佐藤かおり『セクハラ・サバイバル』(三一書房)
セクハラを受け、仕事も生活も打ちくだかれ、心身ともに追い詰められた一人の女性の闘いの記録であり、再生の物語
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第1章では、やりがいを感じて仕事をしていた日々から一転、セクハラの被害にあい当たり前の日常が奪われていく苦悩の日々を
第2章は、人生の転機となるウイメンズ・ネット函館との出会いなどを
第3章は、労災認定を求めて闘う日々を、
第4章では、被害当事者や全国の女性たちの声を受け、国がセクハラ労災認定基準の見直しを行う様子に触れます。
第5章では、退職後も続く精神的後遺症のある期間の補償を求めて行う行政訴訟などを
第6章では、セクハラと闘うパープル・ユニオンを立ち上げ、当事者たちの事例を紹介しながら、今後の課題などについて語ります。
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佐藤かおりは、セクハラ被害を受け、会社を辞めざるを得なくなり、セクハラ被害を乗り越えるために懸命の闘いを続けた。会社を辞めれば、心身の調子が良くなるかと言えば、そうではない。悪夢に襲われ、厳しい状況が数年続くのだ。最低に落ち込んだ佐藤を支えてくれたのが、ウイメンズ・ネット函館等の女性たち。佐藤はそこから自己回復の道を歩む。それも順調ではなく、日々、苦難の道である。労災認定や精神的後遺症の補償を求める闘いも決して順調ではなく、何度も諦めかける。それでも、諦めない。その間の苦悩が描かれるが、なぜ闘えたのかも、よくわかる本だ。サブタイトルが「わたしは一人じゃなかった」とあるのはこのためだ。
労災認定、裁判闘争、法改正を求める国会要請・傍聴行動を始め、佐藤はその後ずっと反セクハラ運動の先頭を駆け続ける。自分と同じような被害を受けた女性たちを支え、ともに泣き、ともに闘う。
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「おわりに」の最後に、佐藤は書いている。
「そして、暗闇の中にいるかもしれないあなたへ。『あなたはひとりじゃない』と声をかけたい。なぜなら、あなたの痛みは、私たちの痛みにほかならないからです。今は無理でも、いつか一緒に『痛みをちからに』していける日がきます。私がそうだったように。」
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「あなたの痛みは、私たちの痛み」の「私たち」はもちろん女性たちである。と、こう書いていることが本当は問題である。「あなたの痛みは、私たちの痛み」と、この社会の男たちが受け止めるような時代にならなければならないからだ。
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「女性問題に詳しい法学・医学の専門家が参集」(106頁)という表現が出てくる。山口浩一郎(上智大学名誉教授)らが、その「専門家」らしい。厚労省の専門検討会とやらの専門家である。
セクハラによる精神障害発病について、厚労省は、(1)業務による心理的負荷(セクハラのこと)、(2)業務以外の心理的負荷(家族・親族の出来事も含む)、及び(3)個体側要因(既往症、生活史を含む)の3つの要因で検討する。つまり、セクハラだけではなく、家族の事情や本人の事情で発病するという「予断」が基準になっている。この馬鹿げた基準を支える理論が「ストレス脆弱性理論」という。こういう理論を振りまわす「専門家」がまだまだいるのだ。
もう一度引用する。
「女性問題に詳しい法学・医学の専門家が参集」だ。
どこかおかしくないか。
セクハラ問題で必要なのは「女性問題の専門家」以前に「男性問題の専門家」だろう。セクハラ発生後、セクハラ被害を受けて以後のことは「女性問題の専門家」の重要な役割だ。しかし、なぜセクハラが起きるのか、セクハラ防止にはどうすればいいのか。それには「女性問題の専門家」は不要だ。そもそも「女性問題」の大半は「男性問題」だ。厚労省はこのことを認めないのだろう。だから、佐藤もとりあえず「女性問題に詳しい法学・医学の専門家が参集」と書くしかない。
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被害者救済の理論と実践は佐藤たちの闘いによって積み重ねられている。全国で多くの女性たちが奮闘している。同時に必要なのは、加害を未然に防止するための理論と実践だ。例えば、「セクハラ加害者にならないための男性用ガイドブック」。あるいは、「セクハラのない社会をつくるための中学生向けテキスト」「高校生向けテキスト」。
セクハラが深刻な性暴力であることをきちんと明らかにして、暴力のない社会をつくり、暴力を振るわない男をつくる必要がある。
私の「法学」の授業は半期丸ごと「女性に対する暴力」をテーマにしてきた。国連人権委員会の「女性に対する暴力特別報告者」のラディカ・クマラスワミ『女性に対する暴力』を翻訳したときからだから、2000年からだ。でも、セクハラとの闘いの現場にいるわけではないので、国際人権法の入門的知識が中心だ。
もっと現実に即した「セクハラ加害者にならないための男性用ガイドブック」、誰かつくらないかな。