Tuesday, February 28, 2017

原発に抗して生き抜く庶民とジャーナリスト

本田雅和『原発に抗う――『プロメテウスの罠』で問うたこと』(緑風出版)
敬愛するジャーナリストの本だ。原発問題をしっかり取り上げてきた出版社から、ぎりぎり2016年最後の日に出版された。
福島原発事故をどの視点からどのように語るか。政府の原子力政策をストレートに批判することも必要だし、東電の無責任体制を糾弾することも必要だ。避難者に対する政策や、復興の在り方を批判することも重要だ。メディアの責任も、御用学者の責任も、騙されていた私たちの責任も。実に多様なテーマがひしめいている。どのテーマももっともっと掘り下げが必要なのに、今や「風化」が語られている。
本書は、原発事故と放射能被曝の恐怖の中で生き抜いて、闘っている市井の庶民に光を当てる。
「第1章 希望の牧場」では、殺すべき牛を殺さずに育て続けている浪江町の希望の牧場の吉沢正巳の呻き声を、涙を、憤激を、伝える。吉沢とともに泣き、笑い、闘う人々の苦悩を伝える。人には語ることのできない体験と記憶がある。語れば語るほど見えなくなる襞がある。著者は、吉沢の激しい転戦を追いかけ、研ぎ澄まされた感性を、読者に伝えようとする。
「第2章 原発スローガン「明るい未来」」では、「原子力 明るい未来のエネルギー」というスローガンを考案した大沼勇治の「看板撤去」の訴えを掘り下げる。このスローガンを考案した12歳の少年だった大沼は、原発事故の記憶と記録を残し、教訓とするため、スローガンを残すよう求めると同時に、「26年目の訂正」として「原子力 破滅 未来のエネルギー」を打ち出す。自らを責めることから、本当の未来に向かって歩むことを学び、歩み始めた庶民の闘いがここにある。同時に、現場で生き抜く庶民に鍛えられたジャーナリストの報告である。
フクシマ事故によって人生を破壊された無数の人々の、ほんのわずかな例ではあるが、本書は終わらないフクシマの悲劇の一断面を鮮やかに描き出す。
「エピローグ/追記/惜別」では、著者が「師」と仰ぐ高木仁三郎への想いが提示されている。1980年代後半から高木に学んだという著者は、高木の訃報記事を最後に掲載している。これだけでは多くの読者にきちんと伝わらないのではないかとも思うが、ここから高木に関心を持ち、調べる読者もいるかもしれない。私も、チェルノブイリ事故の後、高木の講演会に何度か足を運んだ。市民科学者という提唱にも賛同できる。私たちはまだまだ高木に学び続けなければならないと思う。
せっかくの好著だが、違和感を抱かせられるところもないわけではない。新聞記者から弁護士となり、原発事故後に東京電力の情報隠しを追及した人物をヒーローとして極めて高く評価し、持ち上げている点は特にそうだ。
私はこの人物と国際人権法をめぐって論争したことがあるが、およそ基礎知識もなく出まかせを並べるだけだった。国際人権法の初歩を間違えていることを指摘したところ、逃げ回り、結局、誤りを訂正することもしなかった。最初は単なるミスで済むが、誤りを認めず、訂正もせず逃げたのは嘘つきと非難されてもやむを得ないだろう。弁護士としてもジャーナリストとしても失格だ。だから「インチキ弁護士」という称号を献呈した。その人物が、本書では、病魔と闘いながら、人のために尽くした素晴らしい弁護士として登場する。ニセモノを見抜く力も必要だろう。