Wednesday, March 06, 2019

などてすめろぎはひととなりたまいし


菅孝行『三島由紀夫と天皇』(平凡社新書)

1939年生まれの著者が、新たな視点で三島を読み解く試みだ。80歳、それだけでも感心してしまう。

三島の自衛隊乱入と自刃の謎は、数多くの推測を生み、後世に大きな影響を与えた。市ヶ谷で現場に立ち会った自衛官には何一つ影響を与えることができなかった三島だが、歴史の中で三島の謎はいつまでも語り継がれ、謎解きが続けられている。数多くの著作が世に問われてきた。

本書もその一つだが、論点は明白だ。「天皇への愛憎」である。これ自体は斬新なアイデアではなく、多くの論者が共有してきたはずだが、菅は「天皇への愛憎」という視点で、三島の全生涯をトレースし、主要作品の全てにこの視点が貫通していると喝破し、それゆえ市ヶ谷乱入と自刃の謎もこの視点から解きほぐされる。すべてが合理的に説明できる。つまり、戦後史の矛盾、欺瞞が問題なのだ。

神であったはずの天皇の人間宣言。

最高位の存在のはずがアメリカの僕となりさがった天皇。

人間に転落した天皇を諫め、叱責するため、2・26の磯部浅一は自ら神となった。なるほど、橋川文三、三島、そして磯部にとって、それは「必然」だったろう。

しかし、天皇一族にとってそれはどうでもいいことだった。振り返る必要のない瑣事にすぎない。神だろうと人間だろうとどうでもいい。おめおめとであれ、ぬくぬくとであれ、あらゆるものを振り捨て、引きずり下ろし、蹴落として生き延びることこそが使命だったのだから。アメリカにひざまづき、靴をなめ、沖縄を売り飛ばして、己の安泰を守ることが当然だったからである。そんな簡明なことを理解できなかったのが三島由紀夫だったのではないか。


憂国忌と呼ばれることになったあの日、札幌の中学3年生の私は一人で東京の親戚の家に来ていた。その帰りの上野駅で妙な警備体制を目にして不思議に思ったが、何も知らなかった。東北本線で青森駅に降り立ち、青函連絡船の船中で、大人達が騒いでいるのを見て、三島事件を知った。

直後から書店に三島の本が並べられたので、『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』などを読んだが、当時の私は太宰と安吾に夢中だったから、三島は一応読んでおく作家にすぎなかった。大学時代の乱読の中で『憂国』『豊饒の海』『文化防衛論』等も読んだが、感心しなかった。大学時代の私は戦後文学総漁りの結果、大江と小田実に落ち着いていたから、三島とは疎遠になるばかり。

一水会の鈴木邦男氏が、三島自刃の衝撃から一水会の活動を始め、今日に至るまで思想の基軸に据えていることは理解しているが、当時も今も私にとって、三島は文学者でも思想家でもなく、スキャンダルの主に過ぎない。もっとも、三島自身がそう仕向けたのかもしれない。

菅は、むしろ三島こそが戦後日本の意義と限界の全てを見抜いたのだ、といいたいのだろうが、はたしてどうだろうか。