桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)
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「第3章 集団呼称による個人に対する名誉毀損罪成立の可能性」(櫻庭総)は、ヘイト・スピーチ規制法のない現行法の下で、法解釈の可能性をさらに一歩進めるために、名誉毀損罪の再検討を行う。
日本刑法では集団侮辱は不処罰だが、ドイツ刑法の侮辱罪は集団侮辱を処罰しうる解釈が施されている。櫻庭はドイツ刑法における侮辱罪について別論文で詳細に検討したという。本論文ではその一部を活用している。集団侮辱の類型、判例、近年の憲法裁判所判決をフォローする。判例で扱われるのは、ユダヤ人の集団侮辱は別として、多くは警察官の事例である。警察官による集会規制、デモ規制、サッカー試合警備等に際しての実力行使に対する反感から、警察官を非難する言説を、警察集団に対する侮辱として処罰するための法理論である。
櫻庭はドイツの法理を参考に、日本刑法の侮辱の解釈を検討する。
ドイツでは大規模集団に向けられた表現のついては集団侮辱は成立したいので、「朝鮮人」一般に向けられたヘイト・スピーチについては集団侮辱は成立しないという。
「明確に境界付けられた部分集団」基準を採用すれば、在日朝鮮人の集住地区や面前でなされたものについては、集団侮辱成立の可能性がある。ただし、ドイツの学説はこれに批判的だという。
「集団帰属性の存在構造メルクマール」に結びついている場合は集団侮辱を認める学説がある。しかし、「集団帰属性の存在構造メルクマール」概念は必ずしも明確でない。
憲法裁判所判例の理論では「その集団に属する構成員が、当該表現に個人化されたかたちで組み込まれている」必要がある。「個人化された」と言える要件も厳格に解釈すれば、集団侮辱の可能性は極めて限られる。
ただ、名誉棄損罪は個人的法益、ヘイト・スピーチ規制は社会的法益とすれば保護法益が異なるので、この手法の活用も限定される。
立法論としては、「個人的法益を侵害する粗暴犯型の犯罪類型」をヘイト・スピーチ規制することが考えられるが、やはり保護法益の違いを無視できない。
「人間の尊厳」概念は論者により内実が異なるので、なお検討が必要である。
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櫻庭によると、ドイツ的な集団侮辱の援用によって、一部の類型について一定の前進を図る可能性があることが分かる。
ただし、「個人的法益を侵害する粗暴犯型の犯罪類型」をヘイト・スピーチ規制するというのは、現状でも処罰可能な暴力事犯をヘイト・スピーチとして再構成するというレベルの話である。つまり処罰できるものは処罰できる、ということに落ち着くのではないだろうか。
総体としては櫻庭によっても、典型的なヘイト・スピーチの可罰性を基礎づけることは難しいという結論になりそうだ。櫻庭の旧著でも、結論は差別対策の基盤整備こそ重要というものだった。
世界中で膨大なヘイト・スピーチ処罰法があり、無数の処罰事例がある。判例はとうてい数えきれない。それらの事件を素材に櫻庭法理がどのような意味を有するのかを示してもらえると助かるのだが。
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ドイツの集団侮辱の法理はそれなりに参考になる。
ただ、これは人種民族的マイノリティの保護のための法理ではない。横暴な警察力の行使に反感を持った市民の警察批判を封じ込めるために刑罰を用いるための法理である。弾圧の法理をマイノリティ保護の法理に逆用するには、どのような方策が良いのか、さらなる検討が必要だ。
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名誉毀損類型
―保護法益・個人的法益
―主観面・故意(名誉毀損)
―客体・個人
―実行行為・社会的評価の低下
ヘイト・スピーチ
―保護法益・社会的法益(のみ?)
―主観面・属性に基づく動機(差別動機)+故意
―客体・個人または集団
―実行行為・差別・暴力の煽動
両者は重なる局面があるとはいえ、犯罪類型としてはまったく異なる。
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多くの西欧諸国のヘイト・スピーチ法は「人種・言語・宗教等に基づいて、人又は人の集団に対する差別を煽動した」というスタイルである。属性に基づく動機(差別動機=人種・言語・宗教等に基づいて)が明確であれば、客体としての「集団」の認定を精緻にする必要がない。
ドイツの集団侮辱の場合、差別動機が要件でないから、犯罪成立要件を絞るためには客体としての「集団」概念にこだわるしか方法がない。