Wednesday, February 08, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(91)ダーバン宣言とは何か

前田朗「植民地主義との闘い――ダーバン宣言とは何だったのか」『社会評論』187号(2017年)
一 はじめに
二 ダーバンへの道
三 ダーバン宣言の概要
四 ダーバンからの道
<ヘイト・スピーチと闘うために>というタイトルでの連載5回目である。2001年に南アフリカのダーバンで開催された国連人権高等弁務官主催の人種差別反対世界会議で採択されたダーバン宣言の意義を再確認した。
1980~90年代の国連の人種差別との闘いの集約として、人種差別反対世界会議が招集された。アパルトヘイトを終わらせた南アフリカのダーバンである。アパルトヘイトの原型はダーバン・システムであった。それゆえダーバンでの開催となった。国連、各国政府、NGOが大挙してダーバンに集まった。数は不明である。1万を超える人権NGOと言われていたと記憶する。日本からも「ダーバン2001日本」という名で集まったNGOが十数名参加した。
ダーバン宣言は、人種差別の根源として植民地支配、植民地主義に焦点を当て、「植民地支配時代における奴隷制は人道に対する罪であった」と認定した。ヘイト・スピーチに関連する条文も多数ある(ヘイト・スピーチという言葉は用いていないが)。
ダーバン宣言は2001年9月8日に採択された。ところが、3日後の9.11のため、世界は暗転した。「テロとの戦争」が人種差別を極度に悪化させ、21世紀は国家主導の人種差別が噴出する時代になってしまった。国連人権理事会では、その後もダーバン宣言のフォローアップの努力を続けてきたが、先進国(その多くが旧宗主国)側のサボタージュにより、進展がない。日本政府もダーバン宣言に背を向けたままである。
ヘイト・スピーチがいっそう悪化し、これへの対策が始まったばかりの日本では、ダーバン宣言の意義が大きい。ダーバン宣言に立ち戻って、課題を探る努力が不可欠だ。
ダーバン宣言及び行動計画の全訳は下記にアップされている。