Monday, February 27, 2017

あらゆる闘争の集約が必要だ

佐高信・浜矩子『どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)
辛口コンビというか、過激な論客というか、正論の神髄というか。
アベノミクスはとっくに破たんしているのに、アベシンゾーはひたすらごまかし路線だし、ジャーナリズム精神なきマスコミがそれを支えているが、破たんしているかどうかが問題なのではない。浜によると、破たんしていようがいまいが、そもそも「人間を無視したインチキ経済学」を容認してはならないのだという。なるほど、と思う。アホノミクスは経済政策ではなく、戦争国家をつくる政策である。なるほど。これほどひどい事態にもかかわらず、貧困が抵抗に向かわず、独裁を支えてしまう末期症状をいかに治療するのかが問われる。
佐高節と浜節が激突して独特の妙味を感じさせる。随所で現実に怒りを覚え、随所で2人の話に笑えるところも、なかなか。
一番笑えたのは、佐高が「私は朝日新聞元主筆の若宮啓文と親しかった」と言いつつ、「若宮が腰を据えて闘わなかったのはクリスチャンだったからだ」と述べたのに対して、浜が、クリスチャンが「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出す」という言葉は誤解されており、「イエス・キリストは戦闘的な人です」と解説した直後に、若宮が「戦闘的でなかったのはクリスチャンだったからというよりは、朝日新聞だったから」と見事なオチをつけているところだ。
私なら「若宮のような御用聞きがそもそも闘うはずもない」と切り捨てるところだが。ちなみに佐高によると、早野透も洗礼を受けていたという。さて、早野。
それはともかく、安倍政権、日銀、財界、マスコミの腐敗暴走集団をなんとかしないと、この船は本当に沈没してしまう。浜は最後にこう述べている。
「貧しい者、弱い者の側に本気で立つなら、ヤクザであろうと何だろうと歓迎でいいでしょう。アホノミクス的な人権侵害を蹴散らかしていくには、あらゆる弱者を包摂する、あらゆる闘争の集約が必要なのだと思います。」