Sunday, March 17, 2019

カタロニア独立デモに参加して


3月16日午後、マドリッドでカタロニアの自由を求めるデモに参加した。

王宮と国会を眺め、スペイン広場でドン・キホーテとサンチョ・パンサの像(セルバンテスの像)を見る。続いてふらふらと裁判所を通り抜けてコロンブスの像に向かって歩いた。 「スペインの植民地主義」などと呟きながら歩いていると、ジェノヴァ通りでデモ行進にぶつかった。

ニュースで見覚えのある黄と赤の旗が林立する。

「カタロニアに自由を」の叫び。

みんな、勝手にわいわい言いながら、歩いている。ざっと1000から2000の間だろうか。警察が出て交通整理をしながらデモ隊を通している。

SOM REPUBLICA CATALANA

最初は写真をとっていたが、いつの間にかデモの中に入ってしまった。

カタロニアに自由を

カタロニアに自由を

コロンブスの像を過ぎると、ゴヤ通りだ。デモ隊はカステリャーナ通りからレコレートス通りに出て、シベーレス広場のほうへ行くという。地下鉄コロン駅前から南へ向かって歩く。

いろんなスローガンがあったが、わかったのはこれだけ。

カタロニアに自由を

カタロニアに自由を

ダヴィドという男性に聞いた。EUが認めないので独立は無理だが、自治権拡大を。

隣の女性は、独立しか道はないのよ!

ともあれ、

カタロニアに自由を

カタロニアに自由を

と叫んでいるうちにシベーレス広場だ。公式にはここで終わりらしいが、どんどん前進するデモ隊もいた。私はここで抜けてコロンブスの像に戻り、東へ折れてゴヤ通りを歩き、ヴェラスケス通りの近くのホテルを探した。初めての町で小さなホテルを探すのは苦労することが多い。今回もネットで予約したミニ・ホテルは裏通りで、看板も出ていなかったので、プレートを見つけるのに時間を要した。


ちょっとマドリッドをお散歩しようと思って来ただけで、カタロニア独立デモに出会えるとは思っていなかった。


昨年11月の『マスコミ市民』に掲載してもらった文章を貼り付ける。

***

カタルーニャはどうなっているか



住民投票一年



 九月二九日、毎日新聞は「カタルーニャ混迷続く」と題して住民投票一周年を迎えようとするカタルーニャの状況を報じた。「独立問題を巡り国と州の分断が続くなか、スペイン中央政府のサンチェス首相は自治州政府との緊張解消を図るが、トラ州首相は『独立』にこだわり、長引く混乱が終息する道筋は今も見えていない」という。

 昨年一〇月一日に実施された住民投票、中央政府による弾圧、独立派のリーダーとされたプッチダモンのベルギー亡命、スペイン政府からの引渡し要求をめぐる政治的駆引きと続いた政治劇の末、一周年を迎える今も政治的経済的な利害関係が錯綜するなか、カタルーニャでは次へ向けた動きが始まっているようだ。そのことを教えてくれたのは、市民の呼びかけによって一〇月五日に開催された「フォーラム『自己決定』をめぐって――カタロニア・沖縄」(於・日比谷図書文化館)であった。

 シンポジウム冒頭、一〇〇〇年に及ぶカタルーニャの歴史を、共和制を求める市民の運動という観点から整理がなされた。続いて、アドリア・アルジナ(ANC全国書記、ヴィック・カタルーニャ中央大学教員)の講演「仮想のカタロニア共和政の一年、そして次は?」が行われた。

 アルジナによると、カタルーニャは分断されているように見えるが、分裂していたわけではない。独立派は住民投票実施に誇りを感じ、一定の満足を覚えている。憤激したのは、独立の可否問題ではなく、政府による警察暴力を用いた問答無用の弾圧である。特に他の地域から導入された警察の暴力はまるで戦争のようだと感じられた。にもかかわらず、フェリペ六世は警察を賛美し、カタルーニャ人を犯罪者のように扱い、仲介役を投げ捨てた。住民投票すら許さない姿勢は民主主義を踏みにじるものと受け止められた。



国民国家の耐用年数



その後もメディアを使ったプロパガンダ合戦が続いている。カタルーニャ議会は圧倒的多数で独立を可決したが、カタルーニャ政府はこれを承認せずに議会を閉会とした。スペイン下院はカタルーニャの自治権剥奪を決定した。こうした事態を前に、市民が立ち上がり共和国防衛委員会を設立し、路上に繰り出して強力なデモが始まった。政治犯が勾留され、政治家だけでなく市民団体メンバーも逮捕され、あるいは亡命を余儀なくされた。

これから統一地方選挙となり、バルセロナ市長選挙が行われる。ANCは、行き詰まったら元に戻って、もっと民主主義を、と訴えている。

続いて松島泰勝(龍谷大学教授)が、カタルーニャとの比較を踏まえながら、琉球独立運動の現状を報告した。自己決定権を基軸に国際法を活用した独立論を展開し、自分たちの納得する政治的地位と自立経済を獲得する市民の闘いが強調された。

近代国民国家というプロジェクトを産み出した西欧諸国は、二一世紀の現在、プロジェクト解体の危機に直面している。一方で、EUという上からの越境システムを構築することによって国民国家を前向きに乗り越える作業が続いてきた。しかし、二つの大いなる挑戦に遭遇して立ち往生している憾がある。

第一の挑戦は中東やイスラム圏からの難民や移住者の大量移入問題である。これは単に外部から西欧への流入ではない。近代国民国家を創設する際に外に排除した残余が逆流入してきたのであり、自らまいた種に悩まされていると見るべきだろう。

第二の挑戦は自己決定権の「再発見」による独立運動である。スコットランド、カタルーニャ、そしてバスク。ベルギーも南北対立から政治的分裂の危機に直面した。ドイツの政治も激しい流動化を呈している。近代国民国家という擬制が、西欧諸国を自家中毒に追い込んでいる。これもまた自らまいた種である。

果たして国民国家の耐用年数は尽きようとしているのか。「明治一五〇年」を神話と帝国と経済成長の夢で粉飾するこの国で、先住民族、マイノリティ、自己決定、東アジアというキーワードを下から賦活する思想は真のエネルギーを手にすることができるだろうか。