は、氏名公表や、(本論文では論じられていない)ヘイト記事削除要請問題や、施設利用については、すでに何度も論じた。
前田朗『ヘイト・スピーチと地方自治体』では、さらに各地の条例に従って、「第6章 教育・文化政策のために」と「第7章 被害者救済のために」を論じた。多くの論者が「ヘイト処罰よりも教育を」と言いながら、いかなる教育をするかについてはだんまりを決め込んできた。被害者救済が必要なことは誰もがわかっているのに、ヘイトの被害者救済について議論する論者がほとんどいない。現場で取り組んでいる弁護士やNGOなら真っ先に論じることを、研究者はいまだに回避したままである。
前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱』でも、ヘイト・スピーチ問題について何度も発言しながら、教育や被害者救済について決して論じようとしない憲法学者に対して、「なぜ、論じないのか」と注文をつけておいた。
中村もこれらを論じようとしないように見えるが、どうだろうか。