桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)
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大著『ヘイト・スピーチ規制の憲法学的考察』の桧垣と、『ヘイト・スピーチ法の比較研究』の奈須の編集によるヘイト・スピーチ法最新研究である。
「現在法学研究者に求められるヘイトスピーチの書籍は、既存の国内の学説・判例の整理や外国の法律・判例の単純な紹介ではなく、新たな理論の構築を目指すものでなければならない。そこで、本書は日本で十分に論じられてこなかったいくつかの論点を、理論的に掘り下げることを主たる目的とする。こうした本書の性格上、編者が特に重要性が高いと考える論点をピックアップしたうえで、最新の理論動向に敏感な若手・中堅の法学研究者に執筆を依頼した。」
研究者9名による意欲的な「最前線」の研究である。
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「第1章 ヘイトスピーチ解消法と非規制的施策」(桧垣伸次)は、2016年のヘイト・スピーチ解消法制定により、日本は、アメリカ型ともヨーロッパ型とも異なる「第3の道」を歩み始めたと見る。ヘイト・スピーチを「許されない」としつつも、刑罰は用意せず、国や地方公共団体が教育活動や啓発活動を通じて、その解消を目指すタイプだからである。
桧垣は解消法の内容を確認した上で、アメリカ法理である「政府言論」の理論を参照して、法務省や地方公共団体の取り組みを検討する。
桧垣は「基本的な視点」として「政府言論」について紹介する。政府が表現者となる場合には「観点中立性」は求められないが、政府は圧倒的な影響力を有するため、言論市場を独占・操作する危険性がある。場合によっては脅しになったり強要になってしまう懸念もある。表現に関わる問題についての政府言論の在り方には慎重な検討が求められる。
その上で、桧垣は大阪市条例のような、ヘイト・スピーチを行った者の氏名を公表する措置について検討する。大阪市条例に関する大阪地裁判決は、氏名公表は表現の自由を制限する側面を有するが、規制の目的は合理的であり正当であると判断した。表現の性質(悪質性)や、意見聴取などの手続き的保障がなされているからである。
桧垣は、「ヘイトスピーチは、標的とされるのが人種・民族的マイノリティである。しかし、ヘイトスピーチを行う集団も、『孤立した集団やある種の偏見に見舞われた団体』――すなわちある種のマイノリティ――であることもありうる。上述の大阪地裁判決は、これらを十分考慮していない点で問題があるといえる。」と批判する。
また、桧垣は「川崎市のように、行為者の氏名だけでなく住所まで公表することについては、第3者による報復の可能性やサンクションとしての効果が大きいため、政策的妥当性も含めて考えるべきであろう。」という。
最後に桧垣は「表現の自由との衝突をある程度回避しつつ、まずは、ヘイトスピーチは許されないとする社会的合意を形成していこうとするやり方は、次善の策であるといえる」と、日本の「第3の道」を評価する。
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表現の自由とヘイト・スピーチに関する長年の研究成果を基に、現在の日本の状況に向かう桧垣論文は、手堅く、鋭い分析となっており、大変参考になる。
桧垣の「政府言論」に関する論文はこれまでも読んできたが、私は十分理解できていなかった。本論文はわかりやすいが、なお疑問は残る。
「第3の道」の日本の法状況に対する評価に際して、「第1の道」であるアメリカ型の法理を基準にするのはなぜだろうか。思想の自由市場論にしても観点中立性論にしても、ヘイト・スピーチを規制しないための理屈付けであるし、それを前提としたうえで政府言論の場合は異なる法理だと言いながら、政府言論の判断の中にも元の判例法理を読み込んでいるように見える。
そもそもヘイト・スピーチの規制と表現の自由は衝突するという決めつけが、私には理解できない。国連人権機関では、ヘイト・スピーチの規制と表現の自由の保障は矛盾しないというのが常識である。表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを規制するべきだというのが私の長年の主張である。日本では、ヘイト・スピーチの規制と表現の自由は衝突するという大前提は疑ってはならないことになっているが、宗教のようだ。
氏名公表についての検討はなるほどと思う。氏名公表なら問題はない、という私の単純な理解では不適切な場合が生じるかもしれないので、再検討が必要だ。
ただ、桧垣は「ヘイトスピーチを行う集団も、『孤立した集団やある種の偏見に見舞われた団体』――すなわちある種のマイノリティ――であることもありうる。」と言う。この意味が分からない。一般論ならともかく、大阪地裁判決を批判して、「ヘイトスピーチを行う集団も、ある種のマイノリティ」であると主張している。「ある種のマイノリティ」とは何だろうか。大阪市条例は「人種又は⺠族を理由とする不当な差別的言動」を抑止するために施策を講じるとしている。人種・民族的マイノリティ以外に「ある種のマイノリティ」を持ち出す根拠は何だろうか。