Thursday, February 07, 2019

ヘイト・スピーチ研究文献(128)京都事件一審判決評釈


中村英樹「人種差別的示威活動と人種差別撤廃条約」『北九州市立大学法政論集』42巻1号(2014年)


京都朝鮮学校襲撃事件に関する民事訴訟京都地裁判決の評釈である。

「…本判決は、条約のみを民法規定の解釈基準として取り上げ、憲法に関する言及がない点に特徴がある。…確かに、名誉毀損的表現と人格権との調整は、いわゆる『定義づけ衡量』によって解決済みであると考えることはできる。しかし、『人種差別』的表現をめぐっては、条約(及び憲法)のどのような『趣旨』あるいは『価値』が読み込まれ『意味充填』されて、対抗する諸利益が衡量されたのか(あるいは衡量されなかったのか)、必ずしも明確ではない。」(89頁)

「条約6条を裁判所に対して直接義務を負わせる規定と解しながらも、裁判所に課された条約上の責務は、民法709条に基づいて損害賠償を命じることができる場合にのみ生じるとしている点で、本判決の手法も、条約の『間接』適用と言えよう。しかし、そこでの条約は、国内法の単なる解釈指針といった扱いにとどまらず、また、私人間での利益衡量の対象でもない。」(91頁)

「本判決は、裁判所が人種差別撤廃条約上の直接の義務主体として、人種差別に対する実効的な保護・救済を積極的に行っていく姿勢を示した点に、大きな特徴があると言える。その論理構成が上述のようなものであるとすれば、本判決の射程は、刑事訴訟の量刑判断にも及びうる。こうした姿勢は、条約上の義務主体である『全体としての日本という国家』が人権条約に対してこれまで取ってきた『法形式主義とミニマリスト的対応』と比較すると、争闘にアグレッシヴであるように思われる。その姿勢が果たしてどこまで共有されるのか、控訴審での判断が注目される。」(92頁)


本判決について私は『序説』35~63頁で論じた。


中村が言う通り「相当にアグレッシヴ」な個所については、控訴審で修正されたため、今後、他の裁判所において、本件一審判決の条約論が採用されることはないだろう。

一〇〇〇万円を超える損害賠償額は非常に高いものとして、マスコミでも大きく取り上げられた。多くの判例評釈でも損害賠償額が高くなったのはなぜかという言及が目立つ。一方、刑事訴訟の量刑はかなり軽い。中村は末尾の註でこの点を紹介している。「本判決も取り上げているように、日本政府によればレイシズムの事件においては既に人種差別動機が量刑に反映されていることになっている。もっとも、本件刑事訴訟における量刑に対しては、軽すぎるという批判もある」とし、冨増四季と師岡康子の見解が引用されている。