桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)
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「第6章 ヘイトスピーチの人権法による統制の可能性」(奈須祐治)は、大著『ヘイト・スピーチ法の比較研究』においてアメリカ、イギリス、カナダを中心に英米法圏におけるヘイト・スピーチ規制の歴史と現在を詳細に解明した著者の論文である。奈須は、ヘイト・スピーチ刑事規制についての消極説は妥当でないとして、一定の場合に刑罰を用いて規制することは可能であるという立場を表明してきたが、他方で、刑罰によるとは限らず、人権法の枠組みでの対処を工夫してきたカナダの状況も紹介してきた。最近ではオーストラリアの規制と人権法も紹介し始めた。本論文もオーストラリアの状況を紹介する。
オーストラリアは人種差別撤廃条約や国際自由権規約を批准して、条約に従ってヘイト・スピーチ刑事規制法づくりを試みたが、表現の自由との関係などをめぐって議論となり、刑事規制が削除されたり、法案が不成立となった。1995年にようやく成立したのが人権法型の人種憎悪法であった。「不快にし、侮辱し、辱め、または脅す可能性が合理的にみて高い」言動を規制するが、救済機関は人権委員会法に基づく人権委員会であり、調査や調停を行う。前身の人権及び平等機会委員会には審決権限があったが、権力分立に違反するとして違憲とされたため、人権委員会に審決権限はない、争いは裁判所に持ち込まれる。
ヘイト・スピーチ規制については最近も大きな議論になっているようだ。
奈須はオーストラリア連邦法の課題として、1.明確性、2.救済手続き、3.その他を挙げている。
明確性については、違法性の敷居を低くしたためか、「不快にし、侮辱し、辱め、または脅す」という文言にあいまいさがあるとの批判があるという。
救済手続きについては、ヘイト・スピーチは公的害悪を生むのに、手続きのイニシアチブを私人に委ねていること、政府が何の役割も果たさないこと、公的非難がなされず将来の抑止につながらないことなどの指摘がなされているという。
奈須は、オーストラリアの人権法を参照する場合、メリットとデメリットの双方を考慮する必要があるという。メリットは、マイノリティ主導なので国家権力の濫用の危険は少なく、マイノリティのエンパワーメントになり、判例の積み重ねにより人権法の解釈を確立できるという。
デメリットは、反対派のキャンペーンやバックラッシュの恐れや、私人の負担が過大となることや、調停に応じない者、過激なヘイトに出る者には効果がないことを挙げている。
奈須の結論は次の通りである。
「日本では一部のマイノリティに対する差別が厳しく、マイノリティの団体の組織化にも限界が見られる。マイノリティのエンパワーメントのためにも、刑事規制とともに人権法による規制の必要性が検討されてよい。また、仮に国内人権機関の設置が困難なら、大阪市ヘイトスピーチ条例の当初案にあったように、マイノリティのための訴訟支援の仕組みも検討されるべきである。また、国レベルでの人権機関の設置のハードルが高いのであれば自治体レベルでの設置を検討できる。」
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奈須はヘイト・スピーチ刑事規制の可能性を論じてきた上で、人権法型の採用も考慮する。そのためカナダ法の紹介も行ってきた。
私も2本立てはあり得ると考える。ただ、私自身はヘイト・スピーチについての人権法型を考えてきたわけではない。ヘイト・スピーチに限らず、そもそも独立の国内人権機関の設置が必要である。国連人権理事会や国際自由権委員会は、日本政府に国内人権機関を設置するよう何度も勧告してきた。日本政府は断固として拒否してきた。国内人権機関をつくろうという提言は、人権NGOが行ってきたが、憲法学からの応答は余りなかったと思う。ヘイト・スピーチについてカナダやオーストラリアの研究をしてきた憲法学者の小谷順子や奈須が国内人権機関について言及している。ここから憲法学においても国内人権機関の議論が高まると良いのだが。
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国内人権機関の実践例についても国連人権理事会には様々に報告されてきた。その都度、見てはいたが、まとめて日本に紹介してこなかった。北欧のオンブズマンや、西欧の人権委員会など、いろんな可能性がある。パリ原則に従った国内人権機関の研究も重要だ。