Wednesday, November 17, 2021

ヘイト・スピーチ法研究の最前線07

桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)

「第7章 ヘイトスピーチ規制と保護属性」(村上玲)は、ヘイト・スピーチを刑事規制することによって保護される属性について検討する。

人種差別撤廃条約第4条は人種差別の煽動等を禁止し、国際自由権規約20条は国民的、人種的、宗教的憎悪の唱道の禁止を要請している。

2016年のヘイトスピーチ解消法は「本邦外出身者」という、国際的に類例のない概念を用いた。主に在日朝鮮人に対するヘイト・スピーチを念頭に置いたものだ。民主党が提案した人種差別撤廃法案では人種、皮膚の色、世系、民族的・種族的主審としていたが、与党案は本邦外出身者であった。これによってアイヌ民族、琉球民族、被差別部落、性的マイノリティ等は保護の対象から除外された。

村上はイギリスの憎悪扇動表現規制の歴史を踏まえて、1.人種、2.宗教、3.性的指向について、検討する。

1.           人種を保護対象とすればアイヌ民族等を含めることができるが、表現の自由との関係で「重大な懸念」があるという。名誉毀損罪では「被害者と加害者が特定可能」だが、人種とすると「被害者と実際の損害殿因果関係が希薄であっても規制の対象」となるためだという。表現の場所や、法の下の平等の観点についても検討している。

2.           宗教を保護対象とすることは、従来の日本法における宗教的寛容と合致しない恐れがある。「宗教団体やその活動に対する批判の機会を抑制しうる可能性」があるという。

3.           性的志向を保護対象とすることは、日本の現状では立法事実があるとは言えないので。「イギリスのように喫緊に法的対策を行わなければならないような状況には達していない」という。

結論としてイギリスの憎悪煽動表現規制の手法を日本で採用することには、村上は否定的である。そこにはヘイト・スピーチに固有の字事情だけでなく、訴追制度の差異もあり、い「イギリスが訴追可能性を抑制するために設けた仕組み」があるが、日本では同様の仕組みを導入する可能性があまりない。つまり司法制度の差異から言って、そもそもイギリスに学ぶ可能性はないことが明らかだということのようだ。

このことは村上の旧論文でもすでに明らかになっていたと言って良いだろう。

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/10/blog-post_66.html

保護の対象、保護属性という理解自体が、私にとっては目新しかったので、ここは今後も考えてみたい。というのも、保護法益論に関連するのに、保護法益としてではなく、保護属性という表現を選んだことにはそれなりの意味があるのだろうと思うからだ。

欧州諸国でもっとも多いと思われるヘイト・スピーチ規制の条文の形式を見ると、

例えばポーランド刑法第2562項は、公然とファシズムその他の全体主義国家体制をプロパガンダし、国民的、民族的、人種的、宗教的差異、又は宗教的信念を持たないことによる差異に動機を持つ憎悪を煽動する内容の、印刷物、記録、その他の物を頒布する目的を持って、製造、記録、販売、所有、提示、輸出入又は運搬する行為」とする。

エストニア刑法第151条改正案は「市民権、国籍、人種、身体的特徴、健康状態、性別、言語、出身、宗教、性的志向、政治的信念又は社会的地位に基づいて、組織的に又は公共の平穏を乱す方法で、憎悪、暴力、差別を煽動する文書、写真、シンボルその他の物を使用、配布、共有する行為」とする。

つまり、「…動機を持つ」「…づいて」「…理由として」という文言が用いられている。刑法規定としては、犯罪の動機を示すスタイルである。間接的には保護対象を明示しているとも言えるが、必ずしもそうではないことは、錯誤事例を考えればすぐにわかることだ。

保護属性という観点では、私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』には詳しい一覧表を掲載したが、世界には実に多くの立法例がある。人種、皮膚の色、言語、宗教、性的指向だけではない。国民的出身、社会的出身、政治的意見、世系、障害、年齢、性的アイデンティティ、ジェンダーなど多様である。アメリカの議論ではホームレスの保護も問題となっている。この点も今後見ていきたい。