安田浩一『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書、2018年)
『ネットと愛国』『ヘイトスピーチ』『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』の著者・安田が「右翼」の歴史と現在に迫る。
ザイトクに代表されるネトウヨ、ヘイト勢力と、日本会議に代表される「草の根保守」の時代に、日本の右翼とは何であり、どこからどこへ向かっていたのかを検証する。
序章 前史――日本右翼の源流
第1章 消えゆく戦前右翼
第2章 反米から「親米・反共」へ
第3章 政治・暴力組織との融合
第4章 新右翼の誕生
第5章 宗教右派の台頭と日本会議の躍進
第6章 ネット右翼の跋扈
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構成は、なるほどジャーナリストならこう書くだろうな、という構成そのものである。ただ、安田は、右翼に関する通念をなぞるだけではない。右翼の代表的論者に取材するだけではない。むしろ、思いがけない人物への取材を挟むことによって、右翼の歴史を右翼の内外から照らし出し、見えやすくする。
おもしろいのは、「我こそ先達なり」と立候補する人物が目立つことだ。教育勅語の朗読と言えば、いまや森友学園が有名だが、もっと前に同じことをやっていた学校側からは、我こそ本家本元なり、の表明がなされる。「どうも森友学園と同じように見られてしまっているようで、困っているんです。」いまは朗読をしていないという。
新右翼についても、我こそ、が登場する。一般に新右翼と言えば、一水会の鈴木邦男氏たちがあげられる。しかし、自分たち、反核防統一戦線こそが新右翼の源流だ、と言いつのる人物もいる。
本家争いにさしたる興味はないが、こういう話をいくつも発掘してくれているので、本書は面白く読める。
もちろん、本筋の、右翼とは何か、新右翼とは何かの問いをめぐる安田の調査と議論も参考になる。
ただ、おもしろいとだけ言っていられないのは、安田は、組織右翼ではなく、ネトウヨの台頭、ヘイトの実態を解明し、「社会の極右化」を描き出している。
「私たちは右翼の大海原で生きている。」
この結語に、読者はたじろぐことになる。
それではどうすれば良いのか。その先を安田は書いていない。
いや、安田はこれまでの諸著においてずっと書いてきたし、これからも書き続けるのだろう。この大海原に、いかに対峙するのか。
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REBBIO, Assemblage de Cepages Rouges,
Valais, 2017.