Tuesday, January 25, 2022

歴史修正主義の系譜と規制について

武井彩佳『歴史修正主義』(中公新書、2021年)

日本で「歴史修正主義」「歴史歪曲」「歴史改竄」が猛威を奮うようになったのは1990年代半ばからだったように思う。「南京大虐殺の嘘」「慰安婦強制連行はなかった」といった歴史否定の異様なナショナリズム言説がメディアに登場し始めた。実際にはその裏でアベシンゾーら政治家が画策し、組織的に歴史歪曲が繁殖していった。

同じ時期、西欧でも「アウシュヴィッツのガス室はなかった」とする歴史修正主義の脅威が語られた。ドイツやフランスにおける論争が、やがてイタリアやスペインを始め欧州全域に広がっていった。

とはいえ、欧州では「アウシュヴィッツの嘘犯罪」=「ホロコースト否定犯罪」が制定され、歴史修正主義に一定の歯止めが掛けられた。このため、規制のないアメリカやカナダを拠点に歴史修正主義が世界に輸出されるようになっった。

日本は、西欧と異なる道を歩んだ。歴史歪曲を「表現の自由だ」「学問の自由だ」と強弁する倒錯した憲法学者・弁護士・ジャーナリストが多い。法規制どころか、歴史歪曲のアベシンゾーが首相の地位にのぼりつめ、権力を握ってしまった。その後の転落を目を覆わんばかりだ。次々と都合の悪い歴史を否定し、歪曲し、賛美する異様な「歴史学」が横行している。周辺諸国との軋轢を深めるばかりだ。学問の破壊と人間性の破壊が同時進行している。

武井は、西欧における歴史修正主義の全体像を見事に描き出す。本書副題は「ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで」とされており、主としてナチスの犯罪に関する歴史修正主義を取り扱うが、東欧に置ける状況にも言及している。またその法規制にも言及している点で、これまでの歴史学者の著作としては踏み込んだ内容となっている。

主に論じられるのは、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、カナダにおける「ホロコースト否定論」である。その概要はこれまでも知られているが、1冊の新書にていねいに、かつ手際よく紹介してくれているので有益である。

歴史否定論が単に歴史事実の否定にとどまらず、他者のアイデンティティへの攻撃となり、人種差別となる事にも論及している。その上で、ホロコースト否定犯罪の刑事規制を検討している。武井は欧州委員会報告書などを基に、イタリア、オーストリア、ギリシア、スイス、スペイン、スロヴァキア、チェコ、ドイツ、ハンガリー、フランス、ベルギー、ポーランド、リトアニア、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、ルーマニア、ロシア、イスラエルに「否定禁止法」があることを紹介している。

多くの論者がドイツやフランスの例だけを引き合いに出して議論してきたのに対して、武井は西欧では否定禁止法が一般的であることを明らかにし、その上で西欧のみならず東欧にも広がっていること、ただし東欧の状況はナチス犯罪だけでなくスターリン時代の犯罪の否定にも関わっているため複雑であることも明らかにしている。

同じことを、私は『ヘイト・スピーチ法研究序説』及び『ヘイト・スピーチ法研究要綱』で論じ、歴史否定(歴史否定主義)を規制する法律はオーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、キプロス、チェコ、フランス、ギリシア、ハンガリー、イタリア、ラトヴィア、リトアニア、ルクセンブルク、マルタ、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニア、スペイン、ロシア、イスラエル、ジブチにもあることを紹介してきた。

武井は、歴史家であり法律家ではないが、ホロコースト否定犯罪の保護法益についてもていねいに論じているし、国際ホロコースト記憶連合のことも紹介している。

歴史修正主義に歴史学はどのように向き合うのかとともに、法的にどのように対処するのかも、きちんと議論をしていかなくてはならない。

この点では韓国での議論が日本よりも先行している。というのも、実際に法律案が作られて国会に上程されてきたからだ(成立していないが)。武井は韓国の状況には言及していないが、西欧、東欧、日本、韓国を含め、さらにはラテンアメリカでも「記憶する権利」が議論されているので、視野を広げつつ、基本的な構えをいかに組み立てるかを議論すべき時だ。優れた新書本に感謝。