成田空港で預けたトランクが紛失した。
3月1日、フライトが遅れたため、コペンハーゲンでの乗り継ぎ便に間に合わなかった。空港で乗り換え手続きをしたところ、ジュネーヴ直行便がないため、いったんチューリヒに飛んで乗り換えて、ジュネーヴに着いたのが夜の11時。朝に成田を出てからの長旅だが、ようやくついたと思ったら、トランクがなかった。紛失届を出して、宿に着いたのは夜中の1時過ぎ。寝不足の夜を過ごした。
翌日、昼間はローザンヌに出かけてミュージアムをまわってきた。帰りにジュネーヴ空港によって確認したが、何も情報はないという。前夜は寝不足だったので早めに寝たが、トランクがでてこなかったらどうしようと、あれこれ考えた。服・衣類・下着類がないとか、細々した生活用品がないのも困るが、購入すればよい。もっとも、ジュネーヴで作務衣は買えないが。
一番の問題は、論文執筆のために持ってきた資料類だ。データになっていない文書や本を持ってきたのに、これがなくなったら大打撃だ。3月は6本の原稿締切りを抱えているが、そのうち3本の関連資料だ。困った。
もう一つは国連入館バッジだ。ジュネーヴの国連欧州本部や人権高等弁務官事務所に入るための身分証がなくなると、最初から手続きをし直さなければならない。となると、自分ではできないから、登録NGOの事務局に頼んで手続きを確認しなければならない。
こんな想念が次々と訪れたが、さすがに疲れていたのか、いつの間にか眠りに落ち、ゆっくり眠って、カーテンの間から朝陽が射し込んで目が覚めた。東向きの窓なので昇る朝陽が気持ち良い。
朝食後に確認したところ、夜中にメールが届いていた。トランクはコペンハーゲン空港で見つかったので、3日午後に届くように手配したという。ほっと一息。3日は、本来の予定では、マルティニの美術館にいくはずだったが、そんな気分にもなれないから、宿でお勉強して、昼から空港にトランクを受け取りに行ってきた。
思い起こすと、かつて、私のトランクはよくなくなったものだ。成田・ジュネーヴ往復の中でも数回行方不明になった。ダーバンで人種差別反対世界会議に参加したときも、ジョハネスブルク空港で紛失し、翌日出てきた。アフガニスタンに行くために、パリからイスラマバードへ行ったときも、なくなった。やむをえず下着や靴下を買ってカーブルに行き、服はアフガンのシャルワル・カミーズで過ごした。1週間後に戻ったら、イスラマバード空港に届いていた。
軍隊のない国家27カ国めぐりをしたときも、パラオからミクロネシアへ行き3泊してからマーシャル諸島に行ったが、途中のミクロネシアにトランクが届かないと思ったら、トランクだけ、私よりも先にマーシャル諸島のマジュロに行っていた。後日、マジュロ空港で再会した。キリバス共和国で預けた荷物はフィジーのスヴァ空港に届かなかった。
荷物がなくなったのはキリバス・フィジーの時だけで、他はすべて無事届いた。運が良いのか、悪いのか。どちらかと言えば、良い方なのだろう。